モリッシーの名曲ベスト10
スティーヴン・パトリック・モリッシーは1959年5月22日にイギリスのマンチェスターで生まれ、ニューヨーク・ドールズのファンクラブをやったり、「NME」の投稿欄にスパークスのレヴューが掲載されるなどした後に、80年代にはインディー・ロック・バンド、ザ・スミスのボーカリストであり作詞家としてカリスマ的な人気を得ることになる。その素晴らしい楽曲の数々については別に取り上げているのだが、今回はザ・スミスが解散した後、ソロ・アーティストとしてのモリッシーの楽曲から、特に名曲だと思われる10曲をあげていきたい。たとえば今日のモリッシーの主義主張や発言に何一つ賛同できるところがなかったとしても、過去の楽曲の価値そのものを貶めることにはならないと考える。
10. Speedway (1994)
モリッシーの4作目のソロ・アルバムで全英アルバム・チャートで1位に輝いた「ヴォックスオール・アンド・アイ」の最後に収録された曲で、シングル・カットはされていない。心のひじょうに深いところからの告白を歌った内容に相応しい、ドラマティックなアレンジが特徴的である。ザ・スミス時代からカルト的な人気を得ていたモリッシーだが、ソロ・アーティストとして活動してからはさらに熱心なファンの先鋭化がすすんでいったようなところがあり、パフォーマンス中に観客がステージに上がり、モリッシーを抱きしめるのだが、それをしっかり受け止めるというようなシーンは状況をよくあらわしていた。オフィシャルに公開されているこの曲のライブ・ビデオにも、その様子は記録されている。
9. Hairdresser On Fire (1988)
モリッシーのソロ・アーティストとしてのデビュー・シングル「スウェードヘッド」の12インチ、CD、カセット・シングルにカップリング曲として収録されていた曲である。ロンドンという都会に対しての愛憎相半ばする絶妙に微妙な感覚が乾いたユーモア感覚で表現された、とても良い曲である。「君のスケジュール帖の空いているページに僕を押し込んでくれるかな?」などと歌われていて、どこか意味深いようでもあるのだが、美容院の予約が取れない腹いせにつくられた曲だともいわれる。ハサミが忙しく動き回る曲としては、個人的にフリッパーズ・ギター「バスルームで髪を切る100の方法」と双璧をなすほどお気に入りである。
8. Irish Blood, English Heart (2004)
モリッシーの7作目のソロ・アルバム「ユー・アー・ザ・クワーリー」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高3位を記録した。モリッシーのシングルとしては、ザ・スミス時代を合わせても「ユー・ハヴ・キルド・ミー」と並んで最も高い順位を記録した曲になる。90年代後半以降、やや低迷していたモリッシーの人気がこのアルバムによって持ち直したようなところもあった。実際にアイリッシュの血を引くイギリス人であるモリッシー自身のアイデンティティーを掘り下げ、政治的な問題にも言及した楽曲となっている。
7. We Hate It When Our Friends Become Successful (1992)
モリッシーの3作目のアルバム「ユア・アーセナル」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高17位を記録した。モリッシーの歌詞とボーカルはソロ・アーティストになってからもひじょうに魅力的だったのだが、音楽面についてはザ・スミス時代に比べると物足りなくも感じられていた。このアルバムではミック・ロンソンをプロデューサーに迎え、グラム・ロック的でもあるサウンドが実現されていて、そこがわりと好評であった。ザ・スミスやグラム・ロック時代のデヴィッド・ボウイからの影響が感じられたスウェードがブレイクしたのもこの年であり、時代の気分にも合っていたように思える。この曲は、友だちが成功するのは嫌なものだよね、というなんともモリッシーらしいタイトルを持つ楽曲で、その通りのことが歌われているのだが、北部の人たちだとさらにそれがひどい、ということなども歌われているのだが、最後の方はラーラララーなどと、なんとなく良い曲のような感じになっているところも含め、ひじょうに味わい深い。
6. The Last of the Famous International Playboys (1989)
モリッシーの3枚目のシングルで、全英シングル・チャートでは最高6位を記録した。元ザ・スミスのアンディ・ルーク、マイク・ジョイス、クレイグ・ギャノンが初めて参加した、モリッシーのソロ作品でもある。1950年代から60年代にかけて数々の犯罪にかかわった双子のギャング、クレイ兄弟について歌われていて、報道によって犯罪や悪事が魅力的に描かれることなどがテーマになっている。プロデューサーのスティーヴン・ストリートによると、サウンド面においてはザ・フォールからの影響もあるということである。
5. First Of The Gang To Die (2004)
アルバム「ユー・アー・ザ・クワーリー」から2枚目のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで最高6位のヒットを記録した。タイトルからも分かるようにギャングについて歌われた曲なのだが、ひじょうにキャッチーでラジオ・フレンドリーであり、モリッシーのボーカルにも脂がのっているようである。歌い出しの「You have never been in love」というところが、またとても良い。
4. Tomorrow (1992)
アルバム「ユア・アーセナル」の最後に収録された曲で、アメリカでのみシングル・カットされている。ビルボードのホット・モダン・ロック・トラックス・チャートで1位に輝いた。同じアルバムに収録された他の曲と同様に、グラマラスなサウンドがイカしているのだが、愛に対しての絶望と救いようのない希求というアンビバレンツが、性急かつ切実に歌われたボーカルパフォーマンスがたまらなく良い。最後の方などは、ただただ愛していると言ってくれとだけ繰り返し歌われていて、そこにグラム・ロック的な演奏が臨場感をさらに高めていく。
3. The More You Ignore Me, The Closer I Get (1994)
アルバム「ヴォックスオール・アンド・アイ」からの先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高8位を記録した。全米シングル・チャートにおいても、モリッシーの楽曲で唯一ランクインを果たしていて、最高46位を記録している。スティーヴ・リリーホワイトをプロデュースに迎えた最初のシングルでもあり、モリッシーの成熟したボーカルとサウンドが絶妙にマッチしている。私を無視すればするほど近づいていくのだから、あなたは時間をムダにしているにすぎない、というような内容はいかにもモリッシーらしいブラック・ユーモアともいえるのだが、実はひじょうに怖いことを歌ってもいるわけで、しかもこれは戦争だとまで宣言されているのである。好みは確実に分かれるところではあると思うのだが、まったくもってユニークなアーティストであることを思い知らされる楽曲である。個人的には、当時、付き合っていた女子大生がイギリス旅行のお土産にプライマル・スクリーム「ロックス」などと共にこの曲のシングルCDも買ってきてくれたことが思い出される。
2. Suedehead (1988)
モリッシーのソロ・デビュー・シングルで、全英シングル・チャートで最高5位のヒットを記録した。この順位はモリッシーがザ・スミス時代に記録したどれよりも高いものである。モリッシーの歌詞に曲をつけたのは、ザ・スミス時代のプロデューサーだったスティーヴン・ストリートである。タイトルはモリッシーが思春期に体験した、70年代のスキンヘッド・カルチャーに由来しているようだ。どうしてここに来たり電話をかけてきたりするのか、とても残念に思う、というようなことを歌っているのだが、日記を盗み見て自分のことばかりが書かれていることに満更でもなかったりする、そして、「Good lay, good lay」というフレーズには性的な意味合いが含まれているようにも感じられる。かつて体験したかもしれないのだがいつの間にか忘れてしまったような、甘酸っぱくいかもしれないのだが、心の傷あとが疼くかもしれない、そんな感じをポップソングとして表現しているところがかなりすごいのではないか、と思える。
1. Everyday Like Sunday (1988)
モリッシーの2枚目のソロ・シングルで、全英シングル・チャートで最高9位を記録した。デビュー・シングルの「スウェードヘッド」に続いてスティーヴン・ストリートとの共作曲であり、これら2曲も収録したソロ・デビュー・アルバム「ビバ・ヘイト」は全英アルバム・チャートで1位に輝いた。エコー&ザ・バニーメンを意識したというスティーヴン・ストリートによる楽曲は、爆弾が投下されるのを待つ海沿いの町という黙示録的なイメージを、より具体的なものにしているように思える。実在する寂れた海沿いの町とネヴィル・シュートの小説「渚にて」にインスパイアされたというこの曲は、モリッシーのブラック・ユーモア感覚がいかんなく発揮された真骨頂ともいえる作品ではあるのだが、かつてザ・スミスに「ザット・ジョーク・イズント・ファニー・エニモア」という曲があったように、これを楽しむにはいくらかの心の余裕が必要なのではないか、というような気もしている。