マイケル・ジャクソンの名曲ベスト10【Artist’s Best Songs】

マイケル・ジャクソンは1958年8月20日にアメリカのインディアナ州で生まれ、幼い頃から兄弟との音楽グループ、ジャクソン5のリードボーカリストとして活動し、70年代のはじめには「帰ってほしいの」「ABC」などを大ヒットさせ、ソロアーティストとしても「ベンのテーマ」が全米シングル・チャートで1位に輝くなど、成功をおさめた。1979年にはクインシー・ジョーンズがプロデュースをしたアルバム「オフ・ザ・ウォール」で大人のアーティストしての新境地をアピールすると、その発展型ともいえる1982年の「スリラー」では世界的なメガセールスと高評価を獲得し、その後もアルバム「バッド」「デンジャラス」などを大ヒットさせるうちに、いつしかキング・オブ・ポップの称号を得ていた。今回はそんなマイケル・ジャクソンの楽曲からこれは特に名曲なのではないかと思える10曲をカウントダウンしていきたい。

10. Black or White (1991)

マイケル・ジャクソンのアルバム「デンジャラス」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで7週連続1位の大ヒットを記録した。「デンジャラス」は世界的に爆発的に売れまくった「スリラー」「バッド」に続くアルバムということで、この年のクリスマスシーズンにおける最重要アルバムであり、当然のように全米アルバム・チャートでも1位に輝くのだが、5週目には少し前まで世間一般的にはほとんど無名で、けしてメインストリームで売れるようなタイプの音楽ではなかったニルヴァーナ「ネヴァーマインド」に抜かれることになった。それはそうとして、マコーレー・カルキンが出演したミュージックビデオは「スリラー」などと同じくジョン・ランディスによって監督され、冒頭で聴くことができるハードロック的なギターはガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュによって演奏されている。タイトルにもあらわれているように、人種間の調和をテーマにし、音楽的にはロック的なギターとラップもフィーチャーするなど、ジャンルを超えたポップスを志向している。キャッチーなギターリフは小沢健二「さよならなんて云えないよ」にも引用されていることから、「渋谷系」関連曲でもあると言えなくもないが、あまり言われないような気もする。

9. The Way You Make Me Feel (1987)

マイケル・ジャクソンのアルバム「バッド」から「キャント・ストップ・ラヴィング・ユー」「バッド」に続く3作目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで3曲連続となる1位に輝いた。これがさらに「マン・イン・ザ・ミラー」「ダーティー・ダイアナ」と続いていく。同じアルバムから3曲も4曲も1位になるということは1980年代前半まではほとんど無かったことで、ホイットニー・ヒューストンやマイケル・ジャクソン「バッド」、ジョージ・マイケル「フェイス」辺りからそれほど珍しいことでもなくなったような気がする。ミュージックビデオでもそう描かれているように、この曲では恋をしていて相手を誘惑したいような気分がテーマになっていて、サウンドにもそのようなグルーヴィーな感覚がある。

8. Smooth Criminal (1987)

アルバム「バッド」から実に7作目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで最高7位を記録した。ダークで不穏なムードが漂っているところがなかなか良く、人気も高い曲である。2001年にはアメリカ西海岸のロックバンド、エイリアン・アント・ファームによるカバーバージョンがイギリスでは全英シングル・チャートで最高3位と、オリジナルを上回るヒットを記録している。ムーンウォークと共にマイケル・ジャクソンの有名なダンスとして知られるゼロ・グラヴィティ、つまり斜めに倒れかけたような状態で静止してまた戻るやつは、この曲のミュージックビデオで初めて披露された。

7. Rock With You (1979)

マイケル・ジャクソンがクインシー・ジョーンズのプロデュースで初めてリリースしたアルバム「オフ・ザ・ウォール」から2作目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。「ブギー・ナイツ」のヒットで知られる音楽グループ、ヒートウェイヴのメンバーでもあったロッド・テンパートンによる楽曲で、当初はカレン・カーペンターのためにつくられていたのだがボツになっていたという。ブラック・コンテンポラリー的な楽曲としても聴くことができるが、ディスコ時代最後のヒット曲とされるようなこともある。デ・ラ・ソウル「3フィート・ハイ・アンド・ライジング」収録の「クール・ブリーズ・オン・ザ・ロックス」でサンプリングされたりもしていた。

6. Bad (1987)

「スリラー」で世界的メガセールスを記録して、すっかりポップ・アイコン化したマイケル・ジャクソンだが、「バッド」の頃になるとそれにさらに拍車がかかり、日本では「とんねずのみなさんのおかげです」における木梨憲武のパロディービデオ(石橋貴明はライオネル・リッチーをイメージしたライオネル・リチオとして出演)もひじょうに話題になった。ワールドツアーは日本からはじまり、東京ドームが完成するのはこの翌年なので、後楽園球場を皮切りに、阪急西宮球場、横浜スタジアム、大阪スタヂアムといずれもスタジアムクラスの会場で約1ヶ月にわたって開催された後、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパなどと続き、翌年にはまた日本を訪れてついに完成した東京ドームで9日間という大盛況ぶりであった。この曲はアルバムから2作目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで2週連続1位に輝いた。「今夜はビート・イット」「スリラー」に続いて、大勢で踊る系のビデオも好評であった。

5. Wanna Be Startin’ Somethin’ (1982)

マイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」は「オフ・ザ・ウォール」に続いてクインシー・ジョーンズのプロデュースで1982年11月30日にリリースされるのだが、全米アルバム・チャートで通算37週の1位、1983年、1984年と2年連続での年間1位、日本でも1984年のオリコンアルバムランキングで映画「フットルース」のサウンドトラックやサザンオールスターズ「人気者で行こう」、チェッカーズ「絶対チェッカーズ!!」、松任谷由実「VOYAGER」などを抑えて年間1位に輝いた。つまり、かなり売れて聴きまくられたわけだが、その1曲目に収録されたのがこの曲である。「オフ・ザ・ウォール」の頃にはレコーディングされていたが収録されず、「スリラー」のために再レコーディングされたのだが、元々は姉のラトーヤ・ジャクソンに提供する予定だったという。ディスコソングをベースにしながら、よりプログレッシヴでデジタル的な印象もあり、この辺りが時代の空気感とマッチしたとも思えるのだが、それまでのソウル・ミュージックやR&Bのような感覚で聴くと、その良さが分かりにくかった可能性も考えられ、「ミュージック・マガジン」の中村とうようが「クロス・レヴュー」で「1980年という時代にこんなにも安っぽい音楽が作られたことを後世の歴史家のための資料として永久保存しておくべきレコード」と酷評して0点を付けたりしていた。この曲はアルバムから4作目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで最高5位を記録した。

4. Thriller (1982)

マイケル・ジャクソンのメガヒットアルバム「スリラー」のタイトル曲で、7作目にして最後のシングルとしてカットもされた。全米シングル・チャートでの最高位は4位で、同じアルバムから7曲連続でトップ10入りしたのもすごかったのだが、この曲についてはジョン・ランディス監督によるミュージックビデオというよりは短編映画とでもいうべき映像も重要で、ビデオソフトもよく売れていた。ホラー映画をイメージし、本格的な特殊メイクやレジェンド的な俳優、ヴィンセント・プライスによるナレーションなども話題になっていた。

3. Don’t Stop ‘Til You Get Enough (1979)

「オフ・ザ・ウォール」からの先行シングルで、邦題は「今夜はドント・ストップ」である。マイケル・ジャクソン自身によって作詞・作曲されていて、全米シングル・チャートで1位に輝いた。「オフ・ザ・ウォール」の全米アルバム・チャートでの最高位は3位であり、これでもじゅうぶんなヒットだといえるのだが、マイケル・ジャクソンはこれに不満があり、より多くのリスナーにアピールする作品をという目標を持ちながら、「スリラー」を制作することになる。というわけで、ディスコ・ポップやブラック・コンテンポラリーとしては「オフ・ザ・ウォール」の方がそれっぽいというのは当然であり、こちらの方をより好むリスナーも少なくはない。日本ではマイケル・ジャクソン自身も出演したスズキのスクーター、ラブのCMでも使われていて、旬のアーティストという感じはあった。「哀愁でいと」でレコードデビューした頃の田原俊彦も、好きなアーティストとしてマイケル・ジャクソンを挙げていたような気がする。

2. Beat It (1982)

「スリラー」から3作目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで3週連続で1位に輝いた。この前後の1位がデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ「カモン・アイリーン」とデヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」であり、MTVと第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの時代だったことが思い出される。1981年にアメリカで開局した音楽専門のケーブルテレビ局、MTVは若者を中心に評判となり、やがてヒットチャートにも影響をあたえるようになる。イギリスのニュー・ウェイヴやシンセポップ系のアーティストに早くから映像に力を入れている人たちが多かったことから、それらのビデオがオンエアされがちで、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンにつながったなどともいわれている。そして、日本では小林克也がVJとして出演する「ベストヒットUSA」が放送されていて、録画したビデオを何度も繰り返し見る洋楽ファンも少なくはなかったと思われる。洋楽は聴くものから見るものに変わっていったということもでき、これは1つの革命でもあった。この曲はヘヴィーメタルやハードロックのリスナーに大人気のエドワード・ヴァン・ヘイレンのギターソロをフィーチャーしていることで、アルバム発売時から話題になっていた。ヴァン・ヘイレンを聴いているタイプのリスナーの多くはそれまでマイケル・ジャクソンの音楽を積極的に聴いていなかった可能性が高く、この辺りにもいろいろな垣根を超えていこうとする「スリラー」の志の高さのようなものがうかがえるような気もする。そして、このミュージックビデオにおける、なんとなくストリート的でタフそうなムードとみんなで踊る感じというのがとても魅力的に感じられた。アル・ヤンコビックによるパロディーソング「今夜もEAT IT」も全米シングル・チャートで最高12位のヒットを記録した。

1. Billie Jean (1982)

「スリラー」から2作目のシングルとしてカットされ、7週連続1位に輝いた。翌週にデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ「カモン・アイリーン」が1週だけ1位になるのだが、その次の週にはマイケル・ジャクソンが今度は「今夜はビート・イット」で返り咲いていた。「スリラー」からの最初のシングルはポール・マッカートニーとのデュエット曲「ガール・イズ・マイン」で、これは全米シングル・チャートで最高2位で、ミュージックビデオもつくられていなかった。「スリラー」が1つの音楽アルバムを超えて、社会現象でありポップ・カルチャー化する流れというのは、この「ビリー・ジーン」から本格化したともいえるような気がする。MTVは若者を中心にトレンド化してはいたのだが、オンエアされるビデオは白人アーティストによるものが大半だったのだという。そこに風穴を空けたのが「ビリー・ジーン」のビデオであり、そういった意味でもポップ・ミュージック史上において重要な曲だといえる。どこかスキャンダラスで不穏な内容と、ミュージックビデオで見られるダンスがひじょうに印象的であった。音楽的にはダリル・ホール&ジョン・オーツ「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」にもインスパイアされていることを、マイケル・ジャクソン自身が認めたともいわれている。スティーリー・ダン「ドゥ・イット・アゲイン」とこの曲をメドレー化した曲をイタリアの音楽グループ、クラブ・ハウスがリリースして、全英シングル・チャートで最高11位を記録したりもしていた。