松本伊代の名曲ベスト10

松本伊代は1965年6月21日に東京都で生まれ、中学生の頃に原宿でスカウトされたのをきっかけに芸能界入りした。TBSテレビ系「たのきん全力投球!」で田原俊彦の妹役を演じたりした後、1981年10月21日に「センチメンタル・ジャーニー」でデビュー、「花の82年組」の切り込み隊長的な役割も果たし、80年代アイドルカルチャーを盛り上げることに貢献した。ユニークなボーカルとライトでポップなキャラクターや存在感によって、熱心なファンを獲得した。今回はそんな松本伊代の楽曲の中から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲を挙げていきたい。

10. 恋のバイオリズム (1983)

1983年の夏の終わりにリリースされた新曲で、オリコン週間シングルランキングでは最高16位を記録した。イエロー・マジック・オーケストラ「君に、胸キュン。」、山下達郎「高気圧ガール」、早見優「夏色のナンシー」、そして、稲垣潤一「夏のクラクション」などの夏である。「花の82年組」から中森明菜だけではなく、小泉今日子や早見優などもベストテンの常連化することにより、ヒットチャートはアイドルたちの百花繚乱という様相を呈していく。この曲はベストテン入りを逃したわけだが、吉田拓郎が作曲した被虐的な快感さえ感じられるクセの強いラヴソングとなっている。「恋をすると嘘つきになる」という歌い出しのところをデフォルメして、明石家さんまがものまねをしていたような気がする。

9. 信じかたを教えて (1986)

松本伊代が戸板女子短期大学を卒業してから最初にリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高17位を記録した。これ以降はアイドル・ポップスというよりはガールズ・ポップと呼んだ方が相応しいようなタイプの曲を歌っていくようになるのだが、特に林哲司のシティ・ポップ/AOR的なメロディーと松本伊代のユニークなボーカルの組み合わせがとても良かった。個人的にはこの年の夏休みの少し前ぐらいに、渋谷公会堂でこの曲などを歌う松本伊代を見た後で、宇田川町にあった頃のタワーレコードでザ・スミス「クイーン・イズ・デッド」などを買ったことが思い出される。

8. Last Kissは頬にして (1986)

松本伊代の戸板女子短期大学在籍時最後のシングルで、松本隆による「人影のないカフェバーで最後に聞いたデュラン・デュラン」「女子大生は今夜でもう卒業よ」というフレーズが印象的である。女子大生時代の松本伊代はフジテレビ「オールナイトフジ」のMCを務めていたこともあり、とんねるずや秋元康が形成する文化圏のイメージもひじょうに強い。また、女子大生ブームを象徴する番組として文化放送の深夜番組「ミスDJリクエストパレード」が挙げられるのだが、松本伊代はこの番組のDJも務めて、個人的にはザ・スタイル・カウンシル「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」とリトル・リヴァー・バンド「追憶の甘い日々」のリクエストが採用され、名前を読まれたことが思い出される。作曲はC-C-Bの関口誠人である。

7. 時に愛は (1983)

1983年の時点で松本伊代のアイドル歌手としてのセールスはデビュー当時と比べトーンダウンして、ベストテンにもなかなかランクインできなくなっていたのだが、尾崎亜美が作詞・作曲したこのバラードでは、オリコン週間シングルランキングで最高8位、「ザ・ベストテン」でも最高7位を記録した。松本伊代自身が主演したテレビドラマ「私は負けない!ガンと闘う少女」の主題歌であり、「だけど守ってください」のところなどの切ない感じがとても良かった。尾崎亜美はこの後、シングル「恋のKNOW-HOW」「流れ星が好き」や、ミニアルバム「Sugar Rain」に収録された全曲を提供することになる。

6. ビリーヴ (1984)

ボンド企画の後輩、高部知子が主演したテレビドラマ「転校少女Y」の主題歌で、オリコン週間シングルランキングで最高11位を記録した。サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」や中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」がヒットした1984年らしい打ち込み感覚がうれし恥ずかしくもあるダンスポップで、当時のこの枠のドラマ主題歌らしいセンスが感じられる。

5. 太陽がいっぱい (1983)

ノリノリでとてもカッコいいサマーポップで、ストローハットにミニスカートの衣装もとても良く、個人的には大好きだったのだが、オリコン週間シングルランキングでも「ザ・ベストテン」でも最高14位でトップ10入りとはならなかった。バリー・マニロウのヒット曲でも知られるブラジルのビーチ、コパカバーナが歌詞に出てくるライト感覚や、「困るわ」のところの真夏の恋で気持ちがどうかしてしまいそうな感じなどが特にとても良い。

4. 抱きしめたい (1982)

1982年の秋にリリースされた切ないラヴソングで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。どこかオリエンタルなムードも感じられる楽曲なのだが、後にカーリー・サイモン「ホワイ」にインスパイアされているというか、ほぼパク(中略)という気がしないでもない。ピンク・レディーなども含むビクターらしいポップスの伝統を継承するような楽曲だとする評もあったような気がする。「女の子が先に ねえ突然 こんなこんな気持ち しかりますか」はフニャモラー(という言葉は当時はまだ存在していなかったとしても)系男子にはたまらないフレーズだったのではないだろうか。この曲があまりにも好きすぎて、個人的に「抱きしめたい」といえばビートルズでもはっぴいえんどでもMr.ChildrenでもW浅野(浅野温子・浅野ゆう子)でもなく、まずは松本伊代なのである。

3. あなたに帰りたい (Dancin’ In The Heart) (1985)

松本伊代の14枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高16位を記録した。代表曲としてピックアップされることはほとんど無いような気もするのだが、とてもカッコいいダンスポップで、サックスのフレーズも最高である。コーラスで「Romanticが止まらない」のヒットでブレイクしたばかりのC-C-Bが参加している。間奏のシンセサイザーのフレーズがポップでありながらどこか切なくて、たまらなく良い。「Dancin’ in the heart」と歌う直前の「I wanna」の発音が、これぞ松本伊代という感じでとても好ましい。スペシャル・ダンス・ミックスの12インチ・シングルもリリースされた。

2. TVの国からキラキラ (1982)

松本伊代の3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高15位、「ザ・ベストテン」では最高9位を記録した。この曲とB面の「PATA PATA」、次のシングルとなる「オトナじゃないの」、アルバム「オンリー・セブンティーン」収録の「魔女っ子セブンティーン」は、当時、売れっ子コピーライターや文化人として時代の寵児的存在であった糸井重里が作詞をしている。それで、この年に出版された糸井重里の「ビックリハウス」での人気連載「ヘンタイよい子新聞」の単行本にも松本伊代が載っている。大塚食品の「ボンカレーFIVE STAR」という即席カレーのテレビCMではラッキョウが転がるからといって笑い続けているわけだが、それは教室のガラス窓を引っ掻く音が、最初は不快なのだが段々気持ちよく感じられてくるのに近い中毒性があった。松本伊代は東京の女の子を感じさせるのと同時に、テレビの国の住人であるという印象がひじょうに強い。そこが他のアイドルとは代替不可能な魅力だったともいえるし、万人には気軽に共有されにくいところだったのかもしれない。たとえば、この曲では単なるノリの一環という感じで、「カンニングさえサラサラ」とライト感覚で歌われるわけだが、「ねえ 君ってキラキラ」と問いかけもする。「古い少女マンガのまるでヒロインみたい」なシチュエーションを装いながらも、実はひじょうに危険なことが歌われているのではないかと深読みしてみるのも乙なものである(「なんだかヘン」「もう もどれない」)。

1. センチメンタル・ジャーニー (1981)

松本伊代の記念すべきデビュー・シングルでオリコン週間シングルランキングで最高9位、「ザ・ベストテン」では最高6位を記録している。レコードデビューは1981年10月21日なのだが、賞レースでは1982年の新人扱いとなるため、中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優らと共に「花の82年組」とされる。柏原芳恵との「ピンキーパンチ大逆転」や小泉今日子、堀ちえみとの「パリンコ学園No.1」も抑えておきたいところである。デビュー当時は「瞳そらすな僕の妹」をキャッチコピーに、正統派美少女のイメージで売り出されていたような気もする。どこかコミカルでもある、いわゆる伊代ちゃんのキャラクターは、まだそれほど知られてはいなかったのではないだろうか。ボーカルもまだ典型的な松本伊代らしいそれにはなりきっていなく、少し低めでハスキーなところが特徴的である。それにしても、「伊代はまだ16だから」というフレーズである。いきなり名前と年齢を歌詞として歌ってしまい、これが本人の宣伝にあたるのではないかと、国営放送のNHKに出演する際には「伊代はまだ」のところを「私まだ」に変えて歌っていたというエピソードもある。この歌詞を書いているのが、「全米トップ40」でもおなじみの湯川れい子だというのが、またとても良かった。「何かにさそわれて」と伸ばして歌われた後に小さな「ん」が入っているようにも聴こえ、ここがまたとても良い。