ボブ・マーリーの名曲ベスト20 (10-1)
10. Jamming (1977)
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバム「エクソダス」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高9位を記録した。
80年代の日本で越前屋俵太というコメディアンが一部では次のビートたけしかといわれるぐらい注目されていたのだが、一般大衆にまではそれほど広まらなかった。その「オールナイトニッポン」のテーマ曲としてこの曲がかかっていて、ボブ・マーリーの曲だとははじめは知らなかったのだが、とてもカッコよく感じられた。
スティーヴィー・ワンダーの1980年のヒット曲「マスター・ブラスター」にも、強く影響をあたえている。
9. One Love/People Get Ready (1977)
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバム「エクソダス」に収録され、1984年にベストアルバム「レジェンド」が発売されたタイミングでシングルでもリリースされ、全英シングル・チャートで最高5位を記録した。
実際にはレベル・ミュージック的なことをいろいろやっていたわけだが、愛と平和的なイメージで語られることもひじょうに多く、その側面を代表する楽曲という印象である。ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ」とジ・インプレッションズ「ピープル・ゲット・レディ」のカバーバージョンがメドレー化されている。
「レジェンド」は発売当時に全英アルバム・チャートで1位に輝いたのみならず、その後もずっと売れ続けていて、ロングセラーアルバムの1つとしても知られている。
8, Stir It Up (1973)
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが1967年にレコーディングし、シングルとしてリリースされたが、1973年にアルバム「キャッチ・ア・ファイア」に収録されたバージョンが有名である。ジョニー・ナッシュによるカバーバージョンもリリースされ、ボブ・マーリーにとってジャマイカ国外における初のヒット曲となっている。イギリスの人気テレビ番組「オールド・グレイ・ホイッスル・テスト」への出演も話題になったようだ。
7. Trenchtown Rock (1971)
トレンチタウンとはボブ・マーリーが育ったジャマイカはキングストンの貧しい地域であり、そこでの生活がいかに厳しく、音楽が救いになっていたかが、この曲では歌われている。
6. I Shot The Sheliff (1973)
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバム「バーニン」の収録曲で、反権力と正義について歌われているが、エリック・クラプトンのカバーバージョンが全米シングル・チャートで1位に輝くなどの大ヒットを記録したことにより、レゲエをより多くの人々に知らせるきっかけともなった。90年代にはGファンクのウォレンGによってもカバーされている。
5. Lively Up Yourself (1974)
オリジナルバージョンは1971年にレコーディングされたが、1974年のアルバム「ナッティ・ドレッド」の1曲目に収録されたバージョンが有名である。
レゲエのアップリフティングな音楽としての魅力を感じさせるにじゅうぶんな、生命力にあふれた素晴らしい楽曲である。
4. Is This Love? (1978)
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバム「カヤ」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高9位を記録した。
ボブ・マーリーの楽曲の中でも最もよく知られているうちの1つで、シンプルでスウィートなラヴソングでもある。
3. Get Up, Stand Up (1973)
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバム「バーニン」に収録された、力強いレベルソングである。
ボブ・マーリーがハイチで目撃した貧困状態にインスパイアされて書いた楽曲で、ウォー「スリッピン・イントゥ・ダークネス」に影響されてもいるという。
2. Redemption Song (1980)
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバム「アップライジング」のラストに収録された曲で、ボブ・マーリーのアコースティックギター弾き語りによってレコーディングされている。
この当時、ボブ・マーリーはすでにやがてその命を奪う病におかされていたという。アフリカ回帰運動の指導者、マーカス・ガーヴェイの言葉から強い影響を受けているといわれているこの楽曲においては、魂の自由についてのメッセージが発せられている。
1. No Woman No Cry (1974)
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの1974年のアルバム「ナッティ・ドレッド」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高22位を記録するが、翌年のライブアルバムからのバージョンの方が有名で、ボブ・マーリーが亡くなった1981年に全英シングル・チャートで最高位も8位を記録している。
共作者としてキングストンのトレンチタウンで炊き出しを行っていたという、ヴィンセント・フォードがクレジットされているが、この曲では当時の貧しく苦しい生活が題材にされている。タイトルはジャマイカの言葉では「No, woman, don’t cry」というようなニュアンスになるようである。
すべてはうまくいくさ(Everything’s gonna be all right)というポジティヴなメッセージが、広く人々の心をとらえ、名曲としての評価を決定づけているようにも思える。