洋楽ロック&ポップス名曲1001:1984, Part.2
Sade, “Smooth Operator”
シャーデーのデビューアルバム「ダイヤモンド・ライフ」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高19位、全米シングルチャートでは最高5位のヒットを記録した。
ファッションデザイナーやモデルとして活動していたこともあるシャーデー・アデュをボーカリストとするバンドの名前がシャーデーであり、けしてソロアーティスト名ではない。
ジャズやソウル・ミュージックの要素を取り入れた音楽性とファッショナブルなビジュアルイメージがお洒落なものを好む人たちの間で特に大きく受けていたような印象がある。
曲の内容はいろいろな女性たちと関係を持ち、ひじょうにモテているのだが、その愛を返すことはなく冷たい心を持った男性をモデルにしたものであり、サウンドからイメージできるそのままという感じでもある。
アルバムは流行りものとしての使命をまっとうした後も、そのクオリティの高さからずっと聴かれ続けていて、ソフィスティ・ポップなるサブジャンルを代表する名盤として知られる。
George Michael, “Careless Whisper”
ワム!のジョージ・マイケルがソロアーティストとしてリリースしたシングルだが、アーティスト名の表記がアメリカではワム!フィーチャリング・ジョージ・マイケル、日本ではワム!になっていたりもする。
イギリスでは「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」がワム!にとって初の全英シングル・チャート1位に輝いた後でこのシングルがリリースされ、やはりこれも1位になっていた。アメリカではそもそもワム!はまだそれほど人気がなかったのだが、イギリスよりも遅れて「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」がリリースされ、全米シングルチャートで初のトップ40入りどころか1位にまでなってしまうのだが、その後でやはりこの曲も1位になったのみならず、1985年の年間シングルチャートでも1位の大ヒットを記録した。
まずイントロのサックスがひじょうに印象的でかつ有名なのだが、10名ぐらいのサックス奏者だレコーディングした後に、やっとジョージ・マイケルが求める感じのものが録れたので採用したとのことである。楽曲そのものはジョージ・マイケルが17歳の頃に映画館のアルバイトに行く途中のバスの中でつくったものらしく、それで歌詞にはシルバースクリーンこと銀幕が出てきたりもする。
ワム!はポップデュオとしてひじょうに人気があったのだが、ジョージ・マイケルにはもっと本格的なシンガーソングライターとして評価されたいという欲求もあり、それがこの曲のヒットで果たされたといえる。1986年にワム!は解散し、ジョージ・マイケルはソロアーティストとしての活動を本格化させていく。
日本では西城秀樹が「抱きしめてジルバ」、郷ひろみが「ケアレス・ウィスパー」のタイトルで日本語カバーしていた。
The Smiths, “How Soon Is Now?”
ザ・スミスはイギリスのマンチェスターで結成されたインディーロックバンドで、こういったタイプの音楽を好んで聴くような繊細で惨めな気分を日常的に味わわされがちな若者たちを中心に圧倒的な支持を得た。
演奏力にも素晴らしいものがあるのだが、最も特徴として分かりやすいのはボーカリストであるモリッシーの文学的で風刺の効いた歌詞であったり、花束を振り回しながらクネクネと踊るタイプのパフォーマンスなどであった。
この曲はあまりザ・スミスらしくないというような理由から当初はシングル「ウィリアム」のカップリング曲としてリリースされたのだが、後にシングルA面としてもリリースされ、全英シングル・チャートで24位を記録し、1992年にベストアルバムのリリースに際して再発された時には16位に最高位を更新している。
ギターの音を重ね合わせたようなサウンドにはロック的なカタルシスを感じなくもないのだが、歌われている内容は出会いを求めてクラブに行くのだが、結局は誰とも親しくはなれずに1人で帰ってきて泣いて死にたくなるというようなものである。
Chaka Khan, “I Feel for You”
プリンスの「パープル・レイン」が大ヒットしている只中にチャカ・カーンはプリンスの1979年のアルバム「愛のペガサス」に収録されていた「恋のフィーリング」をカバーし、全米シングルチャートで最高3位、全英シングル・チャートでは1位の大ヒットを記録した。チャカ・カーンによるカバーバージョンの邦題は「フィール・フォー・ユー」である。
イントロにはメリー・メルのラップをフィーチャーし、チャカ・カーンの名前を連呼しているのだが、当初、プロデューサーのアリフ・マーディンはチャカ・カーンにこれを知らせていなく、サプライズ的に完成した音源を聴かせたところ、あまり気に入っていなかったという。それでもこの方がインパクトがあってヒットにも繋がるとアリフ・マーディンに説得されたらしく、確かにそれは当たっていたといえるのかもしれない。
ラップはすでに様々なポップソングに取り入れがちではあったのだが、まだまだサブカルチャーの域を出ていなかったようなところもあり、それでこの曲のイントロにラップを入れたことについては、絶妙なトレンド感をうまくまぶしたともいえるのかもしれない。
U2, “Pride (In the Name of Love) “
U2のアルバム「焔(ほのお)」からのリードシングルで、全英シングルチャートで最高3位、全米シングルチャートでは最高33位を記録した。アメリカではU2にとってこの曲が最初のトップ40ヒットである。
このアルバムからプロデューサーとしてブライアン・イーノとダニエル・ラノワがかかわるようになって、サウンドの空間的な広がりが増した印象である。
当初はアメリカのロナルド・レーガン大統領とその外交政策を批判する内容の楽曲としてつくりはじめたのだが、シカゴ平和博物館で見た展示にインスパイアされ、公民権運動の指導者であったマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師に捧げた楽曲に変わっていった。
同じくシカゴ平和博物館で広島、長崎の原爆被害者によって描かれた絵からもインスピレーションを得たのだが、それがアルバムタイトル「焔(ほのお)」(原題:The Unforgettable Fire)にも反映している。
歌詞では非暴力を訴えながらも凶弾に倒れたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の最期についても描写されているのだが、その時刻は間違えていて後のライブや2023年にリリースされた新録音バージョンにおいては訂正されている。
コーラスでプリテンダーズのクリッシー・ハインドが参加しているのだが、当時はシンプル・マインズのジム・カーと結婚していて、クリスティーン・カーという名前になっている。
1981年にアメリカで開局したMTVはこの年の秋から日本でもテレビ朝日系の1つのプログラムとして初めて放送されることになり、その最初期にはよくこの曲のミュージックビデオもオンエアされていた。
Don Henley, “The Boys of Summer”
ドン・ヘンリーのアルバム「ビルディング・ザ・パーフェクト・ビースト」からリードシングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで最高5位を記録、第28回グラミー賞では最優秀男性ロック・ボーカル賞を受賞した。また、ミュージックビデオは第2回MTV Video Music Awardsにおいて、最優秀ビデオ賞をはじめいくつかの賞を受賞している。
別れた恋人に対する未練をノスタルジックな雰囲気を漂わせながら歌った楽曲で、タイトルの「ボーイズ・オブ・サマー」は自分の元を去った元恋人が新しいロマンスを楽しんでいる男の子たちのことを、どうせそれもひと夏限りのことに過ぎないのだろう、というような皮肉を込めて表現したものだと思われる。
曲はトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのマイク・キャンベルがバンドのためにつくったものだが、トム・ペティから却下され、それにドン・ヘンリーが歌詞をつけて歌うことになった。
2003年にはポップパンクバンド、アタリスによるカバーバージョンが全米シングルチャートで最高20位を記録しているが、歌詞ではグレイトフル・デッドのステッカーのところがブラック・フラッグに変更されていた。
Madonna, “Like a Virgin”
マドンナはデビューアルバム「バーニング・アップ」からシングルカットした「ホリデイ」「ボーダーライン」「ラッキー・スター」が少し遅れてヒットしたこともあり、次のアルバムからのリードシングル「ライク・ア・ヴァージン」のリリースも予定よりも少し延期された。
それで発売よりも1ヶ月以上前の1984年9月14日に開催された第1回MTV Video Music Awardsで披露することになったのだが、途中でハイヒールが壊れてしまったこともあり、仕方なくステージに寝そべって歌ったところ、そのパフォーマンスがセンセーショナルだとかなり話題になった。
ディスコポップ的なデビューアルバムからのシングルが続けてヒットして、しかも最高位が右肩上がりだったこともあって、「ライク・ア・ヴァージン」とそれに続く同タイトルのアルバムではマドンナをかなり本格的に売り出そうとしているのではないか、というような勢いはかなりはっきりと感じられた。
デヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」などを大ヒットさせたシックのナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、サウンドにはメジャー感がはっきりと増していて、キュートでありながら強度も感じられるボーカルはさらに魅力的になっているように思えた。
そして、「ライク・ア・ヴァージン」というタイトルや歌詞の内容も恋する女性のピュアな心情を描写していながらも適度にセンセーショナルで、これらが新しいスタイルの女性ポップスターの大ブレイクを全力で後押ししているようなところもあった。
全米シングルチャートでは自身初にして6週連続となる1位に輝き、ここから快進撃が本格的にはじまっていくのであった。
クエンティン・タランティーノ監督の映画「レザボア・ドッグス」が、宝石店強盗を行うために集められた黒スーツの男たちがこの曲の歌詞の解釈について話すシーンからはじまっていたのも印象的であった。