洋楽ロック&ポップス名曲1001:1983, Part.3

This Mortal Coil, ‘Song to the Siren’

ティム・バックリィのアルバム「スターセイラー」に収録された楽曲のディス・モータル・コイルによるカバーバージョンで、全英シングルチャートで最高66位を記録した。

ラリー・ベケットによる歌詞は古代ギリシャ神話に由来していて、報われないかもしれない愛への屈服がテーマになっている。

ディス・モータル・コイルのバージョンにはコクトー・ツインズのエリザベス・フレイザー、ロビン・ガスリィも参加していて、耽美的なムードが特徴的である。

エリザベス・フレイザーは後にティム・バックリィの息子であるジェフ・バックリィと親しくなり、コラボレーションなども行うようになる。

Cyndi Lauper, ‘Girls Just Want to Have Fun’

シンディ・ローパーのデビューアルバム「シーズ・ソー・アンユージュアル」からシングルカットされ、全米シングルチャートと全英シングルチャートで最高2位を記録した。

ロバート・ハザードによって書かれた楽曲は男性の視点によるものだったのだが、シンディ・ローパーはこれを変えることによって、フェミニストアンセムが誕生した。

シンセサイザーのサウンドが印象的で快活なポップチューンだが、ドラムパターンはデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ「カモン・アイリーン」から影響を受けている。

リリース当時は「ハイ・スクールはダンステリア」という邦題がついていたが、後にシンディ・ローパーからの抗議によって、アルバムタイトルの「N.Y. ダンステリア」と共に改題された。

Cyndi Lauper, ‘Time After Time’

シンディ・ローパーのデビューアルバム「シーズ・ソー・アンユージュアル」からシングルカットされ、全米シングルチャートで1位、全英シングルチャートで最高3位を記録した。

「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」という元気いっぱいのポップソングでブレイクした後にこのバラードというギャップにインパクトがあった、実はレーベルは先にこの曲の方をシングルとしてリリースしたかったようである。

しかし、この曲で世に出ることによってバラード歌手のイメージが付いててしまうことを嫌ったシンディ・ローパーの希望で「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」が先にシングルカットされた。

アルバム収録曲の中では最後にレコーディングされた曲であり、フーターズのロブ・ハイマンが共作し、バッキングボーカルでも参加している。曲の内容にはシンディ・ローパーとロブ・ハイマン、それぞれの恋愛における実体験が反映されている。

Frankie Goes to Hollywood, ‘Relax’

リバプール出身のニューウェイブバンド、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのデビュー・シングルで、全英シングルチャートで1位、全米シングルチャートで最高10位を記録した。

トレヴァー・ホーンと妻のジル・シンクレア、「NME」のジャーナリストであったポール・モーリーによって設立されたZTTレコーズからのリリースで、ゲイセックスを連想させる内容から放送禁止になったりもするのだが、そういった話題性がむしろセールスを押し上げもした。

バンドの存在そのものが社会現象的に注目されたりもして、その後のシングルやアルバムだけではなく、Tシャツなどもたくさん売れることとなった。

Mele Mel, ‘White Lines (Don’t Don’t Do It)’

グランドマスター・フラッシュ&メリー・メルの名義でリリースされた反ドラッグをテーマにした楽曲で、全英シングルチャートで最高7位のヒットを記録した。

パーティーの音楽として誕生したヒップホップには初めの頃、社会的メッセージを含んだものなどはほとんど無く、「ザ・メッセージ」をヒットさせたグランドマスター・フラッシュはその先駆的な存在とされていた。

そして、この「ホワイト・ライン」も社会的メッセージを含んではいるのだが、クレジットされているにもかかわらず、グランドマスター・フラッシュは実際にはほとんどかかわっていないという。

1995年にはデュラン・デュランがこの曲をカバーし、全英シングルチャートで最高17位を記録している。

The Smiths, ‘This Charming Man’

ザ・スミスの2枚目のシングルで、全英シングルチャートで最高25位を記録したが、解散後、1992年にベストアルバムが発売されるタイミングでシングルが再リリースされると、当時を上回る最高8位を記録した。

作詞とボーカルのモリッシーがとにかくクネクネ踊りながら花束を振り回して歌い、しかもその内容というのも文学的で恥じらい気味だが俄然強めであり、存在そのものがロックのマッチョイズムに対するカウンターであった。

今夜は出かけたい気分だが着ていく服がなく、それはハンサムな男が気にすることとしては酷いものだ、というようなことが歌われ、それがヒットしてしまうのがなかなか痛快であった。

Van Halen, ‘Jump’

ヴァン・ヘイレンのアルバム「1984」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで1位、全英シングル・チャートで最高7位を記録した。

ハードロックのリスナーからはすでにひじょうに人気があり、特にギタリストのエディ・ヴァン・ヘイレンはカリスマ視もされがちだったのだが、シンセサイザーを取り入れたこの曲によって、より幅広い層から支持を得るに至った。

シンセサイザーのフレーズはダリル・ホール&ジョン・オーツ「キッス・オン・マイ・リスト」からヒントを得たことをエディ・ヴァン・ヘイレン自身が認めている。

スポーツ関連のBGMだったり応援歌的にも使われがちな一方、インディーロックバンドのアズテック・カメラがネオアコースティック的にカバーしたりもしていた。

ボーカリストのデイヴィッド・リー・ロスはこの曲のミュージックビデオにおいてもスター気取りぶりが見られるのだが、この後にバンドを脱退することになる。