洋楽ロック&ポップス名曲1001:1982, Part.3

Culture Club, ‘Do You Really Want to Hurt Me?’

カルチャー・クラブの最初のヒット曲で、全英シングルチャートで3週連続1位、全米シングルチャートで最高2位を記録した。邦題は「君は完璧さ」である。

イギリスでの最初の2枚のシングル「ホワイト・ボーイ」「アイム・アフレイド・オブ・ミー〜あしたのボクは?」はヒットしなかったが、3枚目のこのシングルがBBCラジオ2のレコードオブザウィークに選ばれ、「トップ・オブ・ザ・ポップス」に初出演すると、ボーイ・ジョージの両性具有的なビジュアルイメージが話題になったこともあり、ヒットチャートを急上昇していった。

マイルドなレゲエビートが特徴的なこの感傷的なラブソングは、ボーイ・ジョージがバンド内で恋愛関係にあったドラマーのジョー・モスとの関係について歌ったものとされている。

ジュリアン・テンプルが監督をしたミュージックビデオでは、化粧と女装をして歌い踊るボーイ・ジョージが歴史上の様々な場所から追い出されるというもので、楽曲のトーチソング的な魅力にアウトサイダーとしての悲しみを付け加えている。

アメリカではこの曲がカルチャー・クラブにとって最初のシングルとなったが、ミュージックビデオの効果もあって大ヒットを記録したが、全米シングルチャートでの最高位はマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」に阻まれ3週連続2位であった。

Prince, ‘1999’

プリンスのアルバム「1999」からのリードシングルで、全米シングルチャートでの最高位は44位だったが、次にシングルカットされた「リトル・レッド・コルヴェット」が初のトップ10入りを果たした後に、最高12位を記録した。イギリスでは1985年に「リトル・レッド・コルヴェット」との両A面シングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高2位を記録している。

1999年7月に人類が滅亡するという説を唱えたノストラダムスの大予言は当時、アメリカとソ連の間の冷戦状態や核戦争への恐怖とも相まって、一定数の人々にある程度の不安をあたえていたかもしれないのだが、プリンスのこの楽曲はそれを逆手に取ったパーティーソングとなっている。

1979年にディスコポップ的な「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」が全米シングルチャートで最高11位を記録したものの、その後は批評家からは高く評価されるのだが、なかなかヒットが出せない状況が続き、それはユニークな音楽性のせいでもあった。

しかし、この頃からいよいよ時代がプリンスに追いついたかのようなムードにもなってきていて、それにはやはりミュージックビデオの影響もあった。

Bruce Springsteen, ‘Atlantic City’

ブルース・スプリングスティーンのアルバム「ネブラスカ」に収録された楽曲で、イギリスではシングルカットもされたのだがチャートにはランクインしていない。

アルバムはブルース・スプリングスティーンの自宅で4トラックのテープレコーダーに録音されたものであり、サウンド的にはデモテープのようでもあるのだが、そこが生々しくて良いと好評であり、アルバムチャートでも上位にランクインした。

ブルース・スプリングスティーンはこの曲をフルバンドバージョンでリリースするつもりで、Eストリート・バンドとのレコーディングも行われたのだが、「ネブラスカ」に収録された他の楽曲と同様に、自宅でレコーディングしたアコースティックバージョンの方が良いと判断された。

若いカップルがニュージャージー州のアトランティックシティに逃避行するのだが、男性は借金を返すために組織犯罪に手を染めようとする、というような内容が歌われていて、80年代の初めにフィラデルフィアで発生したマフィア絡みの殺人事件にも言及している。

Donald Fagen, ‘I.G.Y. (What a Beautiful World)’

ドナルド・フェイゲンのソロデビューアルバム「ナイトフライ」から最初のシングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで最高26位を記録した。

タイトルは1957年7月から翌年末まで続いた国際的な科学研究プロジェクト、国際地球観測年に由来していて、ドナルド・フェイゲンによる歌詞は当時の未来に対する楽観的なビジョンを懐かしんでいるようでもある。

スティーリー・ダンを解散してから最初のアルバムとなった「ナイトフライ」はデジタル録音が行われたごく初期の作品の1つであり、サウンド面でも大きく注目された。

Madness, ‘Our House’

マッドネスのアルバム「ザ・ライズ・アンド・フォール」からリードシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高5位、全米シングルチャートでも最高7位のヒットを記録した。

イギリスではザ・スペシャルズらと共にスカリバイバルの中心的なバンドとして知られ、ヒット曲もたくさんあったのだが、この曲は第2次ブリティッシュインベイジョンの流れにものってアメリカでもヒットした。

日本では1981年に本田技研工業の小型自動車、ホンダ・シティのテレビCMに出演し、ユニークなムカデダンスと共にお茶の間にも知られる存在であった(井上大輔もかかわったCMソング「シティ・イン・シティ」はオリコン週間シングルランキングで最高26位を記録した)。

80年代のイギリスでは厳しい経済状況から実家で両親と暮らすことを余儀なくされた若者が多く、この曲にはそういったノスタルジックなムードも感じられるのだが、あくまで明るくコミカルなところが特徴である。

翌年のアイヴァー・ノヴェロ賞ではベストソングに選ばれ、2012年のロンドンオリンピック閉会式でマッドネスがこの曲を演奏したときにも大いに盛り上がった。

Marvin Gaye, ‘Sexual Healing’

マーヴィン・ゲイのアルバム「ミッドナイト・ラヴ」からリードシングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで最高3位、全英シングルチャートで最高4位を記録した。

この曲はマーヴィン・ゲイがうつ状態と薬物依存から立ち直るために滞在していたベルギーのリゾート地、オステンドで書かれた。モータウンレコードを離れ、CBSと契約してから最初にリリースする楽曲でもあった。

タイトルがあらわしているように性愛をテーマにしたこの楽曲は、マーヴィン・ゲイ自身にとって本質的なものだったが、アイデアをあたえたのは作家のデイヴィッド・リッツで、後に訴訟の末にソングライターとしてクレジットされることになった。

ローランドTR-808のドラムマシンを使用したごく初期のヒット曲の1つとしても知られる。

この曲はマーヴィン・ゲイにとって久々のヒット曲となり、グラミー賞では最優秀男性R&Bボーカルパフォーマンス賞を受賞するのだが、アルバムのツアー中に再びドラッグを使用するようになり、45歳の誕生日の前日に同居していた父親との口論の末に射殺された。