洋楽ロック&ポップス名曲1001:1981, Part.2

Journey, ‘Don’t Stop Believin’’

ジャーニーのアルバム「エスケイプ」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高9位を記録した。同じアルバムからシングルカットされた「クライング・ナウ」「オープン・アームズ~翼をひろげて~」に比べると順位は低かったのだが、特に00年代以降の再評価によって、ジャーニーで最も人気の高い曲となった。アルバムのリリース時には「愛に狂って」という邦題がついていた。

ハリウッドブールバードに集まる夢追い人たちを描いた楽曲だが、かつてプロのミュージシャンとして成功する夢をあきらめかけていたバンドのキーボーディスト、ニール・ショーンに父がかけた励ましの言葉がタイトルの由来である。

日本では産業ロックと呼ばれたりもするこのタイプの音楽は、一般大衆的に大ヒットしていたとしても、批評家からは正当に評価されにくかったりはするのだが、この曲は例外のようである。

2003年にシャーリーズ・セロン主演の映画「モンスター」のサウンドトラックで使われたことによって注目され、2007年には史上最も優れたテレビシリーズと評価されることもある「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」の最終回、しかもラストシーンで効果的に使用された。さらに2009年には高校の合唱部をテーマにした大ヒットテレビドラマ「glee/グリー」のキャストによって歌われたバージョンが全米シングル・チャートで最高4位と、ジャーニーのオリジナルを上回るヒットを記録した。

全英シングルチャートで「glee/グリー」のキャストによるバージョンは最高2位の大ヒットとなったのだが、これによってジャーニーのオリジナルも注目され、リリース当時の最高61位を大きく上回る6位を記録している。

Stevie Nicks, ‘Edge of Seventeen (Just Like the White Winged Dove)’

スティーヴィー・ニックスのソロアルバム「麗しのベラ・ドンナ」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高11位を記録した。

アルバムから初めにカットされた2枚のシングルは「嘆きの天使」がトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、「レザー・アンド・レース」がドン・ヘンリーとのデュエットだったため、この曲がスティーヴィー・ニックスのソロシンガーとしての純粋な初めてのヒット曲になった。

楽曲はジョン・レノンと自身の叔父の死に触発されて書かれたものだが、タイトルはトム・ペティの妻であるジェーンに夫との出会いを話してもらっていたときに「17歳の頃に(age of seventeen)」と言ったのを南部訛りが強すぎて「edge of seventeen」と聞き間違えたことに由来している。

2003年の映画「スクール・オブ・ロック」ではジョーン・キューザックが演じる堅物の校長先生がジュークボックスからこの曲が流れると、若かりし頃の記憶がよみがえり思わず踊ってしまうシーンが印象的であった。

Soft Cell, ‘Tainted Love’

ソフト・セルのアルバム「ノン・ストップ・エロティック・キャバレー」からの先行シングルで、全英シングルチャートで1位、全米シングルチャートでは最高8位を記録した。

1981年のイギリスでは年間シングルチャートの上位2曲がこの曲とヒューマン・リーグ「愛の残り火」で、シンセポップのメインストリーム化をはっきりと印象づけることになったのだが、アメリカでは翌年にロングヒットを記録した。

オリジナルはグロリア・ジョーンズが1964年にリリースしたバージョンで、ノーザンソウルのファンからはすでに人気が高い楽曲であった。T・レックスのマーク・ボランが交通事故で亡くなったときに、車を運転していた恋人としても知られている。

Luther Vandross, ‘Never Too Much’

ルーサー・ヴァンドロスのデビュー・シングルで、全米シングルチャートで最高33位、R&Bチャートでは1位を記録した。

それまでは他のアーティストのバックコーラスやCMソングなどを歌っていたのだが、この曲のヒットによってソロアーティストとして注目されるようになり、グラミー賞にもノミネートされた。

作詞・作曲、プロデュースを自ら行い、その才能を遺憾なく発揮している。ブラックコンテンポラリーの名曲の1つで、都会的なサウンドと卓越したボーカルパフォーマンスを存分に堪能することができる。

The Rolling Stones, ‘Start Me Up’

ローリング・ストーンズのアルバム「刺青の男」からリードシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高7位、全米シングルチャートで最高2位を記録した。

AORやジャズ/フュージョン的な音楽などがトレンディとされていた時代に、ロックンロールの真髄を見せつけるような音楽性で存在感を存分に発揮していた。とはいえ、全米シングルチャートの1位はクリストファー・クロス「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」によって阻まれている。

アルバム「女たち」のセッションのときにできたレゲエソングだったのだがあまりうまくいかず、休憩中にキース・リチャーズとロン・ウッドが緊張をほぐすために軽く演奏していたロックンロールバージョンのテープがたまたま見つかり、これは良いのではないかと採用されたようである。

Rick James, ‘Super Freak’

リック・ジェームスのアルバム「ストリート・ソングス」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高16位、ダンスクラブプレイチャートでは1位を記録した。

性愛に積極的な女性について歌われたこの楽曲でリック・ジェームスは、ファンクにニューウェイブ的な要素やオペラ的な歌い方を取り入れるなど、あえてバカバカしい感じを狙ったと語っている。

当時もヒットしたのだが、この楽曲の特にベースラインをさらに有名にしたのは、1990年にMCハマーのヒット曲「U・キャント・タッチ・ジス」でサンプリングされたことである。

Daryl Hall & John Oates, ‘I Can’t Go for That (No Can Do)’

ダリル・ホール&ジョン・オーツのアルバム「プライベート・アイズ」からシングルカットされ、全米シングルチャートで1位、全英シングルチャートで最高8位を記録した。

当時の「全米トップ40」ファンにはオリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカル」の連続1位を10週でストップさせた楽曲としても知られる。

シンプルな打ち込みサウンドとブルーアイドソウル的なボーカルとコーラス、そしていかにも80年代的なサックスも最高なこの楽曲はR&Bチャートやダンスクラブプレイチャートでも1位を記録した。

デ・ラ・ソウルがデビューアルバム「3フィート・ハイ・アンド・ライジング」からシングルカットした「セイ・ノー・ゴー」でサンプリングされていたことでも知られる。