洋楽ロック&ポップス名曲1001:1976, Part.2

ABBA, ‘Dancing Queen’

ABBAのアルバム「アライバル」からリードシングルとしてリリースされ、本国スウェーデンやイギリスをはじめとするヨーロッパ各国、アメリカやオーストラリア、南アフリカなどのシングルチャートで1位に輝いた。

グループの持ち味であるユーロポップに当時のトレンドであったディスコミュージックの要素を取り入れた楽曲で、ジョージ・マックレー「ロック・ユア・ベイビー」やドクター・ジョンのアルバム「ガンボ」のドラミングなどが参照されている。

当初は「ブーガルー」というダンスソングとして制作されていたが、マネージャーのスティグ・アンダーソンが思いついた「ダンシング・クイーン」が正式なタイトルとして採用された。

Boston, ‘More Than a Feeling’

ボストンのデビューアルバム「幻想飛行」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高5位、全英シングルチャートで最高22位を記録した。邦題は「宇宙の彼方へ」である。

中心メンバーであるトム・シュルツが約5年かけて完成させた楽曲で、すでに完成度が高かったというデモテープはマサチューセッツ州ウォータータウンのちかスタジオでレコーディングされた。

どんよりとした気分で目を覚まし、音楽をかけながらマリアンヌという女性との日々に思いをはせるという内容の楽曲だが、マリアンヌのモデルはトム・シュルツの年上のいとこである。

ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」はこの曲に似ているといわれることも少なくはなく、ライブではイントロ的に一部を演奏することもあった。

Electric Light Orchestra, ‘Livin’ Thing’

ELOことエレクトリック・ライト・オーケストラのアルバム「オーロラの救世主」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高5位、全米シングルチャートで最高13位を記録した。邦題は「オーロラの救世主」である。

イントロでのミック・カミンスキーによるバイオリンがひじょうに印象的だが、その後はラジオフレンドリーなポップでキャッチーなメロディーとサウンドが続いていく。

愛の喪失をテーマにした楽曲だが、元々は中心メンバーでソングライターのジェフ・リンがスペインで不味いパエリエを食べて食中毒になったことがきっかけで書いた曲のようである。

スージー・クアトロの妹であるパティ・クアトロがクレジットはされていないが、ボーカリストとして参加している。

The Damned, ‘New Rose’

イギリスのパンクロックバンド、ダムドのデビューシングルで、当時はチャートにランクインしていないが、1986年に再発された際に全英シングルチャートで最高81位を記録した。

イギリスのパンクロックシーンにおける最初のシングルとして知られ、プロデューサーはニック・ロウ、B面にはビートルズ「ヘルプ」のカバーが収録されていた。

「彼女は本当に彼と付き合っているのか?」というような歌詞はシャングリラ「黒いブーツでぶっとばせ!」へのオマージュだが、1978年にはジョー・ジャクソンもデビューシングル「奴に気をつけろ」で同様の疑問を投げかけている。

Thelma Houston, ‘Don’t Leave Me This Way’

テルマ・ヒューストンのアルバム「エニイ・ウェイ・ユー・ライク・イット」からシングルカットされ、全米シングルチャートで1位、全英シングルチャートで最高13位を記録した。

ケニー・ギャンブル、レオン・ハフとケーリー・ギルバートがハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツに提供した楽曲のカバーバージョンで、ダイアナ・ロス「ラヴ・ハングオーヴァー」を大ヒットさせたハル・デイヴィスがプロデューサーとしてそのテンプレートを用いたディスコポップに仕上げている。

テルマ・ヒューストンはこの曲によって、グラミー賞の最優秀女性R&Bボーカルパフォーマンス賞を受賞している。

1986年にはイギリスのエレポップデュオ、コミュナーズがサラ・ジェーン・モリスをフィーチャーしたカバーバージョンをリリースし、全英シングルチャートで4週連続1位、全米シングルチャートで最高40位を記録している。