洋楽ロック&ポップス名曲1001:1976, Part.1
Diana Ross, ‘Love Hangover’
ダイアナ・ロスのアルバム「愛の流れに」からシングルカットされ、全米シングルチャートで1位、全英シングルチャートで最高10位を記録した。
「愛の二日酔い」と訳すことができるこの楽曲は、スローなオープニングからアップテンポに転じていくセクシーでグルーヴィーなダンスポップで、モータウンレコードにとって最初のディスコヒットとなった。
ディスコソングのレコーディングに乗り気ではなかったダイアナ・ロスの気分を盛り上げるため、レコーディングは深夜に行われ、ウォッカを飲んだ状態で行われた。
演奏にはクルセイダーズのジョー・サンプルらのミュージシャンが起用されたが、バンドメンバーにもレミーマルタンがふるまわれ、スタジオには点滅するライトが設置されたという。
その効果もあってか、ダイアナ・ロスのナチュラルな笑い声をはじめ、レコーディングはひじょうにリラックスしたムードで行われ、その成果はレコードにもあらわれている。
Boz Scaggs, ‘Lowdown’
ボズ・スキャッグスのアルバム「シルク・ディグリーズ」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高3位、全英シングルチャートで最高28位を記録した。
アルバムから最初にシングルカットされた「イッツ・オーヴァー」は全米シングルチャートで最高38位だったが、クリーヴランドのR&Bラジオ局が「ロウダウン」を流しはじめたところ、大きな反響があったことからこの曲にクロスオーバーヒットの可能性を感じたレーベルがシングルカットを決めたという経緯がある。
グラミー賞では白人アーティストとして初となる最優秀R&Bソング賞を受賞している。
この曲をボズ・スキャッグスと共作したデヴィッド・ペイチは、レコーディングに参加したジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ハンゲイトらとTOTOを結成した。
Ramones, ‘Blitzkrieg Bop’
ラモーンズのデビューシングルでアルバム「ラモーンズの激情」の1曲目に収録されたことなどからパンクロックアンセムとして知られるが、シングルチャートにはランクインしていない。当時の邦題は「電撃バップ」である。
「ヘイ、ホー、レッツゴー!」という有名なチャントは当時大ヒットしていたベイ・シティ・ローラーズ「サタデイ・ナイト」にインスパイアされたものである。また、ルーファス・トーマス「ウォーキング・ザ・ドッグ」のローリング・ストーンズによるカバーバージョンにも影響を受けている。
タイトルはナチスドイツにおける電撃戦に由来していたりもするのだが、シンプルでエネルギッシュでたまらなくポップでキャッチーなサウンドとメロディーがポップミュージック史に燦然と輝く。
Thin Lizzy, ‘The Boys Are Back in Town’
シン・リジィのアルバム「脱獄」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高8位、全米シングルチャートで最高12位を記録した。邦題は「ヤツらは町へ」である。
マンチェスターで活動していた犯罪組織、クォリティ・ストリート・ギャングをモデルとしているともいわれるこの楽曲は、バンドのラフでワイルドなイメージにもマッチしていた。
バンドは当時、かなり低迷している状態だったのだが、この曲がヒットしたことによって息を吹き返した。後にハッピー・マンデーズなど様々なアーティストによってカバーされたり、テレビドラマや映画で使われたりしている。
Blue Öyster Cult, ‘(Don’t Fear) The Reaper’
ブルー・オイスター・カルトのアルバム「タロットの呪い」からシングルカットされ、全米シングルチャートで最高12位、全英シングルチャートで最高16位を記録した。邦題は「死神」である。
シェイクスピア「ロミオとジュリエット」にインスパイアされた歌詞があることなどから、自殺をテーマにした楽曲だと誤解されがちだが、実際には死の必然性とそれをけして恐れるべきではないというメッセージが込められた、肉体的存在を超越したラヴソングである。
メンバーのバック・ダーマが当時、心臓病と診断されたことから自分の人生はそれほど長くはないのではないかと思い、書いた楽曲だといわれている。
サウンド面ではカウベルが効果的に用いられているのが印象的で、クリストファー・ウォーケンが出演した「サタデー・ナイト・ライブ」のコントでもネタにされていた。
Junior Murvin, ‘Police & Thieves’
ジャマイカのレゲエミュージシャン、ジュニア・マーヴィンがリー・ペリーのプロデュースでリリースしたシングルで、全英シングルチャートで最高23位を記録した。邦題は「ポリスとコソ泥」である。
イギリスのパンクロックバンド、ザ・クラッシュがデビューアルバム「白い暴動」でカバーしたことによって、さらに有名になった。
当時、パンクロック系のクラブではかけられるレコードがまだあまり出揃っていなかったことなどから、パンクロックの合間にレゲエのシングルをかけることが多く、この曲も人気DJのドン・レッツがよくかけることによって、パンクロックファンの間でも人気が高まったという。