洋楽ロック&ポップス名曲1001:1968, Part.4

Dusty Springfield, ‘Son of a Preacher Man’

ダスティ・スプリングフィールドのアルバム「ダスティ・イン・メンフィス」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高9位、全米シングルチャートで最高10位を記録した。

ポップシンガーとして人気だったダスティ・スプリングフィールドが、よりリズム&ブルース的な音楽にチャレンジした楽曲である。コーラスではアレサ・フランクリン「小さな願い」などと同じくスウィート・インスピレーションズが参加し、メンバーのうちの1人はホイットニー・ヒューストンの母としても知られるシシー・ヒューストンである。

教会の説教師の息子とのロマンスをテーマにしていて、当初はアレサ・フランクリンのために書かれた曲だったが、却下されたためダスティ・スプリングフィールドが歌うことになったようだ。

この曲はクエンティン・タランティーノ監督の1994年の映画「パルプ・フィクション」でも使われていたが、この曲の使用許可が下りなければそのシーンを撮影しなかったと後に語られている。

The Beatles, ‘While My Guitar Gently Weeps’

ビートルズのアルバム「ザ・ビートルズ」に収録された楽曲で、シングルカットはされていないがひじょうに人気が高く、作詞作曲をしたジョージ・ハリスンの代表曲の1つとして知られる。

クレジットはされていないが、ジョージ・ハリスンの友人でもあったエリック・クラプトンがリードギターで参加している。

中国の易経の書物にインスパイアされた楽曲だが、当時のビートルズにおけるメンバー間の不和について歌われているともいわれる。

The Beatles, ‘Blackbird’

ビートルズのアルバム「ザ・ビートルズ」に収録された楽曲で、作詞作曲はレノン=マッカートニーとなっているが、実際にはポール・マッカートニーによって書かれ、演奏にも他のメンバーは参加していない。

ヨハン・セバスティアン・バッハの「ブーレ ホ短調」を元にした美しいバラードで、クロウタドリについて歌われているようでもあるが、実際には公民権運動に触発され、人種差別撤廃の願いをこめた静かなプロテストソングにもなっている。

ビヨンセは2024年のアルバム「カウボーイ・カーター」でこの曲をカバーしたが、ポール・マッカートニーの許可を得て、ビートルズのオリジナルマスターレコーディングからインストゥルメンタルをサンプリングしている。

Sly & The Family Stone, ‘Everyday People’

スライ&ザ・ファミリー・ストーンのシングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで4週連続1位、全英シングルチャートで最高36位を記録した。

人種やバックグラウンドに関係なく、誰もが本質的には同じなのだというメッセージがこめられたこの楽曲は、性別も民族的な背景も異なるメンバーから成り、音楽的にもソウルやファンクとロックやポップスを融合したようなところもあったスライ&ザ・ファミリー・ストーンにふさわしいものであった。

1983年にはジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツによるカバーバージョンが全米シングルチャートで最高37位を記録し、1992年にはアレステッド・ディヴェロップメントがこの曲をベースにした「ピープル・エヴリデイ」をヒットさせた。

The Rolling Stones, ‘Sympathy for the Devil’

ローリング・ストーンズのアルバム「べガーズ・バンケット」の1曲目に収録された曲で、シングルカットはされていないがひじょうに人気が高く、代表曲の1つともされるして知られる。邦題は「悪魔を憐れむ歌」である。

当初はフォークソング調だったというのだが、サンバ的なリズムとファルセットのコーラスが印象的である。悪魔崇拝的な歌詞が話題になったが、人間が持つダークな側面に焦点をあてただけであり、悪魔崇拝的な信仰はないと否定されている。

しかし、何やら不吉で不穏な予感を抱かされる楽曲であり、ローリング・ストーンズのフリーライブで観客が警備のヘルス・エンジェルスによって殺害された「オルタモントの悲劇」とも結びつけられがちである。

実際にこの曲は当日のライブで演奏されていたが、事件が起きたのは「アンダー・マイ・サム」の頃であった。これによって、「ウッドストック」などに見られる愛と平和的な理想主義のムードが消し飛んだともいわれている。

ローリング・ストーンズは1970年代半ばあたりまで、この曲をライブのセットリストから外すことになった。

Archie Bell & The Drells, ‘Tighten Up’

アーチー・ベル&ザ・ドレルズがリリースしたシングルで、全米シングルチャートとR&Bチャートの両方で1位となる大ヒットを記録した。

ダンサブルな演奏にのせてリードシンガーのアーチー・ベルがバンドメンバーやリスナーに呼びかけるこの曲は当初はシングル「ドッグ・イート・ドッグ」のB面としてリリースされたのだが、ラジオでプッシュされはじめるとアトランティック・レコードの目に留まり契約することになり、大々的にリリースされた。

アーチー・ベルはこの曲が全米シングルチャートで1位になった頃にはベトナム戦争に徴兵され、負傷していたため、軍の病院のラジオで聴いていたという。

日本ではテクノブームの真っ只中にイエロー・マジック・オーケストラがスネークマンショーの小林克也、伊武雅刀をフィーチャーしたカバーバージョンをリリースしていたことでも知られる。