洋楽ロック&ポップス名曲1001:1965, Part.3

The Beatles, ‘Help!’

ビートルズのとても有名な曲のうちの1つで、イギリスでもアメリカでもシングル・ャートの1位に輝いている。作詞作曲はレノン=マッカートニー名義だが、主にジョン・レノンによって書かれていて、ポール・マッカートニーも手助けはしている。

映画「ヘルプ!4人はアイドル」のテーマ曲でもあり、ビートルマニアなどとも呼ばれていたらしいアイドル的人気がひじょうに高まり、とても忙しかった頃の楽曲のようだ。そのような状況において、本当に助けてほしいという切実な思いが楽曲にはこめられてもいたとのことである。

それはそうとして、常に何事かにおいて助けてほしいというような心情に寄り添うようなものでもポップミュージックはあるわけだが、そういった意味でも味わい深い楽曲ではある。

RCサクセションが1988年にリリースしたライブアルバム「コブラの悩み」に収録されたカバーバージョンでは、「I need somebody」というところが「あ 兄さん ばあさん」という日本語詞になっていたのもなかなか良かった。

Simon and Garfunkel, ‘Sound of Silence’

この曲のアコースティックギターのみの伴奏によるオリジナルバージョンはサイモン&ガーファンクルのデビューアルバム「水曜の朝、午前3時」に収録されていたのだが、アルバムそのものがそれほど売れなかったこともあり、デュオは間もなく解散することになった。

しかし、この曲を気に入ったラジオのDJが番組でかけはじめると若者を中心に評判となり、リクエストも増えてきた。そこでレーベルはアーティスト本人には無断で、当時ブレイクしていたバーズのようなフォークロック的な演奏をオーバーダビングしたバージョンをシングルでリリースする。

するとこれが大ヒットして、全米シングルチャートで1位に輝いた。そして、サイモン&ガーファンクルも再結成する。

この曲は日本でもヒットして、オリコン週間シングルランキングで1位を記録しているのだが、1位から10位までのすべての順位にランクインしたことがあるという数奇な記録も残すことになった。後に細川たかし「心のこり」、SMAP「世界で一つだけの花」も同じ記録を達成している。

The Who, ‘My Generation’

ザ・フーが1965年の秋にリリースしたシングルで、全英シングルチャートでは最高2位のヒットを記録しているが、全米シングルチャートでは意外にも最高74位止まりであった。

年老いる前にくたばりたいぜ、というフレーズが象徴するように、若者世代の気分を代弁するような内容になっていて、モッズ族のアンセムとしても知られている。ドラマーのキース・ムーンは若くして亡くなったが、その他のメンバーは数十年後にもこの曲をライブで演奏することになる。

リズム&ブルースから影響を受けたダンサブルでもある音楽性、リードボーカルとコーラスとのコール&レスポンス、間奏でのギターソロとベースソロのかけ合い、全体的にカオス化する終盤など、音楽的にも聴きどころたっぷりである。

Bobby Fuller Four, ‘I Faught the Law’

ソニー・カーティスが作詞、作曲し、バディ・ホリーが飛行機事故で亡くなった後にメンバーとして加入したザ・クリケッツの楽曲として発表したバージョンがオリジナルである。

強盗を繰り返した後に刑務所に入る男のことを歌ったこの楽曲は、全米シングルチャートで最高9位を記録したボビー・フラー・フォーのカバーバージョンで有名になった。

ボビー・フラーはこの曲がヒットした少し後に母親の車の中で窒息死しているところを発見され、自殺だとされているが他殺説もひじょうに根強い。

1979年にはザ・クラッシュのカバーバージョンもリリースされ人気となるが、日本では2000年に発売された日産自動車のSUV型自動車、エクストレイルのCMに使われたことでも知られる。

James Brown, ‘I Got You (I Feel Good)’

ジェームス・ブラウンがアルバム「アウト・オブ・サイト」のためにレコーディングした楽曲の別バージョンで、全米シングルチャートで最高3位、R&Bチャートで1位と、アメリカではすべてのシングルの中で最も高い順位を記録している。

タイトルのとおりいかに気分が良いかということについて歌ったとてもファンキーな楽曲で、ジェームス・ブラウンのご機嫌なシャウトやメイシオ・パーカーのアルトサックスソロも印象的である。

The Beatles, ‘In My Life’

ビートルズのアルバム「ラバー・ソウル」に収録されたた楽曲で、歌詞はジョン・レノンによって書かれているが、曲についてはそれぞれがどれぐらいの割合で書いたかポール・マッカートニーとの間に見解の相違が見られる。

当初の歌詞にはジョン・レノンが幼い頃にすごしたゆかりの場所の名前などが具体的に入っていたようなのだが、大幅に書き直されることになった。

その結果、いままでの人生で出会った人たちの中にはまだ生きている人もいれば亡くなってしまった人もいるが、そのすべてを愛している、というような多くの人々が共感しうる内容になった。

間奏のチェンバロのようにも聴こえるバロック調のフレーズは、ジョージ・マーティンがバックトラックを半分の速度で再生しながらピアノで弾いたのを早回ししたものである。

The Mamas and Papas, ‘California Dreamin’’

ママス&パパスが1965年12月にリリースしたシングルで、全米シングルチャートで最高4位、全英シングル・チャートで最高9位を記録した。邦題は「夢のカリフォルニア」である。

カリフォルニア州出身のミシェル・フィリップがジョン・フィリップと結婚し、ニューヨークに住みはじめたのだが、あまりにも寒かったりホームシックになっていた頃につくられた楽曲である。

日本では1980年の夏にコダック・カラーフィルムのテレビCMに使われ、オリコン週間シングルランキングで最高13位を記録している。

ウォン・カーウァイ監督の香港映画「恋する惑星」(1994年)では、飲食店の店員役のフェイ・ウォンがラジカセでいつもこの曲をかけていた。

Nancy Sinatra, ‘These Boots Are Made for Walkin’’

ナンシー・シナトラはエンターテインメント界のレジェンド、フランク・シナトラの娘で、同じレーベルからレコードも出していたのだがなかなかヒットせず、契約を打ち切られるかもしれないところだった。

しかし、父親からの依頼でリー・ヘイゼルウッドがかかわるようになると「にくい貴方」の邦題でも知られるこの曲がアメリカやイギリスのシングルチャートで1位に輝き、その後もヒット曲がいくつか生まれた。

リー・ヘイゼルウッドは自分自身で歌うためにこの曲を書き、その強気な内容から女性シンガー向きではないと考えていたのだが、ナンシー・シナトラは自分のような小娘が歌ってこそ真価を発揮すると主張してこの曲をレコーディングし、結果的に大ヒットした。

日本ではとんねるずの石橋貴明とSMAPの中居正広の司会で1996年から長年続いていたTBSテレビの音楽番組「うたばん」のテーマソングとしても使われていた。