ビーチ・ボーイズ「サーフズ・アップ」【Classic Albums】
ビーチ・ボーイズのアルバム「サーフズ・アップ」は1971年8月30日にリリースされ、全米アルバム・チャートで最高29位、全英アルバム・チャートで最高15位を記録した。1960年代にヒット曲を連発していたビーチ・ボーイズだが、この頃になるとセールスは低迷していて、1970年のアルバム「サンフラワー」の全米アルバム・チャートでの最高位は151位であった。その後、ビーチ・ボーイズは新しいマネージャーにサンフランシスコのDJ、ジャック・ライリーを迎え、ウィスキー・ゴー・ゴーでのライブを成功させたてから、新しいアルバムの制作に取りかかった。
当初は「ランドロックド」というタイトルのアルバムになる予定だったが、未完成に終わっていたアルバム「スマイル」のためにブライアン・ウィルソンとヴァン・ダイク・パークスが共作した「サーフズ・アップ」が新たにレコーディング、収録されることになったため、アルバムタイトルもそれになった。ブライアン・ウィルソンは「スマイル」制作の途中で精神的にひじょうに厳しい状態になり、完成を断念したことによる心の傷もあり、この曲の収録に乗り気ではなかったのだが、結局は収録されることになった。ブライアン・ウィルソンがうまく歌うことができなかったため、カール・ウィルソンをリードボーカルとしてレコーディングが行われた。ブライアン・ウィルソンが歌っているバージョンは1967年の時点でテレビでパフォーマンスされていて、なかなか鬼気迫る美しさであった。
ビーチ・ボーイズは1961年にブライアン、デニス、カールのウィルソン兄弟といとこのマイク・ラヴ、友人のアル・ジャーディンによって結成されたグループがバンド名を変えた、というかデビューシングルにいつの間にかクレジットされていたものであり、当初はサーフィンやホットロッドといった若者文化をテーマにした楽曲を次々とヒットさせていた。当時、流行していたいわゆるサーフ・ロックにはインストゥルメンタルの曲が多かったのだが、ビーチ・ボーイズはそれにドゥーワップなどからも影響を受けたコーラスを取り入れたところが新しかったという。ちなみにサーフィンは分かるのだが、ホットロッドというのは当時のアメリカの若者の間で流行していたというカスタムカーのことである。これらのテーマは、ほとんどがデニス・ウィルソンの趣味によるものであり、グループのイメージに反して、ブライアン・ウィルソンをはじめ多くのメンバーはサーフィンをやらなかった。
引き続き、ヒット曲を次々と生み出していたビーチ・ボーイズだが、ブライアン・ウィルソンがソングライターやプロデューサーとしても頭角をあらわしていき、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドから影響を受けるなどして、音楽性は少しずつ複雑になっていた。それでも、基本的にポップであるところが魅力でもあった。ガールフレンドとドライブしていたブライアン・ウィルソンはカーラジオでフィル・スペクターがプロデュースしたロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」を初めて聴いて、衝撃のあまり思わず車を停めたともいわれている。ビートルズの1965年のアルバム「ラバー・ソウル」の革新性にも刺激を受けたりして、ポップ・ミュージックの金字塔ともいえる素晴らしいアルバム「ペット・サウンズ」が完成することになる。ブライアン・ウィルソンはすでにバンドのライブには参加せず、スタジオワークを中心に行うようになっていた。
「ペット・サウンズ」はイギリスでは全英アルバム・チャートで最高2位を記録し、高評価を受けていたのだが、アメリカでは音楽的な変化があまり受け入れられていなく、全米アルバム・チャートでの最高位は10位で、その後にリリースされたベストアルバム「ベスト・オブ・ザ・ビーチ・ボーイズ」の方がよく売れるぐらいであった。ブライアン・ウィルソンはこの状況を不満に感じながらも、より優れたアルバムを目指して「スマイル」を制作するのだが、プレッシャーからかアルコールやドラッグに依存するようになったり、レコーディング中になぜか消防士の格好をするなど奇行が目立つようにもなっていった。そして、「スマイル」の完成は断念されることになったのであった。この時につくられた楽曲は、その後、アルバム「スマイリー・スマイル」やその他の作品において、発表されるようにもなっていくのだが、そのクオリティーはブライアン・ウィルソンが目指していたものとはかけ離れていたような気がする。
「サーフズ・アップ」がレコーディングされた頃も、ブライアン・ウィルソンの状態はそれほど思わしくはなかったため、アルバムには他のメンバーによる楽曲も多く収録されていて、それがバラエティー感につながってもいる。
90年代にポップ・ミュージック史における名盤と呼ばれるアルバムを聴いていこうと考えた場合、ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」は避けては通れなかったような気もする。「ペット・サウンズ」再評価が本格化したのは90年代以降ではなかっただろうか、というような説も時々は見かけるような気もしなくはないのだが、けしてそんなこともなく、個人的には「ペット・サウンズ」のCDを1986年に町田のレコファンで名盤として買ってはいる。元々、ビーチ・ボーイズについては「花の82年組」アイドルでハワイ育ちの早見優が好きなアーティストとして挙げていた影響で、1982年には日本独自編集のベストアルバムを買っていて、よく聴いていたのであった。その頃は「サーフィン・U.S.A.」など初期の曲が好きだったので、「ペット・サウンズ」以降の曲はなんだか暗く感じたりもしていて、それほど好みではなかったのであった。日本における「ペット・サウンズ」の90年代以降の新たな受容においては、フリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」の存在も重要だったように思える。
1993年に「NME」が歴代ベスト・アルバムのリストを発表して、ビートルズ「リボルバー」、セックス・ピストルズ「勝手にしやがれ」、マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」などを抑えてビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」が1位に選ばれていた(1960年代のベスト・アルバムリストでは、「リボルバー」が1位、「ペット・サウンズ」が2位になっていた)。この年の夏にはビーチ・ボーイズのCDボックスセット「グッド・ヴァイブレーションズ」も発売され、なかなか聴き直しやすい状況でもあった。とはいえ、ビーチ・ボーイズのオリジナルアルバムで「ペット・サウンズ」の次にはどれを聴こうと考えたたところ、1993年の「NME」のリストでは46位に「サーフズ・アップ」がランクインしていた。ビーチ・ボーイズのアルバムでは「ペット・サウンズ」以外では、これだけがランクインしていた。1960年代のアルバム・ベスト50のリストでは、「スマイリー・スマイル」が47位に選ばれていた。
それで、ほとんど予備知識もなく、下北沢のイエローポップという中古レコード・CD店で中古CDを見つけたので、1,000円ぐらいでとりあえず買った。ジャケットがひじょうに暗く、なんだかビーチ・ボーイズらしくないなと感じたのだが、内容も思っていたのとはかなり違っていた。ブルース・ジョンストンによる「ディズニー・ガール(1957)」はとても分かりやすくポップでどこか切なさも感じられる曲だったのだが、失われた時代についての郷愁が歌われているようでとても良かった。伊藤銀次の1983年のアルバム「STARDUST SYMPHONY 65-83」に「ディズニー・ガール」という曲が収録されていて、良いタイトルだなとずっと思っていたのだが、先にビーチ・ボーイズのこれがあったのだと知ることができた。タイトルは似ているが、まったく別の曲である。また、1980年に熊本大学の学生だった頃の宮崎美子が水着姿で出演して話題になったミノルタカメラのCMソング、斉藤哲夫「いまのキミはピカピカに光って」のメロディーの一部が、この曲に似ているとも感じた。作詞が糸井重里で作曲・編曲が鈴木慶一という、「ビックリハウス」というかパルコ出版的なライター陣による楽曲で、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録していた。
1曲目に収録された「ドント・ゴー・ニア・ザ・ウォーター」はマイク・ラヴとアル・ジャーディンによる楽曲だが、公害問題をテーマにしているのが特徴である。カール・ウィルソンによる「フィール・フロウズ」にはジャズミュージシャンのチャールズ・ロイドがフルートで参加していて、後に映画「あの頃ペニー・レインと」のエンディングでも使用された。デニス・ウィルソンはジェームス・テイラーなどと共に役者として出演した映画「断絶」の撮影などもあってか、1曲も楽曲を提供していない。
このようにブライアン・ウィルソン以外のメンバーもソングライターやアーティストとして大活躍した「サーフズ・アップ」のアルバムだが、それでもやはり強く印象に残るのは、ブライアン・ウィルソンがソングライティングにかかわった最後の3曲であり、これらはビートルズ「アビイ・ロード」におけるポール・マッカートニーによるメドレーと比較されることもある。
ジャック・ライリーとの共作である「ア・デイ・イン・ザ・ライフ・オブ・ア・トゥリー」、当時のブライアン・ウィルソンの厭世観が反映し、ビーチ・ボーイズの名曲ランキングなどでも上位に選ばれがちな「ティル・アイ・ダイ」、そして、ヴァン・ダイク・パークスとの共作で、カール・ウィルソンがリードボーカルの「サーフズ・アップ」である。
「スマイル」のために「サーフズ・アップ」がつくられた時点ですでにビーチ・ボーイズのサーフィン的なイメージは過去のものとなっていたように思えるが、リリース時にはそこからさらに数年が経過し、ビーチ・ボーイズ自体もすでに旬のバンドではなくなっていたようである。アルバム「サーフズ・アップ」においては、セールス、評価ともにやや復活したようなところもあり、素晴らしいカムバックとして歓迎されてもいたようである。とはいえ、収録曲の「サーフズ・アップ」はアルバムからシングル・カットされたものの、全米シングル・チャートにはランクインしなかった。先行シングルの「ロング・プロミスト・ロード」も最高89位に終わっている。発売されたのがそうだったように、このアルバムを聴くのには、夏の終わりがふさわしいようにも感じられる。