アークティック・モンキーズ「The Car(ザ・カー)」【ALBUM REVIEW】

アークティック・モンキーズ、7作目のアルバム「ザ・カー」が2022年10月21日にリリースされた。2016年のデビューアルバム「ホワットエヴァー・ピープル・セイ・アイ・アム、ザッツ・ホワット・アイム・ノット」が大絶賛されたうえに大ヒットして、2013年のアルバム「AM」ではロックバンドとしての可能性を広げ、バンドにとって2度目のピークを迎えたといえる。そして、その約4年8ヶ月後にあたる2018年5月11日にリリースされたのが、問題作ともいわれる「トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ」であった。ロックがけして主流ではない時代のロックとして最高のアルバムともいえる「AM」の次に一体どのような作品を届けてくれるのかと期待していたところ、それまでの音楽性とはかなり変化した、宇宙的なラウンジポップともいえるようなものになっていたのである。しかし、バンドのボーカリストでソングライターであるアレックス・ターナーの才能はこの実験的ともいえる作品においても卓越していて、概ね高評価を得てはいたのだった。

とはいえ、「トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ」はアークティック・モンキーズにとって、おそらく過渡期的な作品であり、これを糧としたうえでまた新しいロックに回帰するのではないかと、なんとなく思われていたのかもしれない。アークティック・モンキーズ自身もよりロック回帰的な作品をつくるつもりはあったようなのだが、結果的には「トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ」をより深化させ進化したアルバムができあがった。アルバムのジャケットアートワークにはドラマーのマット・ヘルダースが撮影した写真が使われて、建物の屋上駐車場に白い乗用車が1台だけ駐車されている。どうやらトヨタカローラらしい。これがおそらくアルバムタイトルの「ザ・カー」にもつながっているし、1曲目の歌詞にも車は出てくる。

アークティック・モンキーズはインディー・ロックバンドとしてデビューしたが、アレックス・ターナーのソングライターとしての才能には当時から定評があり、より普遍的な楽曲をつくるポテンシャルはマイルドに感じられてもいた。「トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ」ではその良いところが出ていて、アークティック・モンキーズにノリの良いロックを期待するリスナーにはいまひとつだったと思うのだが、バンドとしての可能性を拡張しているという点において、なかなか興味深くも感じられたのであった。当初はシンプルなロックをやっていたのだが、後により複雑で凝ってはいるのものの、ポップスとしても素晴らしい音楽性をやるようになったバンドといえば、分かりやすいところでいうとビートルズやビーチ・ボーイズに思いあたる。こういった音楽はバロック・ポップやチャンバー・ポップなどと呼ばれることもあり、その後も趣味的なバンドやアーティストたちによって継承されたりもしている。アレックス・ターナーがアークティック・モンキーズの課外活動的にマイルス・ケインとやっていたユニット、ザ・ラスト・シャドウ・パペッツの音楽にはバロック・ポップ的な要素も感じることができた。

しかし、ものすごく売れているバンドが骨太なポップ感覚によってこういったタイプの音楽をやることは今日ではほとんど見られなくなったように思える。今回、アークティック・モンキーズの「ザ・カー」というアルバムは、このようなものに果敢にもチャレンジしたようにも感じられ、「トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ」でアイデアやアティテュードの時点で驚かれ評価もされたのだが、実は未消化なところもあったにに実体をあたえたようでもある。アレックス・ターナー以外のメンバーの存在感が薄く、ソロアルバムのように感じられるところもないわけではなかった「トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ」と比較して、「ザ・カー」にはアークティック・モンキーズの特徴の1つでもある低いベースラインをはじめ、バンドのアルバムだということも実感できる。

とはいえ、いわゆる普通のインディー・ロックバンドのレコードとはかなり異なっている。フルオーケストラの演奏がふんだんに使われているところがまず大きな特徴ではあるのだが、曲の雰囲気づくりのために導入しているというよりは、必然性があり一体化しているように思える。そして、アレックス・ターナーのボーカリストとしての進化にも目を見張るものがある。気がつけばアレックス・ターナーも36歳なのだが、良い意味で年相応の成長が感じられる。しかも、いまやイギリスのシェフィールドではなくロサンゼルスで暮らしているわけで、いまさらながらそのことも大きく影響しているように思える。ファルセットを効果的に用いたり、歌声が全体的に表情豊かでニュアンスにとみ、タフでクールでヒューマンタッチを地でいくような感じになっているところがとても良い。

歌詞は全体的に抽象的であり、イメージの連続のようなところがあったりもするのだが、これも現代における意識の流れ(Stream of consciousness)という感じで、なかなか良いものである。喪失感をにじませながら、落ち着いていながらも静かに刺激的なサウンドであったり、時にアークティック・モンキーズなりのファンキーが追求されていたり、前作における音楽性の変化とそれに対する周囲の反応に対する自己言及があったり、聴けば聴くほど楽しみが深まる作品でもある。そして、アークティック・モンキーズはこの時代のロックバンドとしては、やはりとてつもない境地に達する過程にあるのではないか、という思いをさらに強くさせられる。60年代のビートルズやビーチ・ボーイズには間に合わなかった世代の人たちが、リアルタイムで体験したバンドやアーティストとしては、メインストリームでバロック・ポップ的な音楽をやることにおいて、もしかすると最も近いのではないだろうか。