山下達郎「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」の思い出
山下達郎のベスト・アルバム「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」は、1982年7月21日にリリースされた。シティ・ポップの名盤としてもよく知られる「FOR YOU」の発売日がこの年の1月21日なので、そのわずか半年後のリリースということになる。「FOR YOU」はいわゆる「夏だ!海だ!タツローだ!」的な作品の最たるものでもあるのだが、個人的に高校の1学期が終わる少し前に「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」がリリースされ、すぐに旭川のミュージックショップ国原で買ったため、実際にこの年の夏に海で聴いたタツローのアルバムはこちらになってしまったという次第である。そして、「レコード・コレクターズ」2020年7月号の「シティ・ポップの名曲ベスト100 1980-1989」で1位に選ばれた「SPARKLE」は「FOR YOU」の1曲目だったが、「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」には収録されていなかった。1997年にCDで再発された時に、「LOVE SPACE」やプロモーション用音源「9 MINUTES OF TATSURO YAMASHITA」と共にボーナストラックとして追加収録されることになった。
「RIDE ON TIME」「FOR YOU」がオリコン週間アルバムランキングで連続して1位に輝き、山下達郎はこの時点ですっかり人気アーティストとして認識されていたため、このアルバムが「GREATEST HITS!」と呼ばれることにもまったく違和感がなかったのだが、実はジョークのつもりでもあったのだという。確かに収録された12曲のうち、ヒット曲といえるのはオリコン週間シングルランキングで最高3位の「RIDE ON TIME」と最高13位を記録したこの時点における最新シングル「あまく危険な香り」のみであり、「RIDE ON TIME」のアルバムからシングル・カットされ、オリコン週間シングルランキングで最高90位を記録した「MY SUGAR BABE」は収録されていない。とはいえ、1980年にヒットした「RIDE ON TIME」によって山下達郎の存在を初めて知ったようなリスナーも少なくはなかったのだろうか、このベスト・アルバムはオリコン週間アルバムランキングで最高2位のヒットを記録した。
1982年といえば中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美、早見優といった人気女性アイドルが多数デビューし、前年の秋にレコードデビューしていた松本伊代と共に「花の82年組」などといわれていたりもしたのだが、サザンオールスターズが「チャコの海岸物語」で久々にシングルも大ヒットさせたり、忌野清志郎+坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」がオリコン週間シングルランキングで1位に輝いたり、RCサクセション「SUMMER TOUR」もトップ10入りしたり、日本のポピュラー音楽界がひじょうにポップでキャッチーな方向に向かっていた印象があるのだが、山下達郎「FOR YOU」、佐野元春・杉真理・大滝詠一「ナイアガラ・トライアングルVol.2」、佐野元春「SOMEDAY」などのヒットもその流れにあったような気がする。
個人的に高校受験の暗黒的なムードから解放され、一気に気楽になったという事情も影響しているような気もするのだが、「い・け・な・いルージュマジック」のカップリング曲のタイトルではないが、まさに「明・る・い・よ」という感じであった。しかし、本当に誰もがそんなにも明るかったのかといえばそんなことはなく、暗さの片鱗を思わず見せてしまい、自分のそういった部分が明るみになってしまうことにたいして、ひじょうに恐怖していたという側面もあるのかもしれない。それで、とにかく「夏だ!海だ!タツローだ!」的な気分というのは明るさ以外の何ものでもなかったわけであり、これは乗っていくしかないだろうという感じであった。
「RIDE ON TIME」を1980年にマクセルカセットテープのCMで知るまで、地方の公立中学生らしく、山下達郎というアーティストのことはまったく知らなかった。歌謡曲でも演歌でもないので、おそらくニューミュージックと呼んでいいのかもしれないが、それにしてもかなり洗練されていて、あまりにもカッコよすぎるのではないか、というような気はしていた。「FOR YOU」から「SPARKLE」と「LOVE LAND, ISLAND」はテレビのCMでは流れていたのだが、シングルレコードは発売されていなかった。それで、もちろんシングルチャートにもランクインしない。当時、アルバムからある曲を強くプロモーションはするものの、あえてシングルでは発売せずにアルバムのセールスを伸ばすというう戦略があったらしく、山下達郎や松任谷由実はその手法を用いていたような気がする。
「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」を買った時点で、山下達郎のレコードは「FOR YOU」しか持っていなかったので、あの大ヒット曲「RIDE ON TIME」や最新シングルの「あまく危険な香り」が入っているだけでもこのアルバムには買う価値があった。1曲目は「LOVE LAND, ISLAND」で、「FOR YOU」ではB面の1曲目に収録されていた。「目くるめく夏の午後」というのがどのような状態なのかは定かではないのだが、「焼けつく石畳」であり「揺らめく逃げ水」であるわけなので、これぞまさに「夏だ!海だ!タツローだ!」なのである。いま急に思い出したのだが、「FOR YOU」を春休みに買って、4月に高校に入学してから、ナイアガラ関係を好んで聴いている男子たちと友達になった。とはいえ、音楽マニア的だったわけではなく、あくまで流行りの音楽としてモテそうな範囲内でライトに楽しんでいるという感じであった。当時からマニアとかおたくなどと呼ばれがちな人とはほとんど積極的にはかかわっていなく、それは今日においても変わってはいないような気がする。それで、「FOR YOU」のレコードを貸したきり、1学期の終業式まで返してもらっていなかったのだ。カセットテープにダビングをしていなかったので、夏がはじまる最も良い時期に「FOR YOU」を聴けずに過ごしていたわけである。そして、やっと返してもらった終業式の日には、すでに「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」を買っていた。
同じ学級の男女で海にキャンプに行こうという話がひじょうに盛り上がっていて、これこそが正しい青春なのではないかと大いに盛り上がっていたのだが、それほど行きたがらない男子や女子も少なからずいて、さらには父兄からクレームが入り、中止を余儀なくされかねない感じになっていった。ところが、担任の国語教師が説得し、何とか実現するはこびとなった。それで、「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」とビーチ・ボーイズの日本編集のベスト・アルバム「サマー・プレゼント」のカセットテープを持っていったわけだが、これがひじょうに大好評であった。ビーチ・ボーイズは早見優がハワイで暮らしていた頃によく聴いていた、などと言っていたことがきっかけで聴きはじめた。
キャンプには女子はいろいろなタイプの人たちが参加していたのだが、男子はなんとなくツッパリ的な属性を持つ人たちが中心で、弱そうな人たちはほとんど来ていなかった。それで、クラスでも遊んでいる系の女子たちというか、現在でいうところのスクールカースト上位の人たちとカレーをつくったりしてなかなか楽しかった。そして、田原俊彦「原宿キッス」の振りコピを夜の砂浜で披露したりしていた。他校の男子たちがやってきて、どういうきっかけだったのかはよく分からないのだが、たちまちまるで映画のようにケンカがはじまり、何組もの男子たちが1対1で激しい取っ組み合いをはじめていた。女子は絶叫したりもしていたのだが、個人的に痛かったり怖かったりするのはひじょうに嫌なので、もちろん女子と一緒に逃げまわっていて、他校の男子たちも察したのか自分だけには向かってこなかった。
「愛を描いて-LET’S KISS THE SUN-」は1979年のシングルでJALのCMソングだったということなのだが、このベスト・アルバムで初めて聴いた。「君と未来の日々めがけ 光る愛の矢を放とう」「二人の行手にはさえぎるものはない」など、とにかく何の迷いもなく前向きなことだけが歌われていて、この曲を若者向けの音楽として15才の頃に聴けたのはとても良かった。「あまく危険な香り」はTBS系テレビのドラマ主題歌だったということなのだが、オリコン週間シングルランキングで最高12位なのでまあまあ売れていた。よりアダルトな感じでとても良かった。そして、あの大ヒット曲「RIDE ON TIME」である。「ザ・ベストテン」にはランクインしていなく、テレビの歌番組でも見ることがなかったのだが、オリコン週間シングルランキングで最高3位ということなので、これは相当に売れていたわけである。印象としてもシティ・ポップの名曲などというよりは、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」や田原俊彦「哀愁でいと」などと共に、1980年の夏のヒット曲という感じなのである。
「夏への扉」は「RIDE ON TIME」のアルバム収録曲で、ロバート・A・ハインラインの小説がモチーフになっているという。ハヤカワ文庫から出ていて、表紙に描かれていた猫の後頭部が可愛くてとても良かった。それはそうとして、「ビートと連れ立って 君を迎えに戻るだろう」というところで、山下達郎とビートたけしが砂浜を一緒に走っているというビジョンを思い浮かべていたような人は、自分以外にはあまりいなかったであろうという自覚はある。「FUNKY FLUSHIN’」はなんといっても「誰かを誘って聞きにおいでよ これから始まる夜を過ごそう」で「朝までDisco」なわけであり、とにかくひじょうに分かりやすい。ここまでが、このベスト・アルバムのA面である。
B面は「WINDY LADY」からはじまるのだが、急にグッとシブくなったような印象である。1976年のソロ・デビュー・アルバム「CIRCUS TOWN」からの選曲ということで、この時点で6年前の曲なわけだが、古さはまったく感じられず、ただただカッコいいなと思ったのであった。そもそも当時、山下達郎の音楽のようなものをシティ・ポップとは呼んでいなかったような気もするのだが、ファンクだとかR&Bなどの影響を受けているということもあまり分かってはいなく、とにかくとてもカッコいい日本のポップスだと、そのような印象でしか聴いていなかった。「BOMBER」「SOLID SLIDER」などもそんな感じであり、真夜中の感じにとてもよく似合うなと思って聴いていた。「LET’S DANCE BABY」でややスウィートな気分になるのだが、この曲順もとても良い。そして、ラヴバラードの「潮騒(The Whispering Sea)」である。このイントロのキーボードの音色がとても良く、この時点ですでに気分が盛り上がる。
高校の学級では付き合いそうで付き合っていない男女というのもいて、夜になると知らぬ間に消えていたりもするのだが、キャンプファイヤーを囲みながらラジカセからは「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」が流れ、くだらない話を繰り返したりしていると、暗闇の中から2人があらわれたりもした。彼女の方はすぐに女子たちのテントに入っていったのだが、彼は上半身裸の状態で、砂浜に寝そべり、曲は「潮騒(The Whisperin’ Sea)」に変っていた。そして、スピーカーから山下達郎が「風を受けてる君がいとおしく 美しいくちもとに口づける」と歌うと、彼はラジカセのボリュームを少しだけ上げ、ふたたび目を閉じたのだった。
このベスト・アルバムの最後に収録されたのは「FOR YOU」から英語詞の「YOUR EYES」であり、これがまた爽やかでとても良い。これがもし他の曲だと、アルバム全体がより濃密な印象になった可能性もあるのだが、この絶妙なライト感覚がとても良いと感じられる。あとは、このアルバムがリリースされた頃、山下達郎が近藤真彦に書き下ろした「ハイティーン・ブギ」が大ヒットしていたことも思い出される。
この年の秋に山下達郎はRVCからアルファ・ムーンにレーベルを移籍し、翌年に「クリスマス・イブ」を収録したアルバム「MELODIES」をリリースする。それからは大御所感がさらに強まり、バブル景気の盛り上がりと共に大人のポップスとして受容されていくようにもなる。そういった意味で、山下達郎の音楽を一時的にであれ、流行の若者向け音楽として楽しむことができたのはとても貴重だったのではないかというような気もするし、そのピークが個人的には「GREATEST HITS! OF TATSURO YAMASHITA」だったということができる。