ボブ・ディラン「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」
ボブ・ディラン「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」のミュージック・ビデオは、1965年5月8日に撮影された。当時、ボブ・ディランはイギリスツアー中であり、スケジュールは4月30日のシェフィールドを皮切りに、リバプール、レスター、バーミンガム、ニューカッスル、マンチェスターと続いて、5月9日から2日間、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われた公演で終わっている。このビデオが撮影されたのはリバプール公演の翌日であり、場所はロンドンのサヴォイ・ホテルである。
歌詞に出てくる様々な単語が書かれたフリップのようなものをボブ・ディランが次々とめくっていくのだが、ミュージック・ビデオの歴史について語られる時に、よく取り上げられがちである。現在はミュージック・ビデオという言い方がポピュラーで、MVと略したりもするのだが、80年代に開局したMTVの影響でポップソングのビデオが流行しはじめた頃には、プロモーションビデオと呼ぶ場合が多かったような気がする。略してPVとも言っていただろうか。直訳すると販売促進のためのビデオということであり、レコードを売るためにつくられたビデオだと考えると、そう呼ぶことは完全に正しい。マイケル・ジャクソン「スリラー」ぐらいになってくると、すでに売れているレコードのビデオを制作して、カセットそのものも売ってしまうという感じになっていたような気がする。そのうち、プロモーションビデオよりもビデオクリップと呼ぶ方がなんとなくカッコいいというような風潮になっていった記憶がある。「ベストヒットUSA」「SONY MUSIC TV」などはすっかり定着して、ピーター・バラカンの「ポッパーズMTV」のような個性的な番組にも定評があった。島田紳助の「紳助のMTVクラブ」はいつの間にか普通のトーク番組になっていて、「CLUB紳助」にリニューアルされた。テレビ神奈川ではマイケル富岡と妹のシャーリー富岡も大活躍していたり、中村”あ、ごめん”真理は当時から「billboard TOP 40」のVJであった。
「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」はボブ・ディランにとって初の全米トップ40ヒットであり、全米シングル・チャートでの最高位は39位である。有名な「風に吹かれて」や「時代は変わる」はシングルとしてリリースされていたものの、全米シングル・チャートにはランクインしていなかった。それでは、「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」のヒットにはやはりビデオがプロモーションの役割を果たしたのかというと、まったくそんなことはない。この曲のビデオが撮影されたのはレコードがヒットした後であり、一般に公開されたのはさらにその2年後ということになる。このビデオはボブ・ディランのイギリス・ツアーを記録したドキュメンタリー映画「ドント・ルック・バック」のオープニングに使われ、プロモーションにも使われたようだ。監督のD・A・ペネベイカーはボブ・ディランに強い興味や関心をいだいていたわけでもなかったらしく、オファーがあってこの映画を撮ったようである。そのためか、こういったドキュメンタリー作品にありがちな考察や説明のシーンなどがまったく無く、当時のボブ・ディラン周辺の様子がダイレクトに記録されている。それだけに、いまや伝説的に偉大なアーティストとして知られるボブ・ディランが、若かりし頃にはどのような感じだったのかを手軽に知ることができる素晴らしい作品になっている。一言でいうとかなり尊大でカリスマ性に満ちているのだが、それがひじょうに魅力的である。
それはそうとして、この頃、ボブ・ディランは音楽的にはフォークからバンドサウンドに移行していた時期であり、「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」を先行シングルとするアルバム「ブリング・イット・オール・バック・ホーム」もそういった作品になっている。イギリスでのライブではフォーク的な演奏も行われてはいたのだが、同行していたジョーン・バエズとはステージで共演しなかった。当時のフォークファンはバンドサウンドに対して強い抵抗があったようで、フォークロック的な「ライク・ア・ローリング・ストーン」の大ヒット(全米シングル・チャートで最高2位)を経て、翌年にやはりイギリスのマンチェスターで行ったライブの際には、バンドセットでの演奏に対し「ユダ!」、つまり裏切り者とファンから罵られたりもしている。その後、別の観客が「お前の音楽なんか2度と聴かないぞ」というようなことを言い、これに対してボブ・ディランは「信じるかよ」「お前は嘘つきだ」などと返している。この時の音源はなぜかロイヤル・アルバート・ホールでの録音として、長らくブートレグで出回っていたのだが、1998年に「ブートレッグ・シリーズ第4集:ロイヤル・アルバート・ホール」(実際にはマンチェスターのフリー・トレード・ホールでの録音だが)として、公式に発売された。この様子は、マーティン・スコセッシ監督によるドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」で見ることができる。
つまり、「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」のビデオに記録されたボブ・ディランというのは、フォーク界のカリスマからポップ・カルチャーのアイコンへと変わりかけていた頃ということなのだろうか。個人的には当時まだ生まれてすらいないので、この辺りについては想像することしかできない。この曲は日本盤が初めて発売されたボブ・ディランのシングルでもあり、邦題は「ホームシック・ブルース」だったようだ。当時のジャケットには「ウェスタン調ロックにつづる哀愁」などと書かれている。邦題では省略された「サブタレニアン」という単語には「地下の」「隠れた」というような意味があり、ジャック・ケルアックの小説「地下街の人びと(原題:The Subterraneans)」から取ったといわれている。
ジャック・ケルアックはアレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズなどと共にビートニクスとして知られる作家、詩人の1人で、代表作に「路上」がある。その主人公から名前を取ったサル・パラダイスという店がかつて青山にあって、いかにもバブルなムードが漂うパーティーに何度か招待されて行ったような気がする。それはそうとして、この辺りのビートニクスについては、80年代に佐野元春がよく紹介していて、個人的にもその影響で関連の本などを読んでいた記憶がある。佐野元春はデビュー前に、いまやシティ・ポップとして再評価もされている佐藤奈々子の作品にかかわっていたが、共作曲に「サブタレニアン二人ぼっち」というのがある。また、佐野元春が1985年にカセットブックという形式で発売した衝撃のポエトリー・リーディング作品「ELECTRIC GARDEN」には、「再び路上へ」という曲が収録されていた。
ビートニクスの作品の特徴として、ストーリーの構成などよりも、意識が流れるままに言葉を書き連ねてているような自由さが挙げられ、それはジャズのインプロヴィゼーションにも例えられていた。「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の歌詞において、ボブ・ディランはその影響を受けているように思え、分かりやすいメッセージソングというよりは、様々なイメージを連ねていくことによって、何らかの効果を生みだしている。そのスピード感は、後のラップに通じるところもあるかもしれない。
ドラッグを調合していたり、公安から目をつけられていていたり、金が足りなかったり、電話が盗聴されていたりといった状況についてや、型にはまった生き方を選ぶか自由を求めてドロップアウトするか、さらにはリーダーに従わずパーキングメーターから目を離すなとか、サンダルをはかずにスキャンダルを避けろというように、語呂合わせのようでいて何か意味りげでもある、というものまで、言葉とイメージが速射砲のように浴びせかけられる。風向きを知るのに天気予報士はいらない、というようなフレーズも印象的である。これでたったの約2分16秒間である。
ビデオにはビートニクスでボブ・ディランと親交があったアレン・ギンズバーグも映っている。当時、公開された映像の他に、屋上と庭園のようなところでも撮影は行われていて、今日ではこれらも見ることができる。このビデオはティム・ロビンスが右翼的なフォークシンガーで政治家を演じた映画「ボブ・ロバーツ」や、イン・エクセスやアル・ヤンコヴィックのミュージック・ビデオでパロディー化されている。音楽的にはチャック・ベリー「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」や1940年代のスキャットから影響を受けたと、ボブ・ディラン自身によって語られている。
ジョン・レノンはこの曲を聴いた時に、自分にはこれを超えるような曲が果たしてつくれるだろうかと感じたらしく、1980年の亡くなる直前に行われた「プレイボーイ」誌のインタヴューにおいても、この曲の歌詞を引用している。レディオヘッド「OKコンピューター」に収録された「サブタレニアン・ホームシック・エイリアン」のタイトルも、この曲に影響されていると思える。
アメリカでは「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」がボブ・ディランにとって初の全米トップ40ヒットで全米シングル・チャートで最高39位、この年の夏にリリースされた「ライク・ア・ローリング・ストーン」で2位を記録するのだが、イギリスではそれ以前に「時代は変わる」が全英シングル・チャートで最高9位、「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」でも続けて9位を記録していたので、こういうオルタナティヴ的な(ボブ・ディランは今日においてはクラシック・ロックだが、当時としてはオルタナティヴだったのではないだろうか)音楽は当時からイギリスの方が先にチャートの上位に入っていたのだろうか、などということを思わされたりもする(ピクシーズやザ・ストロークスのアルバムのことを思い出すなどして)。