ジェームス・ブラウンの名曲ベスト10

ジェームス・ブラウンは1933年5月3日にアメリカのノースカロライナ州で生まれ、過酷な少年時代を送るが、窃盗で服役中の救護院で知り合ったドナルド・バードやその家族の助けもあって、音楽アーティストとしてのキャリアを本格派させ、1956年にはレコードデビュー、60年代にはそのパワフルなボーカルとファンキーなサウンドで人気を博し、ヒット曲を連発するようになった。80年代以降はヒップホップのアーティストや新しい世代の音楽ファンから再発見され続け、「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」の異名も時代を超えて定着していくことになる。今回はそんなジェームス・ブラウンの楽曲の中から、これは特に名曲なのではないかと思える10曲を挙げていきたい。

10. Funky Drummer (1970)

1970年にリリースされたシングルで、全米チャートでの最高位は51位だが、それ以上にドラム・ビートが数多くのヒップホップ曲でサンプリングされていることで知られる。ジェームス・ブラウンの音楽を主体的には聴いていなかったとしても、この曲のドラム・ビートを耳にしている可能性はひじょうに高い。パブリック・エナミー、N.W.A.、RUN D.M.C.、ビースティ・ボーイズをはじめ、多くのアーティストによってサンプリングされている他に、ザ・ストーン・ローゼズ「フールズ・ゴールド」なども、この曲のドラム・ビートをベースにしている。ヒップホップのポピュラー化によって有名になった、ブレイク・ビーツという言葉をあらわす、まずは典型的なビートだといえる。

9. Please, Please, Please (1956)

ジェームス・ブラウン&ザ・フェイマス・フレイムズとしてリリースした記念すべきデビュー・シングルで、全米R&Bチャートで最高6位を記録している。ゴスペル・シンガーとしてのキャリアを経て、ドナルド・バードが率いるボーカル・グループに亡くなったメンバーに替わって加入したのがはじまりであった。1963年にリリースされたアポロ・シアターでのライヴ・アルバムはベストセラーになったが、この曲はライヴのセットリストにおいてもひじょうに重要な役割を果たしていて、歌った後に力尽きたかのようにステージ上で倒れ、マントのようなものを掛けられて一旦は立ち去りかけるのだが、再び歌い出すというお約束だがとても盛り上がるくだりでもおなじみである。

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8. The Payback (1973)

「The Payback」は映画「ハーレム街の首領」のためにつくられた曲であり、アルバムであったが、プロデューサーから却下されたため、映画とは関係がないオリジナル作品としてリリースされた。全米シングル・チャートでは最高26位、R&Bチャートでは1位を記録している。復讐をテーマにしたひじょうにファンキーな楽曲であり、この曲もまたアン・ヴォーグやメアリー・J・ブライジからケンドリック・ラマーまで、数多くのアーティストによってサンプリングされた。1980年にはこの曲のリメイク版である「Rapp Payback (Where Iz Moses)」もリリースされた。

7. Get Up Offa That Thing (1976)

ディスコ・ミュージックが全盛の時代になると、ジェームス・ブラウンの音楽はすでにメインストリームのトレンドから外れてしまったような感じにもまり、この強靭なファンクネスが感じられる楽曲も全米シングル・チャートで最高45位、R&Bチャートでは4位であった。これでも、1970年代後半では最大のヒットである。この後、80年代にはアフリカ・バンバータと「ユニティ」でコラボレートしたり、「ロッキーⅣ」のサウンドトラックから「リビング・イン・アメリカ」で全米シングル・チャート最高4位を記録したりした。日本では細野晴臣のF.O.E.の楽曲にゲスト参加したり、中村有志がファンキー・キング名義でトリビュート的なことをやったり、バブルガム・ブラザーズが「やっぱJB」という曲を出したり、90年代には日清カップヌードルMISOのCMにジェームス・ブラウン本人が出演し、「ミソッパ」などとシャウトしていたことが思い出される。

6. Cold Sweat (1967)

1962年にレコーディングされていた「I Don’t Care」という曲をベースに、よりファンキーにしていったのがこの曲であり、全米シングル・チャートで最高7位、R&Bチャートでは1位を記録している。当時のポップ・ミュージック界においてはひじょうに画期的なサウンドでもあったらしく、ファンクというジャンルの誕生において、重要な楽曲だともいわれている。ホーンはマイルス・デイヴィス「So What」にインスパイアされているようだ。後にブレイクビートとして使われるようになるドラム・ビートや、メイシオ・パーカーによるサックスソロなども印象的である。

5. I Got You (I Feel Good) (1965)

全米シングル・チャートで最高3位、R&Bチャートでは1位と、ジェームス・ブラウンのすべてのヒット曲の中で、最も高い順位を記録している。タイトルがあらわしているように、いかに気分が良いかということが、ファンキーなサウンドに乗せて歌われている。この曲もヒップホップの楽曲でサンプリングされがちだが、演奏部分よりもイントロでのジェームス・ブラウンのシャウトの方がよく使われているような印象がある。

4. Say It Loud – I’m Black and I’m Proud (1968)

アメリカ社会に残存する人種差別に抵抗すべくメッセージが込められた、エンパワーメント的な楽曲で、全米シングル・チャートで最高10位、R&Bチャートでは1位を記録した。コール&レスポンスが効果的に用いられていて、特に印象的である。この曲はアルバム「ソウルフル・クリスマス」にも収録されるのだが、ジェームス・ブラウンといえばクリスマスに貧しい子供のためのチャリティーを行っていたことでも知られている。ポップ・ミュージック界に多大なる影響と素晴らしい作品の数々を遺し、天国に旅立ったのも2006年のクリスマスのことであった。

3. It’s a Man’s Man’s Man’s World (1966)

タイトルは1963年の映画「おかしなおかしなおかしな世界」(原題:It’s a Mad, Mad, Mad, Mad World)」をもじったものらしいのだが、この世界は男によって動かされてはいるが、女がいなければまったく何の意味もない、というようなことが熱く歌われている。歌詞は当時のジェームス・ブラウンのガールフレンドでもあった、ベティ・ジーン・ニューサムによってほとんどがつくられたともいわれているようだ。ひじょうに盛り上がるバラードであることなどから、ライブでも定番曲として歌われていた。

2. Papa’s Got a Brand New Bag (1965)

ジェームス・ブラウンの音楽がファンク化していった初期の頃の楽曲であり、全米シングル・チャートで最高8位と初のトップ10入りを果たし、R&Bチャートでは1位を記録した。タイトルが歌詞として歌われる直前のギターのフレーズがひじょうに印象的で、後にファンキーなタイプの様々な楽曲で引用されることになる。タイトルや歌詞に出てくる「Bag」とはカバンのことではなく、流行やトレンドといった意味であり、ここではダンスを指しているようである。

1. Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine (1970)

ジェームス・ブラウンの代名詞ともいえる「ゲロッパ」と聴こえなくもないフレーズを含んだ楽曲であり、全米シングル・チャートで最高15位、R&Bチャートでは2位を記録している。それにしても、「セックス・マシーン」とはすごいタイトルである。内容もつまりはそういうことなのだろうが、このカッコよさには抗いがたいものがあり、他のどの曲にも代替不可能なエナジーが溢れている。バックバンドにJBズを迎えてレコーディングされた、最初の楽曲でもあるという。「ゲロッパ」と聴こえなくもないところの歌詞を確認すると単に「Get up」となっていて面食らうのだが、起き上がれとか立ち上がれというような意味であり、曲全体として日本のロック&ポップスで近いのはRCサクセションのアルバム「FEEL SO BAD」に収録された「腰をふれ」あたりなのではないか、と思えたりもする。子供の頃に生まれて初めてソウル・ミュージック的なシャウトにふれたのは志村けん「東村山音頭」における「ワーオ」というやつだったのではないかという気がするのだが、あれもまたソウル・ミュージックの熱心なファンであった志村けんがジェームス・ブラウンをヒントにしたものだったという。