ブラー「パークライフ」
ブラーの3作目のアルバム「パークライフ」がリリースされたのは1994年4月25日であり、ニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなった20日後、オアシスが「スーパーソニック」でデビューした14日後、ナズ「イルマティック」が発売された6日後ということになる。当時、付き合っていた人が国内盤のCDをすでに買っていて、部屋でよく再生していたため、自分のお金で買うよりも先にわりと慣れ親しんでいた。その分、思い入れがそれほど強くもなかったし、2作目のアルバム「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」の方が好きでもあったのだが、ポップ・アルバムとしての強度ではやはりこの「パークライフ」の方がずっと上だということは、聴く度に思い知らされる。
デーモン・アルバーンが1988年に結成したサーカスというバンドがブラーの前身となるのだが、1990年にはシングル「シーズ・ソー・ハイ」でデビューを果たす。当時、ストーン・ローゼズやハッピー・マンデーズなどを中心としたマッドチェスター・ムーヴメントが盛り上がっていて、インディー・ロックにダンス・ビートを掛け合わせた、インディー・ダンスなどとも呼ばれる音楽が流行っていた。ブラーの2枚目のシングル「ゼアズ・ノー・アザー・ウェイ」もそういったタイプの楽曲であり、全英シングル・チャートで最高8位のヒットを記録した。ブームに便乗した後発バンド的な印象は否めなかったのだが、デビュー・アルバム「レジャー」も全英アルバム・チャートで最高7位を記録するなど、なかなか好調であった。
しかし、1992年にリリースしたよりロック的なシングル「ポップシーン」は全英シングル・チャートで最高32位と期待したほど売れず、その後、バンドは借金返済などのためにアメリカをツアーすることになる。その時の状況がいろいろな意味で良くなかったらしく、しかも時代はニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の大ヒット以降で、グランジ・ロックの大ブームであった。ここで極度のホームシックに陥るなどしたブラーは、その後、デフォルメされたイギリスらしさを特徴とするアルバム「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」をリリースすることになる。全英アルバム・チャートでの最高位は15位と前作よりも下がったのだが、音楽評論家やインディー・ロックファンからの評価はわりと高く、一時は一発屋としてこのまま消えてしまうのではないかとも思われていたブラーは、見事に復活を果たしたように思われた。
「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」がリリースされた1993年当時、イギリスではこの前の年にシングル「ザ・ドラウナーズ」でデビューしたばかりのスウェードに人気が集中し、デビュー・アルバム「スウェード」は全英アルバム・チャートで初登場1位に輝いた。これ以外にも新人バンドのレディオヘッドがシングル「クリープ」をアメリカのカレッジ・ラジオでヒットさせ、逆輸入的にイギリスでも全英シングル・チャートでトップ10入りしたり、1970年代から活動するベテランバンドのパルプが苦節の末に正当に評価され、メジャーレーベルと契約をするなど、イギリスのインディー・ロックが勢いづいてもいた。その中心にいたのはやはりスウェードなのだが、元メンバーでボーカリスト、ブレット・アンダーソンの恋人でもあったというエラスティカのジャスティーン・フリッシュマンが現在はデーモン・アルバーンと付き合っているとかで、スウェードVSブラーの構図というのも一部で盛り上がったりした。
デフォルメしたイギリスらしさが特徴であった「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」に合わせ、ブラーは宣材写真的なものでジャケットを着るなどして、「ブリティッシュ・イメージ」を強調したりもしていた。ザ・キンクスやスモール・フェイセスからの影響も感じられる、その音楽性も当時としてはひじょうにユニークであり、伝説のディスク・ジョッキー、ジョン・ピールから絶賛されたりもしていた。後にブリットポップと呼ばれることにもなる、90年代のイギリスのインディー・ロックの盛り上がりにおいて、ひじょうに重要なアルバムであったということもできる。
1994年の春に当時、付き合っていた女子大生が友人とイギリスに旅行に行って、現地で「ロッキング・オン」の宮嵜広司に会ったなどと言って、盛り上がっていた。テディベア売り場の店員は、ハニーポット付きであることを強調しがちだったという情報も得た。この時に、プライマル・スクリーム「ロックス」のシングルCDやモリッシーのファンジン的なものなどをお土産でもらったのだが、テレビでブラーがジャージにスニーカーで、ディスコソングのような新曲を歌っていた、という話も聞いた。その前のアルバムが「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」で、ジャケットを着て「ブリティッシュ・イメージ」だったはずなのに、ジャージにスニーカーでディスコソングとはどういうことなのだ、と思ったのだが、それを聴くのが楽しみにもなった。現在のようにインターネットやスマートフォンなどがあったわけでもないので、その時点では確認するすべもなく、早くCDを手に入れるか「BEAT UK」でビデオがオンエアされるのを待つ以外になかった。
そのディスコソングとやらが、つまりは「ガールズ&ボーイズ」だったわけだが、確かにそのシンセ・ポップ的な楽曲には意外性がありながらも、らしさ満載でもあり、とても良かった。シングルCDのジャケットは、コンドームのパッケージをパロディー化したものだということであった。やはり「BEAT UK」で見たニュージックビデオにも、享楽的な気分が溢れていてすぐに気に入った。このシングルは全英シングル・チャートで最高5位を記録し、この時点では「ゼアズ・ノー・アザー・ウェイ」での8位を上回り、ブラーにとって過去最大のヒット曲となった。ちなみにこの少し前にリリースされたスウェード「ステイ・トゥゲザー」が全英シングル・チャートで最高3位、少し後に出たオアシス「スーパーソニック」が最高31位であり、最新シングルの最高位だけから判断するならば、人気はスウェード、ブラー、オアシスの順であった。ブリットポップ4大バンドのもう1組、パルプの「初体験はどんな感じ?」は「ガールズ&ボーイズ」と「スーパーソニック」との間にリリースされ、全英シングル・チャートでの最高位は33位であった。
このような過程を経てリリースされたアルバム「パークライフ」は、全英アルバム・チャートでブラーにとって初の1位に輝き、ブリットポップを代表する名盤といわれるようにもなった。「ガールズ&ボーイズ」や「ロンドン・ラヴズ」「トラブル・イン・ザ・メッセージ・センター」などにはシンセ・ポップやニュー・ウェイヴ的な要素も感じられるのだが、それ以外の曲は「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」のデフォルメしたイギリスらしさの延長線上的にあるように思えたりもする。とはいえ、より分かりやすく、ポップスとして骨太になっているようなところはあって、個人的にはやはり「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」の方が好きだとはいえ、ブラーの最高傑作といえばやはりこれなのではないかと確信させられる。
「ガールズ&ボーイズ」の次のシングルとしてカットもされた「トゥー・ジ・エンド」には、ステレオラブのレティシア・サディエール、その次にシングル・カットされ、全英シングル・チャートで最高10位を記録した「パークライフ」には、モッズ映画「さらば青春の光」に主演していた俳優のフィル・ダニエルズがゲスト参加し、アルバムをよりカラフルなものにしている。そして、アウトロ的なインストゥルメンタル曲「ロット-105」を除くとアルバムの最後に収録されたバラード「ディス・イズ・ア・ロウ」が感動的に素晴らしく、デーモン・アルバーンのシンガー・ソングライターとしての新境地が実感できたりもする。この曲は4枚目のシングルとしてカットされるかもしれなかったのだが、結局は「エンド・オブ・ア・センチュリー」になったということである。しかし、2000年にリリースされたベスト・アルバム「ザ・ベスト・オブ」には、シングル曲以外では唯一、収録されている。
アルバムから最後のシングルとしてリリースされた「エンド・オブ・ア・センチュリー」には、リリース時にはまだ先に控えていた20世紀末を意識した気分が感じられ、懐かしくもある。心ははダーティーになっていく、君が30代(サーティー)が近づくにつれて、というような韻の踏み方に軽く感激したり、世紀末なんて別に特別なことではない、というような内容に、いとうせいこう「噂だけの世紀末」を思い出したりもしていた。冒頭のカーペットに蟻がいるくだりを含め、当時のデーモン・アルバーンとジャスティーン・フリッシュマンが一緒に暮らしていた時の状況が日常として歌われているのだが、世紀末が来る前に別れることになり、1999年にはその悲痛さに溢れたアルバム「13」をリリースすることなどを思うと、また感慨深かったりもする。ある関係の終わりを美しくスタイリッシュに描いた、「トゥー・ジ・エンド」もまたしかりである。