オアシス「スーパーソニック」
オアシスのデビューシングル「スーパーソニック」は1994年4月11日に発売されたのだが、日本国内のCDショップに何日に入荷したのかは定かではない。この頃は春から広告代理店で仕事をはじめたばかりで、個人的にいろいろ環境が変わっていたわけだが、土曜の午後には基本的に当時付き合っていた女子大生と渋谷に買物に行っていた。買物といっても基本的に本かCDにしか興味がなかったため、そこはひじょうに不評であった。
「スーパーソニック」が発売される2日前にあたる4月9日も土曜日だったため、やはり渋谷に行っていたはずである。というか、間違いなく行っていた。その日のことだけは、よく覚えているからである。渋谷に着くとまずは渋谷ロフトの1階にあったWAVEに行くわけだが、そこで「NME」の最新号とニューリリース系のCDを買う。入ってわりとすぐのところにイギリスのインディー・ロックの新作などがまとめて陳列されたコーナーがあり、「NME」もそこに置かれていた。いつものようにその辺りのコーナーを適当に見ていたところ、店内のスピーカーからニルヴァーナ「ネヴァーマインド」に収録されたシングルでもないやたらと激しめの曲が流れてきて、ニューリリースでもないのに何事かと思った。演奏中のCDジャケットを映し出す小さなモニターを見上げると、当然、「ネヴァーマインド」のジャケットが映っていたのだが、そこには「カート・コバーン自殺」というような手書きのコメントカードが添えられていた。それで、その件を初めて知った。
カート・コバーンについてはその少し前にもツアー中にオーバードーズというような話題があったりもして、このような結末に意外性もそれほどなかったのだが、そうなってしまったかという思いと同時に、これで伝説化されていくのではないかという気も、なんとなくしていた。その週の「NME」の表紙はパルプのジャーヴィス・コッカーとジョー・ブランドという女性コメディアンであった。人気アニメ「ビーヴァス&バットヘッド」も載っていた。
東急ハンズの向かい側のCISCOなどに向かっていく方のビルの2階に、モボ・モガというカフェレストラン的な店があり、土曜日のランチによく利用していたのだが、その日も普段からの流れでそうしていた。カレーかハンバーグかパスタを注文したと思うのだが、いずれにしてもとてもおいしかったと思う。そして、アイスミルクティーは大きなビーカーのようなものに入って提供されていた。本来ならば会話などに集中するべきなのだが、我慢できずに「NME」を開いてしまい、最初に見るのはアルバムとシングルのレヴューであった。オアシス「スーパーソニック」がレヴューされていたのは、まさにその号である。
1991年の秋にリリースされたニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の大ヒットをきっかけに、アメリカのグランジロックがひじょうに盛り上がったのだが、その陰鬱でネガティヴにも感じられるクールネスがトレンド化するようにもなっていた。イギリスのインディー・ロックではマッドチェスターが終息し、元気がなくなっていたようなところもあったのだが、1992年にデビューしたスウェードあたりから少しずつ盛り返していき、レディオヘッドやパルプなどの人気も高まっていった。マッドチェスターの末期にインディーロック的な音楽性とアイドル的なルックスで人気が出たブラーは一時的に失速するが、1993年にはデフォルメされたイギリスぽさのようなものがとてもユニークなアルバム「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」で高評価を得る。スウェードはデビューアルバムが全英アルバムチャートで初登場1位になるなどひじょうに盛り上がり、後にブリットポップと呼ばれるようになるシーンの形成において、ひじょうに重要な役割を果たした。
ブラーは1994年に享楽的でディスコなダンスポップシングル「ガールズ・アンド・ボーイズ」をヒットさせ、収録アルバム「パークライフ」は全英アルバム・チャートで1位に輝く。その少し前に「スーパーソニック」でオアシスがデビューするのだが、全英シングル・チャートでの最高位は31位であった。当時、こういったタイプのバンドのデビューシングルとしてはまあまあ売れた方かもしれないのだが、いきなり大ヒットという感じではなかった。とはいえ、「NME」「メロディー・メイカー」といったイギリスのインディーロック系メディアではすでにかなり話題になってはいた。
90年代に入ってから、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン「ラヴレス」、プライマル・スクリーム「スクリーマデリカ」、ティーンエイジ・ファンクラブ「バンドワゴネスク」、ライド「ノーホエア」といった、歴史的名盤級の素晴らしいアルバムを出しまくっていたクリエイション・レコーズが新たに契約した新人バンドという話題性は、少なくともイギリスのインディー・ロックファンの間ではかなりのものであった。この年、「NME」の2月12日号にはクリエイション・レコーズのカセットテープが付録として付いていたのだが、これにはブー・ラドリーズ、ティーンエイジ・ファンクラブ、シュガー、ライドの曲と共に、まだデビュー前であったオアシスの「シガレッツ&アルコール」も収録されていた。後にデビューアルバム「オアシス」に収録されているものよりも、T・レックス「ゲット・イット・オン」に似ている感じだったような気がする。
パンク/ニュー・ウェイヴ以降のインディーロック的なポップ感覚を持ちながら、クラシックロック的な楽曲を考えられる限り最高のクオリティーでやっているというのが、オアシスの圧倒的な新しさであり、それは多くの人々によって共有されていたように思える。それは確実に存在していたことに違いはなく、60年代リバイバルだということにして安心したい人たちには何一つまったく感じられていなかったのではないかと考えられる。それはまあ別にいいのだが、言うべきことが特にないことについては何も言わないに限る、ということである。知らんけど。
モボ・モガで料理が来るのを待っている間に、軽く目を通した「NME」のレヴューを読む限りだと、「スーパーソニック」にはひじょうに期待が持てる。インターネットも庶民には普及していなく、スマートフォンなども世に出る遥か以前の話であり、発売前のイギリスの新人バンドの音源を事前に聴くことのハードルはなかなか高かったともいえる。それだけに、いくつかの情報によって期待をふくらませ、レコードやCDを買ってはじめて聴く音楽というのも、当時はけして珍しくはなかった。期待外れな時もあるのだが、期待を大きく上回っていた時の感激というのはなかなかのものであった。
翌週もやはり渋谷に行ったのだが、「NME」の表紙はカート・コバーンのモノクロの写真であった。そして、オアシスの「スーパーソニック」はWAVEにも入荷していた。CDシングルのジャケットでリアム・ギャラガーは不敵な表情を浮かべていた。早く聴くのが楽しみである。帰宅して聴いてみて、やはりこれはかなり良いなと感じた。インディーロック的なアティテュードではあるのだが、ソングライティングのクオリティーがひじょうに高いというか、クラシックロックの名曲にも匹敵するようなところがあるように感じられた。ニール・ヤング「シナモン・ガール」あたりを思い出したりもした。
歌詞についてはそれほど意味がないともいわれているのだが、タイトルの「スーパーソニック」とは超高速とかそういった感じだろうか。これと「ジン・アンド・トニック」、日本では「ジントニック」と呼ばれるカクテルの名前とで韻を踏んでいるところがとても良い。歌い出しのフレーズが「I need to be myself」であり、つまり直訳すると、自分自身である必要がある、というような生きることについてのスタンスそのものの表明であるところも、デビューシングルに相応しいように思える。とはいえ、オアシスのデビューシングルには当初、「ブリング・イット・オン・ダウン」が予定されてもいたのだが、レコーディングセッション時にノエル・ギャラガーが短時間で書いた「スーパーソニック」の方がかなり良いということで、こっちになったようだ。
オアシスは曲や演奏やボーカルが良かったのだが、リアムとノエルのギャラガー兄弟にインタヴュー記事におけるケンカで会ったり、ワーキングクラス的なキャラクターの立ち方などにもひじょうに魅力があって、音楽バンドの域を超えて、早くもポップカルチャー的にもなりかけていた。それは、実は戦略でもあったらしく、露出するメディアの選択などには気をつかったともいわれる。当時、インディーロックといえば、モテない惨めな人たちが聴く音楽という印象もなきにしもあらずだったのだが、これをクールでトレンディーなものにしてしまったところがやはりすごいし、それにはメンバー、特にギャラガー兄弟のスターとしての魅力であったり、何よりも圧倒的な曲の良さが寄与していたことは間違いがない。
「シェイカーメイカー」が11位で「リヴ・フォーエヴァー」が10位と、シングルをリリースする度に全英シングル・チャートでの最高位が上がっていき、これらを収録したデビューアルバム「オアシス」は初登場1位に輝いた。「NME」に掲載された「スーパーソニック」のレヴューをモボ・モガで読んでいた時に一緒にいた女子大生とは、夏が来る前に別れてしまうのだが、チケットを取ってもらっていたので、9月に行われた渋谷クラブクアトロでの初来日公演には一緒に行った。すでに「リヴ・フォーエヴァー」では合唱が起こるぐらいには、盛り上がっていたはずである。
オアシスというバンド名も初めて聴いた時にありそうでなかったと、印象に残ったのだが、いまやバンドのことが真っ先に浮かんでしまう、このオアシスという単語に対する印象は、それ以前には砂漠の中で水が湧いているところだったし、温泉リゾートのようなところにそういった名前がついている場合も少なくはなかったように思える。「都会のオアシス」などという言い回しもよく耳にした記憶があるが、1994年以降はギャラガー兄弟を中心とするあのバンドと無関係にこの単語のことを考えるのがほぼ不可能になった。
渋谷のモボ・モガはその後、MOGA cafeにリニューアルされ、2022年4月現在も営業しているのだが、数年前に懐かしく思い、久々に訪れたところ、偶然にもオアシスの「リヴ・フォーエヴァー」が流れたのには驚かされた。ベーコンエッグハンバーグカレーが、個人的にはとても気に入っている。