大滝詠一「A LONG VACATION」

1981年3月21日は中学校の春休みで、土曜日だったのでおそらく「お笑いスター誕生‼︎」(アゴ&キンゾーが3週目の勝ち抜きで銅賞を獲得)を見た後で、自転車に乗って旭川の市街地まで行ったのではないかと思う。当日の旭川の天候は曇りのち晴れ、最高気温は6.1°だったようだ。3月の後半でこんなにも寒かっただろうか、40年前はこれぐらい寒かったということなのだろうかと思い、今年の3月21日の旭川の天気予報を調べてみたところ、天候は雪で最高気温は4℃ともっと寒かった。

それはそうとして、1981年の3月21日といえば旭川のミュージックショップ国原にまだビルボードのチャートが載った紙を取りには行っていないが、「オリコン・ウィークリー」は買いに行っていた。レコードの売上ランキングの他にもいろいろ載っていて、大滝詠一の「君は天然色」は確かラジオ放送回数のランキングで上位に入っていたような印象がある。

はっぴいえんどやその後のソロ・アーティストとしての作品、CMソングなどその時点で大滝詠一はすでに重要な足跡を日本のポップ・ミュージック界に残していた訳ではあるが、基本的にはヒットチャートを追いかけているだけの中学生だった私にはまったく未知の存在であった。少なからず接点があったとすれば、好きで劇場に見に行っていたアニメ映画「がんばれ‼︎タブチくん‼︎」シリーズ第2弾以降のエンディングテーマ「がんばれば愛」を大滝詠一が作曲していたことぐらいだろうか。

なんだかよく知らないのだがなんとなく話題になっていて、ラジオでもよく聴くような気がするというような印象だったのだが、爽やかな感じのする音楽だなとは感じていた。

中学校の修学旅行があったのは確か5月の半ば以降で、部屋のテレビではスタートしたばかりの「オレたちひょうきん族」が流れていたような気がする。宴会ではクラス対抗の演芸大会のようなものがあり、当時、大ヒットしていた寺尾聰「ルビーの指環」の形態模写をやる者などもいたが、私は「お笑いスター誕生‼︎」でグランプリを獲得したばかりで注目されていた九十九一の一人コントのようなものを半煮えの状態でやろうとして盛大にすべった。

帰りに旭川駅前で解散となったのだが、その後、友人と駅前の平和通買物公園をぶらついたりした。私はシーナ・イーストン「9 to 5(モーニング・トレイン)」のシングルを買ったのだが、その時、最近は大滝詠一というアーティストのことが気になっているが知っているか、などという会話をしたことを覚えている。

「A LONG VACATION」は発売されてすぐにものすごく売れた訳ではなくて、じわじわと売れていき、気がつけばオリコン週間アルバムランキング最高2位、年間でも寺尾聰「リフレクションズ」に次ぐ2位という大ヒットを記録していた訳である。この時点で大滝詠一はテレビにも出ず、シングルが大きくヒットした訳でもない、過去に評価が高い作品はたくさんあったと思われるが、一般大衆的なヒット作というのはほとんど無かったのではないだろうか。にもかかわらず、「A LONG VACATION」はどうしてこんなにも売れたのだろうか。音楽マニアがこぞって買っただけで達成できるセールスではなく、国民的ヒットアルバムといって良いほどの規模感であった。

上記のような考察のようなことをやんわりとやっていると、当時はオールディーズリバイバル的な空気感が世の中に漂っていて、一方でベストセラーになった田中康夫の小説「なんとなく、クリスタル」に見られるような、AORのような都会的で大人っぽい音楽がカッコいいとされてもいた。この前の年の日本のポップ・ミュージック界のトピックといえばYMOを中心とするテクノポップ、そして、松田聖子、田原俊彦のブレイクによるアイドルポップスの復権が挙げられるが、山下達郎が出演したカセットテープのCMソングでもある「RIDE ON TIME」のヒット(オリコン週間シングルランキング最高3位)により、シティ・ポップと後に呼ばれるような音楽がお茶の間に浸透しはじめたりもした。

このような時代の気分のようなものを無意識的にも最大公約数的かつ絶妙なバランスで掬い上げ、欲望をマイルドに満たす機能が奇跡的にこの作品に備わっていたのではないか、とかそんなことを感じたりもしたのだが、実際のところはどうなのだろうか。

いずれにせよ私は「A LONG VACATION」をいわゆるその時代の流行りものとして捉えていて、それゆえに好きだったことは間違いない。しかも、買ったのは発売から1年以上経った1982年の春であった。「A LONG VACATION」の丁度1年後に発売された「ナイアガラ・トライアングルVol.2」よりも後ということである。あのアルバムは大好きな佐野元春が参加していたから買ったのであり、それに収録されていた大滝詠一の曲も良かったし、なんとなくこれは買っておかなければいけないのではないかというような気がしたので、「A LONG VACATION」も買った。高校の入学祝いにはシステムコンポというレコードやカセットテープやラジオを聴くためのステレオを買ってもらったのだが、家に届いてから最初に再生したレコードが「A LONG VACATION」であった。

レコードに針を落とすと最初にスピーカーを震わせる音はピアノであり、他にも何かいろいろな楽器の音がしている。このアルバムは架空のコンサートを想定していて、これは1曲目を演奏する前のチューニングなのだという。「A LONG VACATION」と同じ日にリリースされた「君は天然色」もシングルでは、この部分がカットされているということである。そして、ドラムスティックのカウントに続き、あのポップスの魔法が宿っているかのような躍動感あふれるイントロがはじまる。

「A LONG VACATION」を音楽に対する知識量やリスナー歴がまだまだ浅い中学生の頃にはじめて聴いてよかったと、自分では思っている。「A LONG VACATION」にはそれまでのポップ・ミュージック史の様々な要素が参照され、引用されてもいるところが多々あるのだが、それらを日本のポップ・ミュージックというフォーマットに落とし込み、しかも大ヒットさせてしまったというところが実にすごい訳でもある。たとえばこの時点ですでにこれらの音楽に親しんでいたならば、その参照や引用のセンスを実に面白いものとして楽しむことができたに違いない。しかし、当時の私はまったくそうではなく、それゆえにこの他の日本のポップ・ミュージックとは明らかに違うのだが、何だかとても良い音楽は何なのだろう、どうやったらこのような音楽ができるのだろう、などと感じることができたのかもしれない。それゆえに私はたとえばフリッパーズ・ギター「カメラ・トーク」が世に出た時に14歳ぐらいで夢中になった人達のことをとても羨ましく思ったりもするのである。

「A LONG VACATION」のことを当時、シティ・ポップと呼んでいたかというと、おそらく呼んでいなかったような気もするのだが、ここら辺については断言するほどの自信はない。とはいえ、当時、中学生や高校生で大滝詠一「A LONG VACATION」や山下達郎「FOR YOU」(1982年1月21日)といったレコードを聴く場合、そこにはカッコいい大人に対する憧れというような感覚があった。佐野元春「SOMEDAY」(1982年5月21日発売)などに対しては、少し年上のイカした兄貴という感じだっただろうか(実際には10歳も年上だった訳だが)。

「君は天然色」は実にポップでキャッチーな楽曲であり、当時、シングルでそれほどヒットした訳ではないけれども(アルバムと同時発売でオリコン週間シングルランキング最高36位というのはまあまあのスマッシュヒットだとは言えなくもないけれど)、その後、多くのテレビCMに使われるなどして、いまや日本のポップ・ソングクラシックスの1曲としてすっかり定着しているように思える。

「BREEZEが心の中を通り抜ける」というアルバムのキャッチコピーがあらわしているように、「A LONG VACATION」には爽やかな夏のイメージがあり、そのはじまりがこの「君は天然色」である。ひじょうにポップで爽やかな曲ではあるが、その内容はそれほど明るくはない。現在は想い出の中にしかいない人のことを忘れることができず、彼女がいた過去は「しゃくだけど今より眩しい」というようなものである。しかし、これをこのようなポップで爽やかな楽曲として歌っているところが実に素晴らしいな、と感じるのである。

「A LONG VACATION」が発売された1981年には漫才ブームの余韻はまだ続いていて、この年の元旦に発売されたザ・ぼんち「恋のぼんちシート」はオリコン週間シングルランキングで最高2位の大ヒットを記録した。この曲ははっぴいえんどのことはフォークだと思っていて、仲よくしようとは思わなかった、というようなことを言っている近田春夫である(内田裕也一派なのでさもありなんという感じではある。個人的に近田春夫&ビブラトーンズの「ミッドナイト・ピアニスト」もまた、1981年の名盤であるとは強く感じているところではある)。同じ日に放送を開始した(第1回は録音だったが)「ビートたけしのオールナイトニッポン」が大人気となる。

ビートたけしが一時期、コミックバンドをやろうという話になって、そのネタをリスナーからハガキで募集するというコーナーがあった。深夜のテンションというのもあり、キャロル「ファンキー・モンキー・ベイビー」の「君はFunky Monkey Baby」というところを「君はフランキー堺」とかいう酷いものが採用されていた(太平サブロー・シロー「稲妻ベイビー」などはこれとほぼ変わらないようなものではあるが)りのした。そんな中、秀逸だと感じたのは大滝詠一「君は天然色」の印象的な歌い出し「くちびるつんと尖らせて 何かたくらむ表情は」をもじった、「くちぶるつんと尖らせて 何かたくらむ清張は」というものであった。この「清張」というのは当時のベストセラー作家、松本清張のことであり、確かにくちびるをつんと尖らせているように見えていた。ビートたけしの反応がいまひとつだったのは深夜のテンションに合っていなかったのか、それとも「君は天然色」が元ネタとしては知名度的に弱かったからなのか、それでも番組の単行本にも掲載されていて、松本清張の似顔絵のようなイラストまで添えられていたと思う。

それにしても「天然色」というのはカラーということであり、「モノクローム」と対比されているのだが、この写真のイメージは前の年に宮崎美子のCMがヒットした「いまのキミはピカピカに光って」だとか、モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」が使われリバイバルヒットの要因ともなったコダックフィルムのCMを思い起こすようなところもある。昔の映画で「総天然色」というようなコピーがあったように、この言葉そのものはどこかレトロな雰囲気を漂わせるものであった。

あとは、「渚を走るディンギー」とは一体何なのだという問題もあるのだが、「ディンギー」とはキャビンのない簡素なヨットのようなもののことらしい。この曲と同じ松本隆が作詞した松田聖子「白いパラソル」(1981年7月21日発売)には「風を切るディンギーでさらってもいいのよ」というフレーズがあり、やはり「ディンギー」が登場している。

この曲を収録した松田聖子のアルバム「風立ちぬ」は「A LONG VACATION」の7ヶ月後にあたる1981年10月21日に発売されているが、このアルバムではヒットした表題曲をはじめ、A面の5曲(「冬の妖精」「ガラスの入江」「一千一秒物語」「いちご畑でつかまえて」「風立ちぬ」)を大滝詠一が作曲・編曲(クレジット上は作曲が大瀧詠一で編曲が多羅尾伴内)している。それぞれの曲が「A LONG VACATION」収録曲に対応していて、裏「A LONG VACATION」的な楽しみ方もできるようになっている。「いちご畑でつかまえて」と「FUNx4」とをマッシュアップした音源を大滝詠一がつくり、それを自身のラジオ番組でかけたりもしていたのだが、これは2020年にリリースされた松田聖子のアルバム「SEIKO MATSUDA 2020」に「いちご畑でFUNx4」として収録されたのだが、配信版からは除外されている。「白いパラソル」の作曲は財津和夫で、B面の3曲目に収録されている。この曲の編曲は大村雅朗だが、B面の他の4曲を編曲しているのは、このアルバムの収録曲すべての作詞者である松本隆、A面全曲の作曲・編曲者である大滝詠一らと共にはっぴいえんどのメンバーであった、鈴木茂が手がけている。

もう一人のはっぴいえんどといえば細野晴臣だが、松田聖子には1983年4月27日発売の「天国のキッス」以降、楽曲を提供するようになる。細野晴臣が在籍していたYMOことイエロー・マジック・オーケストラ「君に、胸キュン。」のオリコン週間シングルランキングでの最高位は2位だが、その週の1位が松田聖子「天国のキッス」であった。

それはそうとして、A面全曲の作曲・編曲を大滝詠一が手がけた松田聖子「風立ちぬ」と同じ1981年10月21日にはナイアガラ・トライアングル(大滝詠一・佐野元春・杉真理)の「A面で恋をして」も発売されている!

「A LONG VACATION」のA面2曲目に収録されているのが、「Velvet Motel」である。現在はどうなのか定かではないのだが、当時、旭川の中高生にとって、「モーテル」といえば台場あたりにあるラブホテルのことでしかなく、その中にはお城のような形をしているものなどもあった。そういった訳で、「モーテル」とはなんとなくエロいものというような印象もあったのだが、中学校の校則で頭髪を五分刈りにしていたにもかかわらず片岡義男のサーフィン小説などを愛読していた私は「モーテル」というのはアメリカでは車で移動する人達がカジュアルに泊まるための宿ぐらいの意味だということをなんとなく知っていたので、「モーテル」という単語に対して過剰な反応を見せる同級生などに対し、マイルドなマウントを内心で取っていたりもした。そういった意味でも、この「Velvet Motel」という曲にはわりと魅かれるところがあった。

佐野元春のアルバム「Heart Beat」は「A LONG VACATION」よりも少し早い1981年2月25日に発売されていたのだが、これに収録されていた「ガラスのジェネレーション」「NIGHT LIFE」「君をさがしている(朝が来るまで)」をNHK-FMの「軽音楽をあなたに」で聴いたのをきっかけに、私は佐野元春の大ファンになった。「A LONG VACATION」は話題になっていて、興味はひじょうにあったものの、レコードを買うまでには至っていなかった。佐野元春はこの年の6月25日に代表曲の一つでもある「SOMEDAY」をシングルでリリースするのだが、当時はあまり売れていなかった。新進気鋭のアーティストとして音楽雑誌で名前を見たり、ライブハウスの新宿ルイードで大人気だったりというような情報はあったが、世間一般的にはまだまだメジャーではなかった。

それで、「Velvet Motel」を初めて聴いた時に、佐野元春「Heart Beat」に収録されていた「GOOD VIBRATION」という曲にイントロが少し似ているなと感じ、それでグッと親しみが持てたというようなところもあった。

これもまた明らかに当時の自分自身よりもかなり年上の大人達のことを歌っているようだが、そこに憧れを感じてもいた。そして、サウンドは都会的でポップなのだが、内容はけして明るくはない。「お前の無表情」とか「空っぽな瞳をしてる俺たち」というフレーズが出てきて、この冷めているというかクールな感じは、かつて強く愛し合っていたのに、その想いがいまはもう冷めてしまったということをあらわしているのだが、当時はその雰囲気自体がなんだかとてもカッコいいなと感じて聴いていた。それは、日本文学的な湿っぽさを排除し、アメリカ文学から強く影響を受けていたであろう片岡義男の小説に対して感じる美意識にも通じるものだったようにも思える。また、当時でいえば村上春樹はまだ長編2作目の「1973年のピンボール」が出版された翌年であり、表紙のデザインも含め、どこかこれらに通じるような雰囲気もあったように感じる。

「A LONG VACATION」について、生活感が感じられないというような批評を見かけたような気がするのだが、当時の風潮としてこういった生活感的なものを忌避するような傾向があったように思える。この生活感的なものというのは四畳半フォーク的なものと言い換えることもでき、そういえば四畳半フォークという言葉は松任谷由実の発明なのだと1984年の自著「ルージュの伝言」で言っていたような気がする。当時、日本は国全体としてどんどん経済的に豊かになっているという感覚があり(「ジャパン アズ ナンバーワン:アメリカへの教訓」の出版は1979年)、貧困は乗り超えられていくべき過去のものとされていた。庶民も含め、国民全員がこれからもっともっと豊かになっていって、後戻りするようなことは二度とないというような気分が蔓延していたようにも思える。

後にシティ・ポップと呼ばれたりもする大滝詠一や山下達郎、その前の年に一大ブームを巻き起こしたがわりとすぐに落ち着いたテクノブームのYMOやプラスチックス、いずれの音楽にも生活感は薄かった。それだからこそヒットしたのではないか、という気がしないでもない。テクノブームでいえば周りの友人達がYMOのレコードを持っていたりしたこともあり、私はプラスチックスを推していたのだが、もはやプラスチックになりたいと歌ったりもする生活感の希薄さで、それがたまらなくカッコいいと思っていた。

ここでいう生活感というのが四畳半フォーク的なもののことだとすると、それは貧乏ということでもあり、生活感が希薄なカッコよさというのは豊かさと結びついていたのだろう。当時、誰もが豊かだった訳ではまったくないが、豊かになれるのではないかという幻想が現実的なものとして共有されていたということはあったように思われ、それが糸井重里の「おいしい生活」的な価値観やコピーライターブームとも繋がっていたようにも思える。糸井重里の「牛がいて、人がいて」(1983年)には、事務所に貧乏な人をオブジェとして「設置」する小説が掲載されていたり、渡辺和博とタラコプロダクション「金魂巻」(1984年)では金持ちと貧乏人とを面白おかしく分類することがエンターテインメントとして成立し、ベストセラーになったりもした。

中学生ぐらいの頃に刷り込まれた価値観というのはその後も根強く引きずっていくというようなことがよく言われたりもするが、私の中学生時代というのはそのようなものであり、強く影響も受けてはいたので、その後もそれに準じるような感覚のものを好むようになっていった。90年代に流行し、後に「渋谷系」などと呼ばれるようになるフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴの感覚を好んでいたのも、そういった生活感の希薄さ的なものの延長線上だったような気がする(「渋谷系」音楽の魅力はもちろんそれに止まるものではないが、私が好きだったのは主にそのようなところだったのかもしれないということ)。それで、いまや大好きなサニーデイ・サービスが90年代に現れた時、ろくに聴いてもいないのになんとなく嫌な感じがして遠ざけた理由というのは、そこに生活感的なものを感じ取ったからかもしれない。

「Velvet Motel」の主人公が「今夜はソファーで寝てあげる」理由は、「一度は愛しあえたふたりが石のように黙る」というような状態で、「お前を口説く気さえ忘れて」いるからではあるのだが、これをただ単に女性と二人きりでいるのにセックスをしない状態として読み取り、そこに良さを感じていたというのもなんとなく当時の気分だな、という感覚もある。

そして、生活感が希薄なほぼフィクションの世界といえば、「A LONG VACATION」A面3曲目に収録された「カナリア諸島にて」であろう。「A LONG VACATION」のシグネチャー的な1曲といえば「君は天然色」よりはこの曲なのではないか、と感じることもある。よく分からないリゾート感覚は、旭川の中高生にとって完全なるフィクションではあるのだが、こういうの何か良いなと思わせる範囲には収まっていた。

「薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて 海に向いたテラスでペンだけ滑らす」と、それほど現実的に実現不可能だったり荒唐無稽という程でもないのだが、日常からはかけ離れているという絶妙な感じ。一瞬でその世界に時期込まれ、景色が切り換わるような感覚。

「明るい食堂をティーワゴン滑り出してく間 もう君のこと忘れてるよ 仕方ないこと」というのはフリッパーズ・ギター「HAIRCUT 100/バスルームで髪を切る100の方法」(1990年5月5日発売)の歌詞の一部だが、これを初めて聴いた時に感じた感覚は「カナリア諸島にて」の時のそれとひじょうによく似ている。ということには、実はずっと気付いていなかった。「カナリア諸島にて」には「アイスティー」、「HAIRCUT 100/バスルームで髪を切る100の方法」には「ティーワゴン」とそれぞれ「ティー」関連の単語、「カナリア諸島にて」には「滑らせ」、 「HAIRCUT 100/バスルームで髪を切る100の方法」 には滑り出してくと、それぞれ「滑る」関連の動詞が用いられている。さらに、「カナリア諸島にて」において薄く切ってアイスティーに浮かべるのも、「HAIRCUT 100/バスルームで髪を切る100の方法」において手袋を脱いで待っている「僕」が噛じるのも「オレンジ」である。

ところで、「生きることも爽やかに視えてくるから不思議だ」というような歌詞は、とても中高生が聴いて共感ができるようなものでもないのだが、大人への憧れも含め、何だか良いなと思えるようなものでもあったのである。パンク/ニュー・ウェイヴ的な価値観というのは「大人は判ってくれない」的な気分をベースとしているものだとは思うのだが、大人に対して憧れが持てる社会というのもまたとても健全なのではないかと思えたりもするのである。

この頃の日本の社会ではライトでポップな感覚が持てはやされ、根が明るいとか暗いとかそういうことが重要視されていたような気がする。いわゆる根が暗い人というのは私も含め、本来はひじょうに多いと思うのだが、当時はそう思われることに恐怖すら覚え、明るく見られるための努力をして、自分よりも暗いのではないかと思える人がいると、そちらに周囲の視線を集中させようとする、というようなしょうもないこともあった。そして、私が入学したばかりの高校のクラスにも暗いといわれている者がいて、彼はクラスメイトへの年賀状1枚1枚にそれぞれ違ったブルートレイン(寝台特急)のエンブレムを描いたりしていたのだが、ちょうどその頃、グループサウンズのザ・タイガースが再結成して、「色つきの女でいてくれよ」をヒットさせたりもしていた。それで、その暗いといわれていた彼が ザ・タイガースのメンバーであった岸部シローに似ているといってからかったりもしていた。「カナリア諸島にて」の「ぼくはぼくの岸辺で生きていくだけ…それだけ…」というところを聴くと、彼のことを思い出したりもする。ある年の春、何人かの同級生と生徒手帳に貼るための証明写真を撮りにいったのだが、彼は自分の写真を見ながら冴えない顔しているな、などと自虐的なことを呟き、その夜に自らの命を絶った。

「Pap-pi-doo-bi-doo-ba物語」は「ALONG VACATION」に収録された中でも特に軽快な曲で、この曲だけ松本隆ではなく大滝詠一が作詞もしている。大滝詠一と松本隆とは70年代にはっぴいえんどのメンバーとして共に活動していたが、バンドが解散してから作詞を依頼することはなかったという。しかし、このアルバムについては松本隆の作詞でいこうということを強く決めていたようだ。制作中、松本隆の妹の病状が悪化し、亡くなってしまう(「君は天然色」の「想い出はモノクローム」は妹のことだともいわれているようだ)ということになった。これによって詞が書けなくなってしまったという松本隆は、「A LONG VACATION」の作詞を降りることを自ら提案もするが、大滝詠一は待ち続けると言ったとされている。

この時点で私は大滝詠一のこれ以前の楽曲をはっぴいえんど時代を含めまったく知らなかったのだが、後にノベルティーソングの名手としての一面も持っていることを知る。「Pap-pi-doo-bi-doo-ba物語」は大滝詠一のそういった面での魅力が炸裂した、とても楽しい楽曲である。元々はシャネルズとEPOが歌った「大きいのが好き」というCMソングがベースとなっているらしい。この曲が実際にCMで流れることはなかったようなのだが、1982年10月1日にリリースされた「NIAGARA CM SPECIAL Vol.2」で聴くことができた。

歌詞の「一言言ったその日から 恋の花散ることもある」は、桂三枝と西川きよしが司会をしていた恋愛バラエティー番組「パンチDEデート」の、「ひと目会ったその日から 恋の花咲くこともある」のもじりだろうか。「I say yei yei yei yei yei yei」のところが西城秀樹「聖・少女」(1982年6月21日発売)の「Say it 少女」に影響をあたえているかもしれないと思ったりもしたのだが、おそらく気のせいである。

爽やかでポップな印象があるのだが、実際にはわりと暗くと重めなことが歌われてもいた「A LONG VACATION」だが、この曲や「FUNx4」のようなどこかコミカルでもあるような曲が程よいアクセントになっていたようにも思える。

そして、A面の最後に収録されているのが、「我が心のピンボール」である。この時代で「ピンボール」といえば、やはりこの前の年に出版された村上春樹「1973年のピンボール」を連想してしまう。1981年といえばインベーダーブームも落ち着いて久しいが、その後、テレビゲームがすっかり定着し、7月9日に稼働開始した「ドンキーコング」のキャラクターとして「スーパーマリオブラザーズ」のマリオがデビューを果たしていたりもする。そんな時代において、ピンボールというのはやはりレトロを感じさせるものであった。歌詞に出てくる「TILT」というのは、ピンボールでボールをコントロールするために台を揺らすというテクニックがあるが、揺らしすぎると取られてしまうもので、そのボールが没収されたりゲームそのものが終わらせられたりというペナルティーが課せられる。

B面の1曲目は「雨のウェンズデイ」である。「君は天然色」のシングルのカップリングは「カナリア諸島にて」で、その次にシングル・カットされたのが「恋するカレン」、そのカップリングが「雨のウェンズデイ」であった。途中からジャケットが変わり、「雨のウェンズデイ」がメインでカップリングが「恋するカレン」のバージョンがリリースされていたような気がする。

「壊れかけたワーゲンのボンネットに腰かけて」ということだが、スーパーカー時代も旭川市内でランボルギーニカウンタックやポルシェ911ターボといった車を見かけることはまったくなく、デパートの屋上のイベントで見られるのがやっとであった。そこへ行くと外国産の自動車でもフォルクスワーゲンは旭川でも見かけることが結構あって、わりと親しみを感じていた。そして、この曲では「ワーゲン」が「ワゲン」のように聴こえたりもする。これは曲とサウンド、特に間奏のギターがとても良くて、うっとりさせられたものである。

80年代のアイドルポップスあるあるとして、Tシャツ濡らしがちというのが思いついたのだが、具体的には小泉今日子「まっ赤な女の子」(1983年5月5日発売)の「ぬれたTシャツ ドッキリ」と堀ちえみ「稲妻パラダイス」(1984年4月21日発売)の「ぬれたTシャツ 空に抱きあげ」ぐらいしか思い出せなかった。そして、「雨のウェンズデイ」では「降る雨は菫色 Tシャツも濡れたまま」で、「時を止めて抱きあったまま」なのである。

2016年の秋にWHY@DOLL「菫アイオライト」を聴いてすぐに気に入ったのだが、タイトルの漢字が読めず、こんな漢字を読んだことがないと感じたのだが、「雨のウェンズデイ」には「降る雨は菫色」という歌詞があり、私はレコードを聴き、歌詞カードを見ながら何度となくこの曲を当時、歌っていたはずなのである。それで、あの大滝詠一特有の歌いまわしもすっかり身に付いて、カラオケでも再現できるようになった。「菫」の漢字については、おそらく忘れていただけなのではないかと思われる。

「ウェンズデイ」は水曜日であり、雨は水でもある訳ではあるが、やはりこれは「ウェンズデイ」以外の曜日ではありえなく、この辺りもちゃんと考えたことがいままで一度もなかったのだが、つくづく良くできているなと感じたりもするのであった。

B面の2曲目は「スピーチ・バルーン」で、この曲についてはタイトルが英語で漫画の吹き出しのことだというようなことはよくいわれていたような気がする。あとは、大滝詠一が「人生」という単語を歌うことに抵抗があったとか、そういうのも確かあったような気がする。

これは別れの場面を歌った曲だが、内容は重く暗い。当時はポップで爽やかな「A LONG VACATION」の1曲として、それほど深く考えずに聴いていたのだが、絶望的な断絶とでもいうのか、もうどうやってもなすすべがないとでもいうような状況について歌われているようにも思える。この曲では「想い出のブラス・バンド」というフレーズが、特に印象に残る。

「A LONG VACATION」にはオールディーズと呼ばれる音楽からの影響が強く感じられるのだが、このアルバムが当時の日本であれほどヒットした要因の一つとして、当時のオールディーズリバイバル的な気分があったのかどうかについてはそれほど確証が持てずにいた。なぜなら、当時、少なくとも私の周りにおいて、オールディーズリバイバル的な気分を支えている人達と「A LONG VACATION」を好んで聴いている人達とはそれほど一致していないように思われたからだ。

しかし、ここ数日間、当時のオールディーズリバイバル的な気分について、いろいろな方々の証言や考察を読みすすめていくにつれ、エロ詩吟における天津木村並みに「あると思います!」とはっきり言えるぐらいまでにはなったような気がする。

そして、「恋するカレン」などを聴くと、確かにそれはあったのだろうな、というような気分にもなる。思いを寄せている女性が他の男とスローなダンスを踊っているのを見て傷つくという内容は、オールディーズが流れまくってちょうどこの頃にヒットしていた青春映画「グローイング・アップ」シリーズのエンディング辺り、ボビー・ヴィントン「ミスター・ロンリー」が似合いそうなシチュエーションではある。

個人的な話になるのだが、高校1年の頃に少し良いなと思っている女子がいて、彼女が参加するというので、生徒会の健全な打ち上げのようなものに、自分自身はまったく関係がないのに参加したりした。そこで、彼女はある特定の男子ととても親密そうに話をしていて、周囲の反応から判断しても、おそらく特別な関係なのだろうな、ということは分かった。その夜、夕食を食べていても淋しい気持ちはおさまらず、自分の部屋に戻ると灯りを真っ暗にして、ヘッドフォンで「恋するカレンを」大音量で聴いた。「振られたぼくより哀しい そうさ哀しい女だね君は」という強がりがとても優しく心に響いた。

一転して、「FUNx4」はタイトルがあらわしているように、とても楽しい曲である。「散歩しない」と歌っているのは太田裕美とか月に吠えているのは五十嵐浩晃とか、そういう話もわりと盛り上がった。五十嵐浩晃は本当は杉真理の代わりにナイアガラ・トライアングルに抜擢されるはずだったのだが、「ペガサスの朝」がヒットしたため、無名のアーティストを発掘するというようなコンセプトに合わなくなった、という説を聞いたことがあるがどうだったのだろう。

この曲はビーチ・ボーイズ「ファン・ファン・ファン」に影響を受けていると思われ、実際に曲中に引用が含まれていたりもする。「Fun fun fun ’til her daddy takes the T-bird away」というのは、彼女のパパがTバード、つまりフォードのサンダーバードという車を取り上げるまではとても楽しいというような内容で、確か村上春樹のエッセイか何かでも取り上げられていたような気がする。

当時、土曜の深夜にラジオ関東(1981年10月1日以降はアール・エフ・ラジオ日本)でビルボードの最新チャートを紹介したりする「全米トップ40」という番組があった。コーナーの一つに「坂井隆夫のジョークボックス」というのがあり、つまり「タモリ倶楽部」の空耳アワーのように、英語の歌詞が実際には違うのだが日本語でこのように歌っているようにも聴こえる、というようなネタをリスナーから募集し、紹介するという内容である。裏で放送されていた「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」にもある時期から「この歌はこんなふうに聞こえる」というほとんど同じ内容のコーナーができたが、こちらはややアダルト向けの内容のネタが多かった。

「坂井隆夫のジョークボックス」でビーチ・ボーイズ「ファン・ファン・ファン」のまさに「FUNx4」に引用されたところが取り上げられたことがあるのだが、「 Fun fun fun ’til her daddy takes the T-bird 」というところが「パン、パン、パンツが濡れててチビる」と歌っているように聴こえる、というようなものであった。確かにそう聴こえなくもないのだが、「濡れててチビる」というのにはやや違和感があって、濡れていてチビるのではなく、チビった結果として濡れているのではないか、と当時思ったりしていた。

また、クイーン「キラー・クイーン」で「Gunpowder, gelatine」、つまり「火薬、ゼラチン」と歌っているところが「がんばれタブチ」と歌っているように聴こえる、というのもあった。「がんばれタブチ」とは西武ライオンズの田淵幸一選手をモデルとした人気コミック及びアニメーション映画「がんばれ!!タブチくん!!」のことだと思われるのだが、「君が天然色」の間奏は大滝詠一が「がんばれ!!タブチくん!!」のエンディングテーマ「がんばれば愛」のために書いたが、結局は使わなかったところがベースになっているという。

松田聖子のアルバム「風立ちぬ」に収録されている「いちご畑でつかまえて」はこの「FUNx4」と対になっているのだが、それだけではなく、松田聖子のくしゃみがひじょうに可愛らしいので必聴だということはできる。サニーデイ・サービスに「苺畑でつかまえて」という曲があるのだが、松田聖子のこの曲とはおそらく関係がないと思われる。この曲のミュージックビデオには私が好きなアイドルグループ、NegiccoのKaedeが参加していて、それだけのために視聴したのだが曲そのものが気に入ってしまい、それをきっかけにしょうもない偏見によりずっと聴かず嫌いしていたサニーデイ・サービスの音楽を聴くようになったという経緯がある。

「FUNx4」の終わりではいつの間にかそこにいた観客達が拍手をして、これが本編の終わりであることを伝える。「君は天然色」のイントロの前のチューニングからはじまる架空のコンサートというコンセプトに則っている。過去に何度となく再発された「A LONG VACATION」のエディションの中には実際にこの曲で終わっているものもあるのだという。聴衆はアンコールを求め、それに応えたのが「A LONG VACATION」のB面5曲目、最後に収録された「さらばシベリア鉄道」ということになる。

夏のイメージが強い「A LONG VACATION」にあって、この曲だけは冬である。1983年6月8日にリリースされた山下達郎のアルバム「MELODIES」の最後に収録されたのが「クリスマス・イブ」であることがこれと関係があるかどうかは定かではない。この曲は女性言葉の歌詞を歌うことに大滝詠一が違和感を覚えたこともあり、「A LONG VACATION」よりも4ヶ月早い1980年10月21日に太田裕美によるバージョンがリリースされている。「A LONG VACATION」に収録されているのは、大滝詠一によるセルフカバーバージョンだともいうことができ、これはナイアガラ・トライアングル「A面で恋をして」のシングルB面にも収録されている。

ということで、「A LONG VACATION」を中学生の頃に発売された流行りのアルバムとして消費していたに過ぎない私だが、一時期、まったく聴いていなかったこともある。1982年にはインスト集とかCMスペシャルとか大滝詠一関連のレコードを他にも買っていたが、1984年にはすでに興味や関心の中心が他に移っていて、「EACH TIME」は買ってすらいない(数年後にちゃんと聴いたし、やはり気に入ってはいるのだが)。

1990年代にはおそらく聴く気にすらなっていないのだが、00年代に入ってなんとなく80’sブーム的なものだとか自分自身の年齢的にも中高生の頃に聴いていたものを聴き直すフェイズに入ったりしてCDで買い直し、懐かしんだりやっぱり良いなと思い直したりはしていた。

その後、「A LONG VACATION」は日本のポップ・ミュージック史に燦然と輝く名盤としての評価が定着していて、今回、発売40周年を記念してのストリーミング配信解禁も話題になっている。この文章そのものがそれをきっかけとしてみんなで「A LONG VACATION」についての文章を書き合ってみよう、という素敵な提案に乗っかったものではある。正直言って、「A LONG VACATION」について、中学生の頃に発売された流行りのアルバムとして以外の聴き方をすることが私には難しく、実のところそうしたいとも思ってはいない。いま聴いてもとても良いし確実に好きではあるのだが、岡村靖幸「靖幸」やフリッパーズ・ギター「カメラ・トーク」よりも好きだったり優れているといえるかというと、実はそうでもなかったりはする。まあそれは人それぞれの趣味嗜好ということなのでもあり、絶対的信奉というようなスタンスは当時の日本のポップ・ミュージック界において、このアルバムが担っていたラジカルでエポックメイキングな価値を低めてしまうのではないか、というような気もする。

とはいえ、そのような感覚というのはある意味、リアルタイマーならではの特権ということもできるのかもしれないが、それを殊更マウンティングする気ももちろんさらさらない訳であり、当時はこのような需要のされ方をされてもいましたよ、という昔話レベルであり、このアルバムのこれからの価値はこれからの人達が決めていくものなのだろう。必要以上に神格化したり逆張りで敵対視したりする必要もなくて、それぞれの価値観で気に入ったりピンと来なかったりすれば良いのではないかと思うし、今回、ストリーミング配信の解禁によってその可能性が高まったのはとても良いことなのではないかと個人的には考えるのである。