フリッパーズ・ギター「GROOVE TUBE」について。

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2021年3月21日は大滝詠一「A LONG VACATION」の発売40周年記念日であり、この日から大滝詠一の様々な楽曲がストリーミング配信解禁されることなどが一部の音楽ファンの間で話題になっていた。その前日、やはりこのことを考えながら引っ越したばかりの調布市内を歩いていて、そういえばフリッパーズ・ギターの「カメラ・トーク」「ヘッド博士の世界塔」などが発売された頃はこの街に住んでいたのだな、と思ったりもしていた。

2021年は大滝詠一「A LONG VACATION」の発売40周年である以外に、フリッパーズ・ギター「ヘッド博士の世界塔」の発売30周年の年でもある。但し、「ヘッド博士の世界塔」が発売されたのは確かもう少し先の日付だったと思うので、アニバーサリーモードに入るにはまだ早いな、と感じたりもした。そして、朝が来て目を覚まし、ふと考えたのは、そういえば「ヘッド博士の世界塔」の先行シングルにあたる「GROOVE TUBE」が発売されたのは、確かいまぐらいの時期だったのではないだろうか、ということである。調べてみたところ「GROOVE TUBE」の発売日は1991年3月20日、つまり前日が発売30周年記念日だった訳である。

洗濯機を買い替えようという話になっているので、この日はキテラタウン調布のノジマに行く予定だったのだが、雨が降っていて風が強いので外に出たくないということになった。引っ越したばかりで家の中がまったく片付いていなく、調理できる状態でもないので、近所のスーパーマーケットとコンビニエンスストアで食べるものや飲むものを買ってきた。モーニング娘。’21の牧野真莉愛も大好きなセブンイレブンのすみれのチャーハンを久しぶりに電子レンジで解凍して食べたが、このクオリティーはかなりのものである。

「GROOVE TUBE」は8センチCDシングルで発売されたが、当時、すぐに買って、やはりこの街の当時は駅の反対側のワンルームマンションの部屋で聴いていた。その日は今日とは違い、とてもよく晴れた日だったような気がする。1991年3月20日は水曜日で、東京の天候は晴れ、最高気温は22.3℃だったようだ。その頃、いまは無きローソン調布柴崎店で深夜のアルバイトをやっていて、そこそこのお金を稼ぐことができていたのだが、週末に京王線と井の頭線と都バスを乗り継いで六本木WAVEと青山ブックセンターに行って、欲しいだけのCDと本を聴いたり読んだりすることである程度は精神的に満たされてはいたのだが、やはりこのままではいけないというようなことも考えていたのだった。

それでは、いま最も働きたいところはどこなのだと考えると、それは六本木WAVEでしかなかったのだが、アルバイト募集の広告など見たことがなかったし、どうすれば働くことができるのかまったく分からなかった。そんな折り、本当はとっくに卒業しているはずだったのだが、いまだに行かなければいけなかった大学の帰り、いつものように渋谷ロフトの1階にあったWAVEに行くと、契約社員募集というようなことが書かれた掲示がある。本当は六本木が良いのだが、渋谷でも十分すぎるだろうと思い、店員に声をかけた。いろいろあって、渋谷にはいま空きがないが、六本木にはあるという。それで、面接をすることになった。六本木WAVEの近くのビルにある、事務所のようなところだったと思う。面接そのものはわりとあっさりと終わったのだが、その時、ヴァン・モリソンを特集した「レコード・コレクターズ」がカバンに入っていて、それを見た店長が「お、コレクターズ読んでるね」などと言ってくれたことを覚えている。

結果は指定された日時にこちらから電話をして聞くことになっていたのだが、どうせ落ちているのだろうな、というような気持ちの方が強かった。それでも、電話をする直前に気合いを入れるため、ザ・クラッシュの「ステイ・オア・ゴー」を聴いたりはしていた。この曲は1982年のアルバム「コンバット・ロック」からシングル・カットされ、当時、全英シングル・チャートで最高17位を記録していた。これがイギリスでリーバイスのCMに使われたか何かでこの年にリバイバルしていて、解散後にしてバンドにとって初の全英シングル・チャート1位に輝いていた。結果的には採用であり、それから六本木に通うようになった。

フリッパーズ・ギターのCDが初めて発売されたのは1989年8月25日、デビューアルバムの「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」だった。この年はつまり平成元年であり、7月13日には山口県で道重さゆみが生まれたということも重要である。そして、私は小田急相模原から調布に引っ越し、それは大学の進級により通学するキャンパスが厚木から渋谷に変わったことによるものだが、引っ越したばかりのワンルームマンションのすぐそばにあったローソン調布柴崎店でアルバイトをはじめた。その頃、テレビでエースコック大盛りいか焼そばのテレビCMがよく放送されていて、新生活に気分に相応しいとても良い内容であった。また、このCMで使われていた楽曲、グラス・ルーツ「いまを生きよう」もとても良かった。

青山キャンパスの学食でイギリスのニュー・ウェイヴ好きの知り合いと、偶然に出会った。ここでいうニュー・ウェイヴというのはいま用いられているそれとは違って、メインストリーム以外のロックに対してかなり広く使われていたもの。一時期の日本におけるニューミュージックみたいなものだろうか。それで、最近、聴いている音楽の話になった。私は特にザ・スミスが解散した1987年辺りからいわゆるギター・ロックがそれほど良いと思えなくなっていて、ヒップホップやハウス・ミュージックのCDやレコードをよく買っている時期であった。知り合いは最近、日本のフリッパーズ・ギターというバンドを聴いていると言っていて、アズテック・カメラやザ・スタイル・カウンシルが好きなら気に入るはずだと、レコメンドしてもくれたのであった。確かにアズテック・カメラやザ・スタイル・カウンシル、エヴリシング・バット・ザ・ガールとかチェリー・レッドの「ピローズ&プレイヤーズ」とか高校生の頃に好きで聴いていて、その時点でも好きではあったのだが、パブリック・エナミーやデ・ラ・ソウルが新しくてカッコいいアルバムを出しているご時世に特にそれほど聴きたい音楽でもないな、と感じていた。

J-WAVEで現在も続いている「TOKIO HOT 100」は1988年の秋から放送が開始されたのだが、この頃、深夜のテレビでこれのダイジェスト的な番組があったはずである。フリッパーズ・ギターの曲もランクインしていて少しだけ流れたのだが、確かにネオ・アコースティックのようでセンスを感じさせるのだが、最新型のポップ・ミュージックとしての魅力はそれほど感じなかった。あとは歌詞が英語だったので、これならば本場のネオ・アコースティックを聴いた方が良いのではないか、などと実にくだらない感想を持ったりもしていた。

しかし、なんとなくメディアで取り上げられる機会も増えたような印象があり、確か何かのCMに使われていたと思うシングル「フレンズ・アゲイン」は良いなと思ってシングルCDを買うのである。8センチのCDシングルは縦長のケースのパッケージで販売されていたことから、短冊CDなどと呼ばれたりもするが、当時はそうではなかったような気もする。CDの売上がアナログレコードを逆転するのは80年代の半ばを少し過ぎた辺りなのではないかと思うのだが、8センチCDシングルが登場したのは1988年2月21日、それまでの間、アルバムはアナログレコードよりもCDがすでに主流なのだが、シングルはアナログレコードでしか発売されないという期間が存在した。

「フレンズ・アゲイン」は1990年1月25日に発売、この頃、個人的にCDシングルを買うことが少し楽しくもなっていて、高野寛「虹の都へ」、EPO「エンドレス・バレンタイン」、ドリームス・カム・トゥルー「笑顔の行方」なども買っていた。洋楽ではシニード・オコナー「愛の哀しみ」やリサ・スタンスフィールド「オール・アラウンド・ザ・ワールド」などが気に入っていた頃である。

そして、この年の5月5日にフリッパーズ・ギターはシングル「恋とマシンガン」をリリースする訳だが、これには完全に度肝を抜かれた。当時の日本のポップ・ミュージック界では前の年に放送を開始した「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」の影響もありバンドブームで、ビートパンクと呼ばれるような音楽が流行ってもいたのだが、フリッパーズ・ギターの音楽というのはこういったトレンドとはまったく関係がない。それこそネオ・アコースティックだとかインディー・ポップ、映画音楽だとかボサノヴァといったおしゃれでセンスの良い音楽から影響を受けたようなものである。ということは、一部のセンスの良い人達には受けるのだが、一般大衆的にはれほどでもないというようなパターンで終わりそうなものである。

ところが、これは何だか一般大衆向けにもかなり良いのではないか、と感じさせるものがあったのである。なぜそう感じたのかというと、私自身がマイナーでアンダーグラウンドなものを良いと感じる素質に著しく欠けていて、基本的にはポップでメジャーなもの、もしくはそうなる素質を備えているものにのみ反応するという趣味嗜好であるからなのだ。あと、これはもちろんひじょうに重要なのだが、歌詞が日本語ということである。しかも、いわゆる日本のポップ・ミュージックという感じではまったくない。

たとえば桑田佳祐、佐野元春、岡村靖幸などは、それぞれそれまでの日本のポップ・ミュージックの歌詞では表現できなかったことを表現するための新たな手法を生み出した革命児だと思うのだが、フリッパーズ・ギターはまたそれをさらにアップデートしたな、とそのような感じが「恋とマシンガン」「バスルームで髪を切る100の方法」という2曲を聴いただけで強烈にしたのであった。音楽的には美意識に則ったものができるのかもしれないが、日本語の歌詞を付けた途端にそうではなくなってしまうので英語の歌詞を歌うという、そういうのは確かにあるとは思うのだが、それによってひじょうにクオリティーの高い作品がつくれる可能性はあるとしても、日本の一般大衆レベルでポピュラーになることはひじょうに難しいのではないか。別にそれを必ずしも目指さなければいけないということではまったくないし、そうではなくても素晴らしい作品はたくさん存在する。ではあるのだが、こうでなければ届かなかった人々や変わらなかった世界というのは確実にある。もちろん、より素晴らしい方にである。

「恋とマシンガン」とこれを先行シングルとするアルバム「カメラ・トーク」によってフリッパーズ・ギターが行ったことはまさに革命であり、これによる影響や恩恵を当時の私は確実に受けたのであった。

「宝島」という雑誌でフリッパーズ・ギターが「フリキュラマシーン」という連載を持っていて、タイトルは私を含むフリッパーズ・ギターと同世代にはお馴染みのかつて放送されていた朝の子供向けテレビ番組「カリキュラマシーン」のもじりである。これがひじょうに生意気かつ痛快な内容であり、あらゆる事象に対していろいろと毒づいていた。音楽はポップで爽やかでもあるのだが、アティテュードとしてはパンクであるという、これはたとえばイギリスのニュー・ウェイヴ系アーティストのインタヴューを読み慣れていればそれほど珍しくもないのだが、それを日本でやってしまったというか、実際にちゃんと成立するのだ、と思わせてしまったところがやはりすごい。

それで、「GROOVE TUBE」なのだが、それまでのネオ・アコースティック的な音楽性から一転して、ダンス・ビートを取り入れたことが話題になったりもしていた。これも当時のイギリスのインディー・ロックシーンのようなものと完全にシンクロしていて、日本のメディアではインディー・ダンス、現地においてはマッドチェスターなどと呼ばれていたインディー・ロックにダンス・ビートを取り入れたタイプの音楽から強く影響を受けたものであろう。たとえばプライマル・スクリーム「ローデッド」「カム・トゥゲザー」、ザ・ストーン・ローゼズ「フールズ・ゴールド」、ザ・ファーム「グルーヴィー・トレイン」といったところが参照されるところだろうか。

そして、それ以前のフリッパーズ・ギターもけしてネオ・アコースティックというサブジャンルで括れるような音楽をやってはいなく、「カメラ・トーク」なども実際にはかなりバラエティーにとんだアルバムであった。「カメラ・トーク」において、「恋とマシンガン」の次に収録されている「カメラ!カメラ!カメラ!」が後にリリースされたギター・ポップバージョンの方だったらあのアルバムはもっと良くなったという意見を見かけたりもするのだが、個人的にはあれが打ち込みっぽいバージョンだったからこそあのアルバムのエクレクティックな魅力が早期において予告され、聴き進めていくとその期待を遥かに上回るものだった、ということに繋がっているのではないかと感じている。あとは、やはり打ち込みのビートが特徴的な「ビッグ・バッド・ビンゴ」がひじょうに重要だと思える。

あとは歌詞がキャンディーやバナナが出てくるセクシー路線で、それまでにはない新機軸だったり、相変わらず分かる人が聞けば分かるけれども分からなかったとしても問題はなく、けして置いてけぼりにもしていない数々の引用やオマージュというところももちろんあるのだが、トータルとしてとても納得のいくかたちで新しいことをやっていて、この次にどんなことをやってくれるのだろうとわくわくさせてくれたような印象である。それと、当時の海外のポップ・ミュージックのトレンドに呼応していた、というか国内のことはほとんど意識していなかったように見えもするところがやはり特徴的であり、今日の日本のポップ・ミュージック界におけるいわゆるガラパゴス化がけして悪いことばかりとは思わないし、その中でも海外のトレンドやメインストリームを意識している人達もいて、いろいろバラエティーにとんでいるなと感じている立場からしても、状況はかなり変わっているなという印象は受ける。

それで、「GROOVE TUBE」はこの年のオリコン週間シングルランキングの4月1日付で22位に初登場し、それが最高位となるのだが、それよりも上位にランクインしている、小田和正、Wink、チェッカーズ、ASKA、織田裕二、児島未散、沢田知可子、Mi-Ke、KAN、やまだかつてないWINK、尾崎豊、酒井法子、ZARD、渡辺信平、森口博子、氷室京介、山下久美子、久保田利伸&アリソン・ウィリアムズ、堀川早苗、川村かおり、CHAGE&ASKAの楽曲のどれ一つとして、個人的にはリアルタイムでほとんど興味がないかまったく知らないので、やはり孤高の存在だったのではないかという気がしないでもない。それゆえに、今日まで語り継がれるほど特異だったともいえるのだろうが。

「GROOVE TUBE」のことを考えているとなんとなくハンバーガーが食べたくなってきたのだが、CDシングルのジャケット裏面には「eat Mac, drink Coke & let’s listen to Groove Tube」というようなことが印刷されてもいた。外は相変わらず雨が降っていて風も強く、マクドナルドまでは少し遠い。本日発売の加納エミリ・プロデュース、鈴木祥子「助けて!神様。~So Help Me, GOD!」の7インチシングルも買いに行かなければいけないのだが、キテラタウン調布のバーガーキングでワッパーとオニオンリングを買って帰りたい。

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