マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン「ラヴレス」について
マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの2作目のアルバム「ラヴレス」は、1991年11月4日にリリースされていた。当時は「愛なき世界」という邦題が付いていて、バンド名のカタカナ表記は「マイ・ブラディ・バレンタイン」であった。日本コロムビア株式会社から発売されていたCDの帯には「前作から3年の歳月が流れた。オーロラのように漂う幻想的ギター・ノイズ・サウンド。知的な狂気に色どられたアンサンブルから浮び上る美しいメロディ。ついに完成したマイ・ブラディ・バレンタイン待望の新作」というようなコピーが印刷されてもいた。
マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの中心メンバー、ケヴィン・シールズとドラマーのコルム・オキーゾーグが出会ったのは、1978年にダブリンで開催された空手の大会においてであった。バンドを組んで、様々なメンバーが加入しらり脱退したりした後に、1988年にクリエイション・レコーズと契約し、デビューEPとなった「ユー・メイド・ミー・リアライズ」をリリースした。それまでにもいろいろなレーベルからレコードをリリースしてはいたのだが、なかなかヒットにはつながらなかった。
「ユー・メイド・ミー・リアライズ」は全英シングル・チャートにはランクインしなかったものの、インディー・チャートでは2位に初登場し、注目をあつめるようになった。続いてデビュー・アルバム「イズント・エニシング」が発売され、インディー・チャートで1位に輝くのだが、全英アルバム・チャートにはランクインしていなかった。
当時、ポップ・ミュージックのシーンではヒップホップやハウス・ミュージックが注目されていて、インディー・ロックは一部の限られたファンからは支持されていたものの、メインストリームからは外れているようなところがあった。1987年にザ・スミスが解散したことによって、その傾向はさらに強まっていったような印象がある。
マイ・ブラッディ・ヴァレンタインが「ラヴレス」の制作に取りかかったのは、「イズント・エニシング」が発売された翌年にあたる1989年2月のことであった。レーベルはこのアルバムがすぐに完成するものだと思っていたのだが、実際に完成したのは翌々年の秋であり、その間に多額の費用がかかったといわれている。
「ラヴレス」の評価はひじょうに高く、全英アルバム・チャートにも初めてランクインして最高24位を記録するのだが、それほど大ヒットを記録したというほどではなかった。アメリカでもリリースされたのだが、全米アルバム・チャートにはランクインすらしなかった。「ラヴレス」の制作費がかかりすぎたことによって破産寸前にまで追い込まれたというクリエイション・レコーズは、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとの契約を打ち切ることになった。
「ラヴレス」がリリースされた1991年というと、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」、プライマル・スクリーム「スクリーマデリカ」、ティーンエイジ・ファンクラブ「バンドワゴネスク」といったモダン・クラシック的なアルバムがいくつもリリースされ、オルタナティヴ・ロックがメインストリーム化するきっかけになった年としても認識されている。「ラヴレス」の評価は当時から高かったのだが、シングル・ヒットが生まれなかったり、それほどポップでキャッチーというような音楽性でもなかったため、一般大衆にまでは普及しなかった印象がある。
それでもその衝撃は相当なもので、その後、新しいリスナーに次々と発見されながら、ポップ・ミュージック史に残るエポックメイキングなアルバムとしての評価を定着させたきたような気がする。
アルバムを再生すると、まず1曲目の「オンリー・シャロウ」なのだが、歪みまくったギター・サウンドと耽美的で夢見心地でもあるボーカルとのマッチングが完全に新しく、それまでにまったく聴いたことがないタイプの音楽であった。そもそも当時は、ヒップホップやハウス・ミュージックなどが最新型のポップ・ミュージックとされていて、ギターを主体としたロック・ミュージックからは新しいものはもう生まれないのではないか、というような気分が高まっていたのだが、その状況でギターを主体としたロック・ミュージックでありながらこんなにも新しいサウンドを生み出すことができるというのが、まずは衝撃的であった。
ノイジーなロック・ミュージックでありながら、男性的ではまったくないところも新しく感じられた。ひじょうに感覚的で、美しい音楽がずっと続いていく。
「トゥ・ヒア・ノウズ・ホエン」は「トレモロEP」の収録曲として、すでにリリースされていた。確かに新しくひじょうに美しい音楽ではあるのだが、ヒット・チャートにランクインしているようなシングル曲のどれとも似ていない、ひじょうにアブストラクトな楽曲であった。これが「ラヴレス」のアルバムで聴くと、しっくりときてとても良い。「サムタイムズ」は東京を舞台にした2003年(日本では翌年に公開)の映画「ロスト・イン・トランスレーション」でも使われていたのだが、なんとなくグルーミィーな気分にハマっていた。
アルバムの最後に収録されている「スーン」は1990年の「グライダーEP」にも収録されていたのだが、当時のトレンドを反映してかダンスビートの導入が特徴的である。アルバムのそれまでの流れとは少し違った感じの曲であり、浮いているのではないかというような意見もあるようだが、個人的には最後にこの曲が収録されていることによって、アルバム全体にオープンな感じが出ていてとても良いのではないかと感じている。
「ラヴレス」はたとえば「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」などと同様に、リリース当時としてはひじょうに新しい音楽であり、それ以降のポップ・ミュージックに大きな影響をあたえたといえるのだが、同じようなベクトルにおいてこれを超えるクオリティーのものが生まれていないという事実において、ずっと新しい感覚で聴かれ続けているともいえる。
実験的で先鋭的でもあるのだが、根底に強靭なポップ感覚があり、その後のポップ・ミュージックがこのアルバムの影響を受けていることもあって、ひじょうに聴きやすくもあるのではないかと感じる。