ライド「ノーホエア」について。

ライドのデビュー・アルバム「ノーホエア」がリリースされたのは、1990年10月15日であった。日本でイギリスのインディー・ロックなどをある程度、主体的に聴いている人たちにはこの時点ですでにかなり知られていたような気がする。なぜなら、アルバムよりも前にリリースされていた3枚のEPがいずれも評判になっていたからである。

1988年にイギリスのオックスフォードで結成されたライドは地元でデモテープをつくったりライブを行ったりしていたのだが、そのデモテープがジーザス&メリー・チェインのジム・リードからクリエイション・レコーズのアラン・マッギーに渡り、スープ・ドラゴンズのオープニング・アクトを務めた後に契約に至ったという。

1990年1月に「ライド」、4月に「プレイ」というそれぞれ4曲入りのEPがリリースされ、早くも話題になっていた。ジャケットの色がそれぞれ赤と黄色であることから、日本の一部のファンの間では「赤ライド」「黄ライド」と呼ばれていた。やがてこの2枚のEPを1枚にまとめた「スマイル」というコンピレーションがアメリカ向けにリリースされ、これらに収録された音源だけを聴くのならばこれが手っ取り早かっただが、ジャケットの美しさからあえて「赤ライド」「黄ライド」を求めるファンも少なくはなかった。

音楽性の特徴としては轟音ギターに甘いボーカルというようなもので、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインなどから影響を受けていたようである。「プレイ」EPは全英シングル・チャートで最高32位と、当時のこのタイプの音楽としては売れていた方であり、しかも音楽誌などでもかなり取り上げられていたので、これらを収録したアルバムをリリースしてもわりと評判になったとは思うのだが、バンドとしてはアルバムにはまったく新しい曲ばかりを収録したかったらしく、新曲が録音されていったのだという。

9月には3枚目のEP「フォール」がリリースされるのだが、これはデビュー・アルバム「ノーホエア」の先行シングル的な位置づけでもあった。ジャケットにはペンギンの群れが載っていたことから、日本の一部のファンの間ではもちろん「ペンギンライド」などと呼ばれていた。方向性は基本的にそれまでとあまり変わらないのだが、楽曲のクオリティーが上がっているようにも思え、アルバムに対する期待も高まって行った。

ところでこの時期のイギリスといえばマッドチェスター・ムーヴメントが、まだ盛り上がっていた頃である。ダンス・ビートとインディー・ロックが融合したような音楽が流行り、それはドラッグ・カルチャーとも結びついていて、発祥はマンチェスターだったのだが、すでに色々な街からそのトレンドに乗ったようなバンドやアーティストたちが出てきたりしていた。

そのような状況において、ダンス・ビートを取り入れていないライドのようなサウンドはひじょうに新鮮であり、次の時代を感じさせるようなものでもあった。そして、「ノーホエア」は全英アルバム・チャートに11位で初登場するのだが、こういったタイプのバンドのデビュー・アルバムとしてはかなり高かったのではないだろうか。

この週の1位は初登場でポール・サイモン「リズム・オブ・ザ・セインツ」だが、その前の週はザ・シャーラタンズのデビュー・アルバム「サム・フレンドリー」が1位であった。マッドチェスター・ムーヴメントが生んだ名盤の1つ、ハッピー・マンデーズ「ピルズ・ン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス」がリリースされるのはこの翌週のことである。

マッドチェスター・ムーヴメントの次に来るのではないかといわれていたイギリスのインディー・ロック・バンドとしては、ライドの他にラッシュ、スロウダイヴ、チャプターハウスなどがいたわけだが、バンド同士の仲がよく、それほど野心的ではないというように見られていたような印象がある。そして、マッドチェスターのバンドに比べると、経済的に余裕があって学生ノリのバンドが多い、というようなことも当時、このジャンルの音楽を好んで聴いていた友人から聞いたような気がする。

「NME」「メロディー・メイカー」といったイギリスのインディー・ロックをよく取り上げていたメディアにおいても、ライターによって好みが別れていて、媒体全体としてこのシーンを盛り上げていこうというほどの熱量はあまり感じなかったような気もする。

同じようなタイプの音楽週刊誌として「サウンズ」というのがかつてあり、これは「メロディー・メイカー」を辞めた人が1970年に立ち上げたようなのだが、一時期は「NME」「メロディー・メイカー」「サウンズ」の3誌がライバル関係にあったのだという。先ほど挙げたようなタイプのバンドとして、ムースというのもいて、1992年のデビュー・アルバム「…XYZ」などはそこそこ評価されていたような印象がある。それはそうとして、「サウンズ」にムースのライヴ評が載ったのだが、そのライヴでボーカリストは床にテープで貼った歌詞が書かれた紙を読みながら歌っていたらしい。

このシーンのバンドはライブでたくさんのエフェクターを用いる傾向があったため、それを操作するために足元を見ながら演奏することが多かったのだという。これが客のことを気にせず自己陶酔的に演奏しているようにも見ようによっては見えることから、こういった態度をからかうようなニュアンスで自分自身の靴を凝視する人たち、シューゲイザーという単語は用いられていたような気がする。

「サウンズ」に掲載されたムースのライヴ評でそれははじめて使われたといわれているようなのだが、後にこれを多用したのは「NME」である。これらのバンドたちが主にテムズバレー近辺を拠点としていたことから、他のメディアではこのシーンのことをハッピーバレーなどと呼んでいるとも、当時このジャンルを好んで聴いている友人から聞いたような気がする。「メロディー・メイカー」は「ザ・シーン・ザット・セレブレイツ・イットセルフ」、つまり、自分たち自身を讃えているシーンなどと呼んでいたらしい。

アメリカではこれらのバンドたちによる音楽をドリーム・ポップなどと呼んだりもしていたのだが、結果的に元々は蔑称のニュアンスが強かったシューゲイザーという呼び方が残り、しかもネガティヴなニュアンスがまったくない1つのサブジャンル名としてすっかり定着しているようなところがある。

ちなみに、「サウンズ」という雑誌についてなのだが、ブリットポップという単語についても、ストーン・ローゼズやラーズなどの音楽に対して早くから用いていたようなのだが、当時はまったく普及しなかったようだ。そして、オアシス、ブラー、パルプ、スウェードなどによるブリットポップが盛り上がるよりも前の1991年には廃刊になっていた。

それはそうとして、この「ノーホエア」というアルバムはシューゲイザーというサブジャンルの名盤の1つとして、いまでは評価が定着している。個人的にはこの年の年末に実家に帰省する直前に、渋谷の宇田川町にあったFRISCOというCDショップで、ソニーの携帯CDプレイヤー、ディスクマンで聴いていたわけだが、やはり後にシューゲイザーと呼ばれるサブジャンルの特徴、轟音ギターと甘いボーカルという側面において衝撃を受け、新しさを感じていたような気がする。

このアルバムをつくるにあたって、バンドにはジャケットアートワークからも見て取れるように海のモチーフにしていこうという考えがあったようである。それで、1曲目のタイトルも「シーガル」でカモメなわけである。日本でも70年代にベストセラーとなった、リチャード・バックの小説「かもめのジョナサン」からもインスパイアされているらしい。そして、シューゲイザー的な特徴にばかり気を取られがちではあったのだが、ビートルズ「タックスマン」でお馴染みで、後にザ・ジャム「スタート!」やフリッパーズ・ギター「ゴーイング・ゼロ」などでも引用されたタイプのベースラインにサイケデリックなサウンドと、ポップ・ソングとしての工夫がいろいろ凝らされている。

「ドリームズ・バーン・ダウン」には当時のライドの音楽的特徴がよくあらわれていて分かりやすかったのだが、いま聴いてもとても良い。こういうところが好きだったのだ、と思い出すことができる。しかし、いまや代表曲としての評価が定着している「ヴァイパー・トレイル」などは、当時それほど印象には残らなかったような気がする。当時のライドの音楽的特徴が、それほど分かりやすくあらわれてはいなかったからではないかと思う。しかし、実はむしろこのようなタイプの曲にこそ、このバンドの持つ卓越したポップ感覚が生かされていたのではないかと感じたりはする。

当時、シューゲイザーはサブジャンル名として定着してはいなく、蔑称のようなニュアンスが強かったとはいえ、このアルバムに収録された音楽が、それをどう呼ぼうともポップ・ミュージックの新たな地平を切り拓くものであることはなんとなく分かっていた。このようなタイプの作品には、時間が経ってから聴くと当時ほどよくは感じられなくなっているものも少なくはない。しかし、このアルバムの場合、当時は表面的な新しさばかりに気を取られていて、それほど気づいていなかった楽曲そのものの良さなどが実感でき、より深く楽しむことができるような気がする。