プリンス「パープル・レイン」について。
1984年8月4日付の全米アルバム・チャートでプリンス&ザ・レヴォリューションの「パープル・レイン」がブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」に替わって1位になったのだが、それは実に24週にわたって継続され、やっとその座を明け渡したのは翌年、1985年1月19日付のチャートにおいてであった。そして、この時に「パープル・レイン」に替わって1位になったのがまたしても「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」ということで、この時期にいかにこの2枚のアルバムがアメリカで売れまくっていたかがよく分かるというものである。
この前の年、1983年といえばさらに前の年の暮れにリリースされたマイケル・ジャクソンの「スリラー」が大ヒット、それに大きく貢献したのはシングル・カットされ連続で1位になった「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」のビデオでもあったように思える。さらにその前の年、つまり1981年にアメリカで開局した音楽専門のケーブルテレビチャンネル、MTVが次第にヒットチャートに影響をあたえていくのだが、当初、このMTVで放送されていたのはほとんどが白人アーティストによるビデオだったといわれている。しかし、マイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」ぐらいになるとニーズも高まり、さすがに無視できなくなったのだろうか。この年、プリンスは「リトル・レッド・コルヴェット」でデビュー以来初の全米シングル・チャートトップ10入りを果たす。
プリンスというアーティストは音楽雑誌などでよくその名前を見かけ、マニアや通と呼ばれる人々にはとても人気があったようなのだが、1979年に「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」が全米シングル・チャートで最高11位を記録して以降、大きなヒットは生まれていなかった。
マイケル・ジャクソンの「スリラー」が出た頃だったと思うのだが、当時、高校1年だった私は小学生の頃からの友人の家に最近買ったレコードを持って行き、お互いに聴かせ合うというイベントを不定期的に行っていた。彼はソウルやR&Bやジャズ、私はロックやポップスやニュー・ウェイヴなどを主に好んでいたこともあり、買っているレコードが被らずになかなか良かった。
それで、お互いのレコードも一通り聴き終えて、FMラジオをつけるとちょうどプリンスの「1999」が流れた。それで、やはりこのアルバムも音楽雑誌などでは大きく取り上げられがちだったプリンスの話題になるわけだが、共通した感想としてはロックなのかソウルなのかはっきりしなく、中途半端でよく分からないというものであった。しかし、実はそのどっちつかずのよく分からなさこそがプリンスの音楽の特徴であり、その良さが分かった途端に夢中にならざるをえないものだったように思える。
すぐその後に、カルチャー・クラブやデュラン・デュランをはじめ、イギリス出身のバンドやアーティストがアメリカのチャートで目立つようになっていき、その現象は第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンなどと呼ばれるようにもなる。特徴としては映像に力を入れていて、ビデオがひじょうに印象的な場合が多かったことから、これもMTVによる影響だったと思われる。これらの現象によって、1983年あたりの時点で全米シングル・チャートのテイストは80年代が幕を開けた頃とはすっかり変わってしまったような感じもしていた。
第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンに対する揺り戻しなのか、1984年にはアメリカのアーティストの活躍が目立った印象が強い。最も象徴的だったのはブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」で間違いないのだが、プリンス、マドンナのポップ・アイコン化以外にもヒューイ・ルイス&ザ・ニューズやブライアン・アダムスらによるいかにもアメリカらしいロックがよく売れていたような気もする。
「1999」からシングル・カットされた「リトル・レッド・コルヴェット」「デリリアス」が全米シングル・チャートのトップ10に入り、いよいよ世間一般的にもポピュラーになってきたなという気はひじょうにしていたのと、当時のヒット曲の中でもやはり異質なところはあったので、そこはかなり気になっていた。少し前まではロックなのかソウルなのかよく分からず、中途半端な感じがすると思っていたのだが、聴けば聴くほどクセになり、深みにハマるという状態に変化してきていた。とはいえ、当時の全米シングル・チャートには第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの新しかったりよく分からなかったりするアーティストがどこからともなくランクインしていたりもして、かなり新しいものに対して寛容だったような気もするので、それの一環のようにして受け止めていた可能性も高い。
1984年になるとこれがよりオーセンティックなものの揺り戻しというか、ベーシックにちゃんとしたものがあって、それを現在流にアップデートしたようなものが良いのではないか、というような感じになっていたような気もする。これは日本のポップ・ミュージックにもいえることであり、たとえばサザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」だとか佐野元春「VISITORS」、竹内まりや「VARIETY」などがこの年だったりはする。それはそうとして、ここにきてプリンスの新曲というのは満を持してというような気もしたのだが、それにしてもこんなに売れるとは思っていなかった。あくまで異端の存在のようなものが、メインストリームど真ん中に位置してしまったわけであり、これには痛快さを感じたりもした。
それにしても、先行シングルで全米シングル・チャートで1位に輝いた「ビートに抱かれて」だが、なんともおかしな曲である。確かにポップでキャッチーではあるのだが、ベースの音が存在していなかったりと、ひじょうにユニークである。当時、カシオのワンキーボードとかいうやつで教材用のカセットレコーダーに多重録音して、この曲のカバーをしたことが思い出される。なぜかそうしたくなるサムシングが、この曲には確実にあったのである。
当時、私はザ・スタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」、ブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」、カーズ「ハートビート・シティ」、さらには佐野元春「VISITORS」、サザンオールスターズ「人気者で行こう」などを好んで聴いていたのだが、プリンスの「パープル・レイン」も奇にはなっていた。しかし、当麻町から通っていて、私に初めてアズテック・カメラ「ハイ・ランド、ハード・レイン」を聴かせてくれたりしていた友人がすでに買っていたので貸してもらった。ちなみにこのアルバムからアーティスト名がソロ・アーティストのプリンスからプリンス&ザ・レヴォリューションに輸入盤ではなっていたのだが、日本盤ではこのアルバムまでソロ・アーティストのプリンスになっていたような気がする。再発されたCDなどは、日本盤でもプリンス&ザ・レヴォリューションになっている場合があるが。
それはそうとして、「ビートに抱かれて」がどこか密室的だったのに対し、「パープル・レイン」の1曲目に収録された「レッツ・ゴー・クレイジー」はよりロック的なアプローチがされていて、それでもボーカルは紛れもなくプリンスだという新機軸を感じさせた。そして、この曲も「ビートに抱かれて」に次いでシングルがリリースされ、これもまた全米シングル・チャートで1位を記録した。
タイトルトラックの「パープル・レイン」が次にシングル・カットされ、これも全米シングル・チャートで最高2位を記録するのだが、この曲はそもそもスティーヴィー・ニックスとのデュエットが想定されていて、曲調ももっとカントリー的だったらしい。歌詞を書いてほしいとプリンスはこの曲をスティーヴィー・ニックスに渡したようなのだが、内容があまりにもすごすぎたため恐縮し、そのままお返ししたらしい。
曲によってはメンバーからの意見も積極的に取り上げられたというこのアルバムは、それまでのプリンスの作品と比べるとグッと間口が広く、一般大衆に合わせてきているようにも感じられる。それでも、マスターベーションをするくだりが歌詞に出てくる曲についてなど、一体どういうつもりなのかよく分からないところもある。
プリンス自身が主演した映画のサウンドトラックだという。この映画は少し後に旭川の映画館でも公開されて、私はそれを見に行った記憶がある。もうじき高校を卒業し、街を出て東京で一人暮らしをはじめるという絶妙に微妙な時期の感覚が、この映画の記憶とは重なっていたりもする。
そして、私は東京で一人暮らしをはじめてからも、この映画を映画館で見ていたはずである。「パープル・レイン」からはその後もまた別の曲がシングル・カットされてもいて、ツアーも1985年の春までずっと続いた。そして、それもやっと終わったすぐ後ぐらいに、早くもニュー・アルバム「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」がリリースされたのだった。このアルバムはサイケデリック風味もあって、なかなか良かった。私が自分で初めて買ったプリンスのレコードでもあった。ちばみに池袋PARCOにあったオンステージヤマノでのことである。当時は「パープル・レイン」よりもこっちの方が良いのではないかと思ったり、その後、翌年にリリースされた「パレード」は贅肉を極限まで削ぎ落としたような引き算の美学のように感じられながら、ファンクネスは失われていないところに感激した。さらに翌年にリリースされた「サイン・オブ・ザ・タイムズ」は誰もが認める超名盤ということになっているし、私にもそれは分かる。
プリンスの最も優れたアルバムは何かという話になった時に、個人的には「パレード」が好きだが世間一般的には「サイン・オブ・ザ・タイムズ」なのではないかという感じに長年してはいたのだが、ここ数年間はやはり「パープル・レイン」なのではないかという気がひじょうにしている。それは、ひじょうにユニークなことをやっていながらもあそこまで売れたというところがひじょうに大きいのだが、それまでのポップ・ミュージック史における様々な要素を取り入れ、ミックスしたりしながら最新型のそれをつくり上げているようなところが素晴らしく感じられる。