旭川の印象2024秋①旭川空港・平和通買物公園

2024年も旭川に来ることができて良かった。東京駅近くのKITTEに入っていたらーめんだいにんぐばいこうけんがいつの間にかなくなっていて、関東で梅光軒のラーメンを食べられるのが横浜だけになってしまった。しかし、横浜に行く用事というのがまったくない。

それで、旭川に行ったときはかつてミュージックショップ国原があったビルの地下にある梅光軒本店で醤油ラーメンを注文するつもりだったのだが、旭川空港のそらいちというフードコートエリアに梅光軒が出店していることを知って、そうすれば初日は市街地に出なくても済むことが分かった。

飛行機を降りるといきなりそこそこ寒く、この時期の旭川はこのぐらいの感じだという感覚を取り戻そうとした。とはいえ、10月の旭川は記憶をたどると40年ぶり、小泉今日子「ヤマトナデシコ七変化」がオリコン週間シングルランキングで1位だった頃以来となる。

空港内は良い感じにそれほど盛り上がっていなかったのだが、いつもならすぐバスに乗るところを出発ロビー側の方まで行って、エスカレーターで2階に上がった。右手の方にフードコートエリアのそらいちが広がっていた。いつの間にできていたのかよく知らないのだが、これはとても良いことである。

自動発券機で旭川醤油ラーメンの食券を買って、店員に渡すと出来上がったらブルブル震えて音が鳴るブザーのようなものが渡される。まるで島忠・ホームズのフードコートエリアでの長崎ちゃんぽんリンガーハットかはなまるうどんのような感覚で梅光軒のラーメンを注文するのは実に不思議な体験であった。

水はセルフサービスで紙コップという、これもまた典型的なフードコートエリアっぷりである。ブルブル震えて音が鳴ったので、旭川醤油ラーメンを取りに行った。トレーには大きなペッパーの缶も載っている。スープは熱くてまさに食べて育ってきたタイプの原体験としてのラーメンを思い起こさせてくれるようなものであった。しかし、麺は記憶していた以上にノーマルであり、もっと太くて縮れている北海道ラーメンらしいものだったような気もするのだが、完全な記憶違いの可能性もある。それで、メンマがとても太くてこれもまた特徴である。

とりあえず満足したのでエスカレーターで1階に降りて、シマエナガ関連のガチャガチャがやたらとあるな、などと思ったりしながら外に出て適当なバスに乗った。実家まで歩いて帰れる停留所は旭川空港から市街地までの間にあるのでそこで降りようと思っていたのだが、何だか知っているのとは異なったルートで市街地へと向かっている。

こうなるともう仕方がないので、旭川駅前で750円を支払ってバスを降りた。なんだか雨が降っているような気もしたのだが、気にせずあるいた。横断歩道でカッコーの鳴き声に似ているような気がしないでもない音が聞こえていたりすると、旭川に来たなという実感が湧く。

それはまあ良いのだが、いつかのバスの旅的な番組で太川陽介が蕎麦屋に入りたがっていたのだが、元乃木坂46の生駒里奈による強い主張によってセイコーマートの惣菜などを食べるはめになった現地などを通り過ぎて、平和通買物公園の方に行く。ちなみにその蕎麦屋こと名人傍とセイコーマートとの間にはらーめん山頭火の本店がある。

2016年に閉館した西武百貨店旭川店の建物はすでに跡形もなく、A館だったところは駐車場になっているため、旭川駅からイオンモール旭川駅前までが完全に見渡せる。明治屋ビルという建物があるのだが、かつてそこには明治屋という土産物店のようなものがあり、アイヌの独特な楽器の音のようなものが店頭で流れていたような気がする。

セブンイレブンで直球勝負STRONGという東京では見かけない税抜98円のアルコール度数9%ストロング缶チューハイが売られているのだが、販売者は合同酒精株式会社である。住所は千葉県松戸市になっているのだが、旭川には工場があったりいろいろゆかりが深い。

旭川のコンビニエンスストアで珍味のコーナーを見ると、鮭スティック、鮭とばスライス、むき氷下魚、むきポンたらなどが陳列されていて、北海道民にとっては見慣れた光景なのかもしれないのだが、東京でのそれとはかなり異なっている。

中学高校時代の最重要レコード店であるミュージックショップ国原は2008年に閉店しているのだが、その建物は現存していて、1階はローソン旭川2条八丁目店になっている。地下には梅光軒旭川本店がある。かつては2階が確か楽器売場になっていて、もっと上の方の階にはゲームセンターがあり、同級生が平安京エイリアンなどをやっていた。焼そばなどが食べられるコーナーもあってよく利用していたのだが、旭川で焼そばといえば平和通買物公園をもっと奥に行ったところにあったやまやの印象がひじょうに強い。

丸井今井旭川店の跡地であるFeeeal旭川はオープン当初、ジュンク堂書店が他フロアにわたっていてかなりのインパクトをあたえていたのだが、現在ではかなり縮小し、店頭をパッと見ただけではすぐに分からなくなっている。北海道内の様々な人気店を期間限定で招いている北海道ラーメン紀行は第101弾に達し、手稲ラーメン肉玉というお店が出店していた。

マルカツは閉館しているのだが建物はまだ残っている。炭火居酒屋炎が入っているレンガ風の壁のビルにはかつてマクドナルドやジーンズショップ地球村が入っていて、それを懐かしんでいたところ、当時のヒット曲である堀ちえみ「とまどいの週末」が流れ、その後は郷ひろみ「マイレディー」であった。

レッツゴーカレーというカレー店も入っていたので金沢カレーのゴーゴーカレーにインスパイアされているのかとも思ったのだが、特にそのような様子も見られず、ザンギカレーなどもメニューにはあり、しかも人気NO2だということなので、マイルドなご当地感も出せているような気がする。

冨貴堂書店の外観は保たれているのだが、おそらくもう営業はしていないのだろう。東京よりも何日か遅れて発売される「ミュージック・マガジン」や40年前にジョージ・オーウェルの小説「1984年」の文庫本を買ったのも確かここだった気もする。ツッパリ風の男子中学生が親に暴走族の写真集をねだって買ってもらっっているのを見たのは1981年頃だったような気がするのだが、大人気すぎて旭川の書店ではなかなか買うことができなかった「ビートたけしの三国一の幸せ者」をやっと買うことができて感激したのもこの店だった。あとは「よい子の歌謡曲」の単行本もここで買った。

その並びにあったレコード店か楽器店の地下のスタジオで友人がバンドの練習をやっていて、それに飛び入りしたりだとか、ビルの上の方の階にあったガウスというジャズ喫茶に入り浸ったり、大学受験前の大事な時期だというのに同級生の恋愛話に真剣になったりしていたような気がするのだが、本当にこの辺りだったのかについては記憶が定かではない。

ファッションプラザOKUNOの地下にあった玉光堂は個人的に中学高校時代にミュージックショップ国原の次に重要なレコード店だったのだが、同じく地下にあった書店では雑誌「ガロ」に連載していた頃の蛭子能収や根本敬などの漫画本をよく立ち読みしていた記憶がある。大滝詠一「A LONG VACATION」のイラストブックのようなものもここで見たが買わなかった。

高校生の頃、何らかの打ち上げ的なものを行う場合、待ち合わせはたいていファッションプラザOKUNOの時計の下だったものだが、その時計もいつの間にかなくなっていた。

閉館するという話になっていて、昨年にはこれで見納めかと思っていたのだが、外観はそのままで明らかに営業もしている。「オッサンが・お洒落をすると・セクシーになる」という看板も掲げられたままである。

その少し先にあるオモチャのたもちゃんは街の玩具店として普通に利用していたのだが、いろいろ懐かしい玩具なども扱っているということでいつの間にか好事家の間で話題のお店になっていた。個人的に最後に見たときには2010年代後半にもかかわらず店頭でNINTENDO64のソフトを売っていたりしてとても良かったし、すっとそこにあるような気がしていたのだが、コロナ禍でなかなか来ることができないうちに2021年に閉店してしまった。現在は昭和歌謡流れる大衆酒場ニューキャッスルになっているようだ。

いろいろと変わり果てまくっている平和通買物公園にあって、ミスタードーナツ旭川2条ショップだけはずっとそこにあるような気がするのですごい。あとはミッキー靴店などもである。

これで現時点における平和通買物公園の様子を確認しておくという予定は初日にして意図せず消化できたようにも思えたのだが、何日か後にまた訪れるものと思われる。