ダリル・ホール&ジョン・オーツ「プライベート・アイズ」

「プライベート・アイズ」はダリル・ホール&ジョン・オーツの10作目のアルバム「プライベート・アイズ」のタイトル曲にして先行シングルとしてもリリースされた楽曲で、全米シングルチャートで2週連続1位を記録した。

その翌週から10週連続1位を記録したのはオリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカル」だったのだが、その次の1位はまたしてもダリル・ホール&ジョン・オーツのアルバム「プライベート・アイズ」からシングルカットされた「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」で、フォリナー「ガール・ライク・ユー」は10週連続2位を記録するものの、結局は1位になれずじまいであった。

ダリル・ホール&ジョン・オーツは1970年にデュオとしての活動をスタートさせるのだが、ソウルミュージックやR&Bから影響を受けたブルーアイドソウルと呼ばれる音楽性が特徴であり、1977年には「リッチ・ガール」が全米シングルチャートで初の1位を記録した。

1980年のアルバム「モダン・ヴォイス」からは「ハウ・ダズ・イット・フィール」、ライチャス・ブラザーズ「ふられた気持」のカバーバージョンに続いて3曲目のシングルとしてカットされた「キッス・オン・マイ・リスト」が翌年になってから全米シングルチャートで1位、続く「ユー・メイク・マイ・ドリームス」が最高5位を記録した。

その勢いのままリリースされたのが「プライベート・アイズ」であった。アルバムの制作中に「キッス・オン・マイ・リスト」が全米シングルチャートの1位になったことを知り、キャッチーな楽曲でさらにヒットを狙っていこうというような気分が、軽快な手拍子の導入などにつながっているように思える。

ロック批評的にはこの次にシングルカットされ、全米シングルチャートのみならず、R&Bチャートでも1位を記録し、マイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」のベースラインにインスピレーションをあたえたり、デ・ラ・ソウル「ノー・キャン・ドゥ」でサンプリングされたりもした「アイ・キャント・後ー・フォー・ザット」の方が高く評価されがちなのだが、当時のポップスファンにとってはやはり「プライベート・アイズ」こそがダリル・ホール&ジョン・オーツの存在を一般大衆レベルでもメジャーにした楽曲という印象が強い。

「プライベート・アイズ」という英語が「私立探偵」を意味することをこの曲によって知った当時の日本の中高生はそれほど少なくはないような気もする。低予算で撮影されたが、テレビではよくオンエアされていて、80年代を象徴するポップモーメントの1つとしても知られるミュージックビデオでは、メンバーが私立探偵を思わせる簡素なコスプレをしていて微笑ましい。

そして、いかにも80年代らしいサックスも最高である。キャッチーなメロディーとサウンドでありながら、「君を見張っている」というようなフレーズが繰り返される歌詞にはどこかマイルドにストーカー的な不穏さも感じられ、偏執狂的で歪な愛情をテーマにしたつもりなのだが純粋なラブソングとして誤解されがちなポリス「見つめていたい」にも通じるところがある。

ダリル・ホール&ジョン・オーツは「キッス・オン・マイ・リスト」「プライベート・アイズ」「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」に続いて、「マンイーター」「アウト・オブ・タッチ」でも全米シングルチャートで1位を記録し、1984年の時点では80年代で最も多くの全米NO.1ヒットを持つアーティストだったのだが、後半になるとマイケル・ジャクソン、マドンナ、ホイットニー・ヒューストンに抜かれることになった。

その後も途中にソロ活動や休止期間をはさみながら、デュオとしても断続的に活動は続けていて、2020年初めの段階ではニューアルバムの予定も示唆されていたのだが、新型コロナウィルスのパンデミックなどもあり、状況が変わったまま、いつしか金銭的なトラブルなどによってダリル・ホールがジョン・オーツに対して訴訟を起こしたり、接近禁止命令を出したりする自体となって、2024年の段階では2人が今後一緒に活動をすることはもう無いだろうといわれてもいる。