オアシスの名曲ベスト10
オアシスはイギリスのマンチェスターで結成されたロックバンドで、1994年にシングル「スーパーソニック」でデビューしたのだが、当時のイギリスにおけるインディーロック的な音楽がメインストリームとして受けまくる、いわゆるブリットポップ的なトレンドにタイミング的にうまくのれたのみならず、楽曲の良さやボーカリストのカリスマ性やインタビュー記事における兄弟喧嘩の面白さなどもあって、間もなく人気バンドになるのであった。
インディーロック的なアティテュードとクラシックロック的な音楽性がミックスされたようなところがとても良く、こういったタイプの音楽が元々好きだったリスナーのみならず、一般大衆にも強烈にアピールし、トレンディなポップアイコン化したようなところもすさまじかった。それでビートルズ以来のとかいろいろ言われたりもしたのだが、ブリットポップブームが落ち着いた後も人気は続いていき、批評的には芳しくない作品もあったりはしたのだが、セールスは概ね好調であった。
メンバーチェンジがいろいろあったりもして、デビューからずっと固定されていたのはノエルとリアムのギャラガー兄弟だけになっていたのだが、その関係性もなかなかしんどくなっていっていて、2009年にはノエル・ギャラガーの脱退にともない解散することになった。
その後、ノエルとリアムそれぞれのバンドやソロ作品も順調に売れ続けていて、オアシスの楽曲もたとえばビートルズなどの楽曲と同様に、クラシックスとして時代を超えて聴き続けられている。そうこうしているうちに、デビューアルバム「オアシス」(原題:「Definitely Maybe」)のリリースから30年後となる2024年の夏の終わりに、オアシスの再結成が発表された。
当時のファンはもちろんのこと、当時を知らない若者たちの間でも大いに話題となり、過去のアルバムやシングルが全英チャートのわりと上位の方にランクインしてきたりもした。
というわけで、今回はそんなオアシスの数ある楽曲の中から、これは特に名曲なのではないかと思えるものをたった10曲に厳選すると共に、簡単な解説と個人的な感想や思い出話などを付け加えていこうと思い立ったわけである。
1. Live Forever (1994)
オアシスの3枚目のシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高10位を記録した。この曲がオアシスにとって最初の全英トップ10シングルである。この曲も収録したデビューアルバム「オアシス」(原題:「Definitely Maybe」)はこの約3週間後にリリースされ、全英アルバムチャートで初登場1位、イギリスで歴代最も速く売れたデビューアルバムとなった。
この曲はファンの間でひじょうに人気があり、一般的にもオアシスの代表曲として認識されているのみならず、ソングライターのノエル・ギャラガーがこの曲を書いたことをかなり誇りに思っていると語っていたり、ノエルの弟でリードボーカリストのリアム・ギャラガーがオアシスの曲の中で一番好きだと発言していたりもする。
ノエル・ギャラガーはこの曲を1991年に書いたのだが、当時は建設会社で働いていたものの、怪我をしてそれほど負担が大きくはない倉庫勤務になったことにより、時間に余裕ができたのがとても良かったようである。ローリング・ストーンズのアルバム「メイン・ストリートのならず者」に収録された「シャイン・ア・ライト」にインスパイアされている。
当初はアコースティックギターの演奏によるイントロが付いていたのだが、プロデューサーのオーウェン・モリスがこれをカットして、ドラムビートのイントロになった。
歌いだしの庭園について歌っている歌詞は、熱心な園芸家でもあるギャラガー兄弟の母、ペギーに捧げられたものだと解釈されている。
とはいえ、最も印象的であり、この楽曲が広く支持される要因となっているのは、あなたと私とは永遠に生きるのだ、というような生命に対しての肯定感であろう。
これは当時、流行していたグランジロック、特にニルヴァーナのカート・コバーンによる「アイ・ヘイト・マイセルフ・アンド・ウォント・トゥ・ダイ」という曲のタイトルなどに表れている自己嫌悪や自殺願望といったネガティブな気分に対してのレジスタンスとしても機能したのであった。
ノエル・ギャラガーはニルヴァーナの音楽そのものは好んでいたが、若者たちにはもっとポジティブで希望を感じられる音楽が聴かれるべきだという思いもあったようである。
奇しくもオアシスがシングル「スーパーソニック」でデビューしたのは、カート・コバーンが自ら命を絶ったとされる報道が出た翌週のことであった。
シングルのジャケットには、リヴァプールにあるジョン・レノンが生まれた家の写真が使われている。また、この曲がライブでパフォーマンスされる際に、ステージ上のスクリーンにエルヴィス・プレスリー、ジミ・ヘンドリックス、ボブ・マーリーといった亡くなったポップミュージック界の偉人たちの写真が映しだされることがあったが、最後にはジョン・レノンの写真が使われていた。
2. Don’t Look Back in Anger (1995)
オアシスの2作目のアルバム「モーニング・グローリー」からイギリスでは4枚目のシングルとしてカットされ、全英シングルチャートで1位を記録した。リアムではなくノエル・ギャラガーがシングルのA面でリードボーカルをとった最初の楽曲である。
ノエル・ギャラガーはこの曲か「ワンダーウォール」のどちらかでリードボーカルをとろうと考え、リアム・ギャラガーにどちらが歌いたいか尋ねたところ「ワンダーウォール」を選んだため、自分ではこの曲を歌うことになった。
リアム・ギャラガーのカリスマ性のあるワイルドなボーカルも良いのだが、ノエル・ギャラガーのシンガーソングライター的ともいえる繊細なボーカルも人気は高く、それはまずデビューアルバム「オアシス」の2枚組アナログレコードに収録されていた「サッド・ソング」(日本ではCDにも収録)で知られるようになった。
ピアノの演奏によるイントロはジョン・レノン「イマジン」を思わせるが、「ベッドから革命をはじめる」というような歌詞もまた、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが1969年に行った平和活動、ベッド・インにインスパイアされたものである。
この曲がまだ完成していなかった頃、ノエル・ギャラガーがサウンドチェックでアコースティックギターを弾きながら適当に歌っていると、リアム・ギャラガーが「So Sally can wait」と歌っているのかと聞いてきたので、これは良いと思いそのまま採用されたようである。
また、「暖炉のそばに立って」という歌詞は、ギャラガー兄弟が子供だった頃に聖パトリックの祝日には母が兄弟を暖炉のそばに立たせて、祖母に送るための写真を撮っていた思い出に由来する。
「モーニング・グローリー」のアルバムを買ったリスナーにとってこの曲は収録曲の中でも特にとても良い楽曲のうちの1つとして知られていたのだが、アルバムのリリースから約4ヶ月半後にシングルカットされ、さらにはBBCのテレビドラマ「アワ・フレンズ・イン・ザ・ノース」の最終話のエンディングに使われるに至って、イギリスの一般大衆にも広く知られるようになった。
3. Wonderwall (1995)
オアシスの2作目のアルバム「モーニング・グローリー」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高2位を記録した。
アルバムでは「ハロー」、そして先行シングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高2位を記録した「ロール・ウィズ・イット」に続く3曲目に収録されている。「ロール・ウィズ・イット」のシングルはブラーの4作目のアルバム「ザ・グレイト・エスケープ」からの先行シングル「カントリー・ハウス」とまったく同じ日に発売された。
当時のイギリスではいわゆるブリットポップが大流行していて、インディーロックバンドのシングルがチャートの上位にランクインするのが当たり前というような状況になっていたのだが、その中でも特に人気が高く、しかもロンドンとマンチェスター、ミドルクラスとワーキングクラスという観点からブラーとオアシスとはメディアなどによってライバル視されがちであった。
それでオアシス「ロール・ウィズ・イット」とブラー「カントリー・ハウス」とがまったく同じ日に発売されて、どちらが1位になるかという話題は「バトル・オブ・ブリットポップ」としてポップミュージック界隈なみならず、一般大衆的な関心事としてもテレビのニュースなどで取り上げられていた。
結果的にブラー「カントリー・ハウス」が1位、オアシス「ロール・ウィズ・イット」が2位になったのだが、ブラーの方は2種類のシングルが発売されていてそれらの合算だったのでそもそも有利だったとか、オアシスの方が一部でバーコードのミスがあって計上漏れがあったかもしれないとか、そういった話も出てきてはいた。
とはいえ、「バトル・オブ・ブリットポップ」の敗者としてのイメージが付いた状態でオアシスのアルバム「モーニング・グローリー」はリリースされたのだが、先行シングルよりも良い曲がたくさん収録されている、という印象を当時のリスナーは持ったはずであり、そのうちの1つがこの曲である。
ノエル・ギャラガーが失業中だった当時の恋人で、後に結婚、離婚するメグ・マシューズを励ますために書いたとされていたのだが、ある時点においてこの説は否定され、人生を救ってくれる空想上の友達について歌った曲ということになっている。
タイトルはジョージ・ハリスン「ワンダーウォール・ミュージック」に由来しているが、当初は「ウィッシング・ストーン」というタイトルであった。
ブリットポップの人気バンドたちはイギリス国内ではヒット曲を連発していたのだが、アメリカではまったくそんなことはなかった。しかし、この曲は全米シングルチャートで最高8位とトップ10入りを果たしている。
4. Champagne Supernova (1995)
オアシスの2作目のアルバム「モーニング・グローリー」の最後に収録されている楽曲で、イギリスではシングルカットされていないのだが、人気はひじょうに高く、代表曲の1つとして知られている。
アルバムに収録されたバージョンは約7分27分もあるのだが、ラジオ向けに約5分08秒に編集されたバージョンも存在する。アメリカではラジオシングル扱いであり、モダンロックトラックチャートで1位を記録している。
ポール・ウェラーがギターとバックボーカルでレコーディングに参加しているが、1996年のネブワース公演ではザ・ストーン・ローゼズのギタリスト、ジョン・スクワイアがゲスト出演した。
叙事詩的ともいえるアンセミックな楽曲だが、他のオアシスのいくつかの曲と同様に、歌詞には意味が不明瞭で、ソングライターのノエル・ギャラガー自身もよく分かっていないと説明しているところがある。
2003年にハワイで発見され、カナダの研究者によって発表された天体現象は、この曲にちなんで「シャンペン・スーパーノヴァ」と名付けられた。
5. Supersonic (1994)
オアシスのデビューシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高31位を記録した。
当初、デビューシングルには「ブリング・イット・オン・ダウン」が予定されていたのだが、レコーディングが望んでいたような成果を得られなかったことなどにより、ノエル・ギャラガーによってレコーディングの合間に、他のメンバーがテイクアウトの中華料理を食べている30分ほどの間に書かれたというこの曲が採用された。
「私は自分自身でなくてはならず、他の誰でもありようがない」というような歌いだしの歌詞はバンドのデビューシングルの最初のフレーズとしてマニフェスト的でもあり、その存在意義を明確にしているようでもあった。
それ以降の歌詞は、たとえば「スーパーソニック」と「ジントニック」で韻を踏んでいるように、雰囲気重視でそれほど意味がないところも多いのだが、これもまたオアシスらしさということもでき、いろいろな意味でデビューシングルにふさわしいということができる。
オアシスといえばビートルズを参照することがひじょうに多いのだが、このデビューシングル曲の時点ですでに「イエロー・サブマリン」の曲名が歌詞に含まれている。
6. Acquiesce (1995)
オアシスのシングル「サム・マイト・セイ」にカップリング曲として収録された楽曲で、オリジナルアルバムには収録されていないのだが、1998年にリリースされたコンピレーションアルバム「ザ・マスタープラン」では1曲目に収録された。
リアム・ギャラガーがヴァースを歌った後にノエル・ギャラガーがコーラスを歌い、しかもその歌詞が「私たちはお互いを必要ととしていて、信じ合っている」というようなものであることから、喧嘩は絶えないものの心の底では信頼し合っているであろうギャラガー兄弟自身のことについて歌っていると思われがちなのだが、実際には広い意味での友情をテーマにした楽曲であり、コーラスをノエル・ギャラガーが歌っているのも、音程が高くてリアム・ギャラガーには歌いにくかったことが理由だということである。
クリエイションレコードのボスであるアラン・マッギーはこの曲をシングルとしてリリースするべきだと主張したのだが、カップリング曲をまたつくらなければならないことが難儀だったことなどを理由に、ノエル・ギャラガーが反対したといわれている。
「NME」は2025年に予定されているオアシスの再結成ライブにおける理想的なセットリストで、この曲をオープニングナンバーに選んでいる。
7. Some Might Say (1995)
オアシスのアルバム「モーニング・グローリー」からリードシングルとしてリリースされ、全英シングルチャートではバンドにとって初となる1位を記録した。
ノエル・ギャラガーがマンチェスターからロンドンに引っ越して最初に書いた楽曲であり、初期ドラマーのトニー・マッキャロルが参加した最後のシングルである。
グラント・リー・バッファロー「ファジー」やフェイセズなどの影響を受けていると言われている。サウンドやボーカル、すべてにおいて輝きに満ちていて、新しい時代の訪れを感じさせる。
8. Slide Away (1994)
オアシスのデビューアルバム「オアシス」(原題:「Definitely Maybe」)の10曲目に収録されている楽曲である。シングルカットの話もあったということなのだが、ノエル・ギャラガーがデビューアルバムから5曲もシングルカットすることに反対したことなどによって実現しなかった。それで、シングル「ホワットエヴァー」にカップリング曲として収録されたりはした。
ノエル・ギャラガーが1989年から6年間交際していたガールフレンド、ルイーズ・ジョーンズとの波乱に満ちた関係性をテーマに書いたといわれる胸を引き裂かれるようなラブソングであり、シングルカットされていないうえにライブでもあまり演奏されなかったにもかかわらず、ファンの間でひじょうに人気が高く、音楽ライターによるオアシスのベストソングリストでも上位に選ばれることが少なくはない。
ノエル・ギャラガーがこの曲におけるリアム・ギャラガーのボーカルパフォーマンスを絶賛していたり、ポール・マッカートニーがオアシスのお気に入りの曲として挙げていたことでも知られる。
ノエル・ギャラガーはジョニー・マーからザ・スミス「ザ・クイーン・イズ・デッド」を書いたときに使ったといわれるギターを借りて、それを初めて手にした夜にこの曲を書き上げたという。
9. Cigarettes & Alchol (1994)
オアシスのデビューアルバム「オアシス(原題:Definitely Maybe)」は1994年8月29日にリリースされ、当然のように全英アルバム・チャートで初登場1位に輝いた。この頃になるとUKインディーロック意外の音楽ファンからもわりと注目されてきていたような気がする。
楽曲のクオリティも素晴らしいものだったのだが、後に4作目のシングルとしてカットされ、全英シングルチャートで最高7位を記録するこの曲はタイトルからして「シガレッツ&アルコール」というだけあって、不健康かもしれない快楽主義のようなものを全力で肯定するかのようなご機嫌なロックチューンである。
そして、こういった感覚の復権こそがオアシスが果たした大きな役割のうちの1つではあるのだが、バラード曲も良すぎるがために、わりと軽視されがちのような気もする。
たとえば「it’s a crazy situation」、つまり直訳すると「それは狂った状況です」というような歌詞をリアム・ギャラガーは「イッツァクレェェェイジシッチュエイッショォォン」と歌うことによって、その感じをよりヴィヴィッドに表現しえているということができる。
この曲はオアシスのデビューシングル「スーパーソニック」がリリースされるより以前に「NME」の付録のカセットテープに収録されていたのだが、そのときにはもっとT・レックス「ゲット・イット・オン」に似ていた。
10. The Masterplan (1995)
オアシスのシングル「ワンダーウォール」にカップリング曲として収録された楽曲である。ノエル・ギャラガーがリードボーカルをとっていて、リアム・ギャラガーとベーシストのポール・”ギグジー”・マッギーガンはレコーディングに参加していない。
ノエル・ギャラガーはこの曲を自分自身が書いた特に優れた楽曲の1つとして認識していて、当時、レーベルのボスであるアラン・マッギーからカップリング曲にしては良すぎると言われたにもかかわらず、シングル表題曲としてリリースしなかったことを後悔していると語っている。
1998年にリリースされたコンピレーションアルバム「ザ・マスタープラン」では最後に収録されたのみならず、タイトルにもなっていて、後にリリースされたベストアルバム「ストップ・ザ・クロックス」「タイム・フライズ…1994−2009」にも収録されている。
人生の旅路について歌われたこの楽曲は、バンドのキャリアとも重ね合わせて聴くことができる。ビートルズ「オクトパス・ガーデン」の高音のボーカルがノエル・ギャラガーによって歌われているが、歌詞にもビートルズの代表曲である「レット・イット・ビー」のタイトルが含まれている。