小沢健二、スチャダラパー「今夜はブギー・バック」【CLASSIC SONGS】
「ダンスフロアーに華やかな光 僕をそっと包むようなハーモニー」の歌いだしで知られる小沢健二とスチャダラパーの「今夜はブギー・バック」は1994年3月9日にリリースされたとても有名な楽曲である。小沢健二 featuring スチャダラパー「今夜はブギー・バック(nice vocal)」、スチャダラパー featuring 小沢健二「今夜はブギー・バック(smooth rap)」の2通りのCDシングルがそれぞれ東芝EMIとキューン・ソニーから発売され、オリコン週間シングルランキングではそれぞ最高16位と21位を記録した。
タイトルやアーティスト名の表記から想像できるように、前者は小沢健二のボーカルが多めで、後者はスチャダラパーのラップが多めである。vocalがniceでrapがsmoothなのは、アメリカのヒップホップデュオ、ナイス&スムースにちなんでいて、この楽曲では彼らが1991年にリリースし全米ラップチャートで最高21位を記録した「Cake and Eat It Too」がサンプリングしている。
小沢健二はスチャダラパーにANIの家に遊びにいった時に、ジャケットが面白いアルバムというような感じでナイス&スムースのレコードをすすめられたのだが、その内容も含めてすっかり気に入ってしまったようである。小沢健二とスチャダラパーのメンバーは当時、後にブギーバックマンションと呼ばれるようになる同じマンションに住んでいて、一緒によく遊んでいるような仲だったという。
他のアーティストとのコラボレーションというアイデアはスチャダラパーが当時の所属レーベルから要請されたものであり、その成果はこの曲も収録したミニアルバム「スチャダラ外伝」に結実している。このミニアルバムには小沢健二の他にゴンチチ、藤原ヒロシ、工藤昌之、東京スカパラダイスオーケストラ、L.B.NATIONとのコラボレーション楽曲が収録されている。
L.B.NATIONは当時、スチャダラパーを中心に構成されていたヒップホップ・クランであり、レコーディングにはTONEPAYS、TOKYO No.1 SOUL SET、四街道ネイチャー、脱線3、JUDO、ナオヒロック&スズキスムース、キミドリ、THE CARTOONS、ナマロイ&ヒラノブラウンらが参加していたようである。
東京スカパラダイスオーケストラの演奏にのせてL.B.NATIONの人たちがマイクリレーをつないでいく楽曲「GET UP DANCE」はアメリカのファンクバンド、FREEDOMのカバーであり、スチャダラパーのBoseがレギュラー出演したフジテレビ系の子供向け番組「ポンキッキーズ」のテーマソングとしても使われていた。
このミニアルバムは「今夜はブギー・バック」がヒットした影響もあって、オリコン週間アルバムランキングで最高11位と、それまでにスチャダラパーが記録していたこのランキングにおける最高位である「タワーリング・ナンセンス」の35位を大きく上回るものであった。
1曲目に収録された「トラベル・チャンス」はゴンチチとのコラボレーション楽曲で、タイトルの通り旅がテーマになっている。タイトルは関口宏が司会をしていたTBS系の人気クイズ番組「クイズ100人に聞きました」で発生するイベントに由来していると思われる。
そして、「今夜はブギー・バック」はこの次に収録されているのだが、やはり当初は旅がテーマにもなっていて、「1、2、3を待たずに24小節の旅のはじまり」にその痕跡は残っている(nice vocalでは「16小節の旅のはじまり」である)。温泉旅行に行くくだりなどがリリックには入っていたようなのだが、小沢健二が難色をしめすなどした結果、現在のかたちになったといわれている。
パーティーラップとラヴバラードとが1曲の中に混在しているような1粒で2度おいしい的な楽曲になっているわけだが、ボーカルパートにおけるわりとストレートなラヴソングぶりはそれまでの小沢健二のフリッパーズ・ギター時代やソロアーティストとしての楽曲に見られた文学性からあえてかけ離れているように感じられなくもない。
コラボレーションにあたって、たとえば昭和50年代の歌謡ポップスでいえば、郷ひろみ・樹木希林「林檎殺人事件」や石川優子とチャゲ「ふたりの愛ランド」などに見られるマイルドなノベルティ感を狙ってもいたのではないか、と取ることができる発言もある。
そして、スチャダラパーのラップパートについては、ANIが「俺って何も言ってねーっ」と言っているように、ナンセンスなところがひじょうに多いように感じるのだが、実は「心のベスト10 第一位はこんな曲だった」「ここでしか見れない景色 ここでしか吸えない空気」「とにかくパーティーを続けよう」などのような芯を食っていて熱いことももちろん言われていて、この絶妙なバランスがとても良く、長年にわたって聴き続けられている要因であるような気もする。
President BPMこと近田春夫の「Masscommunication Breakdown」やいとうせいこう&Tinnie Punx「東京ブロンクス」などは1986年にはすでにリリースされていて、つまり日本のヒップホップというのはこの時点でもうすでにあったわけだが、メインストリームにはまだまったく食い込んでいない状態であり、やはりラップというのは英語だからこそカッコいいのであって、日本語ではなかなか厳しいのではないか、という見方は1990年代に入ってからも比較的根強かったような気はする。
スチャダラパーは北青山にあるとても有名なデザイン専門学校、桑沢デザイン研究所で出会ったBoseとANIに、ANIの弟で浪人生だったSHINCOを加えて結成された。グループ名はシティボーイズ、竹中直人、いとうせいこう、中村ゆうじらによる演劇ユニット、ラジカル・ガジベリビンバ・システムの公演タイトル「スチャダラ」と「ラッパー」を組み合わせたものである。
DJコンテストに日本テレビ系の人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」のテーマソングをサンプリングした楽曲で出場したことが話題となり、デビューするはこびとなった。アメリカのヒップホップはおそらく彼らが幼いころから慣れ親しんでいたであろうジェームス・ブラウンなどのファンクをサンプリングしがちだったのだが、スチャダラパーは日本人である自分たちが幼い頃にやはり慣れ親しんだテレビドラマやアニメ、ニューミュージックなどのレコードからサンプリングしているところがひじょうに新しかった。
アメリカのヒップホップはまず強そうなものがあって、それに対するオルタナティブという感じでア・トライブ・コールド・クエスト、デ・ラ・ソウルなどのより文化的なイメージの人たちが出てきたのだが、日本ではいとうせいこうやスチャダラパーのような文化系的なラッパーたちの方がまず先駆者的になったことが特徴的ではある。
とはいえ、デビューアルバム「スチャダラ大作戦」では当時のポップミュージックシーンにおける主流であったビートパンク勢や、バブル景気を背景とした高度資本主義社会のなれの果て的に性愛至上主義なボーイズ&ガールズに対して毒づく姿勢なども強く感じられた。しかし、いろいろ疲れたりもしていわゆる「おもろラップ」なるものを標榜するようになったりもするのだが、テレビゲーム好きなのでそれをテーマにしようとした「ゲームボーイズ」という曲においてすら、ちょっとしたゲーム業界批判を入れずにはいられない生真面目さのようなものには好感が持てた。
それで、スチャダラパーのデビューアルバム「スチャダラ大作戦」が発売されたのは1990年5月5日で、いとうせいこうや小泉今日子によるコメントが収録されていたりもしたのだが、この同じ日にバンドブームを象徴する最たるものであったTBS系のオーディション番組「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」で3代目グランドイカ天キングに輝いたたまのデビューシングル「さよなら人類」、そして、小沢健二とcorneliusこと小山田圭吾がかつて一緒にやっていたバンド、フリッパーズ・ギターの「恋とマシンガン」であった。
フリッパーズ・ギターは当初、小沢健二と小山田圭吾の他にも何人かのメンバーがいるバンドで、1989年にデビューアルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」をリリースしていたのだが、全曲が英語詞である上に音楽的にもイギリスのインディーロックや日本ではネオアコことネオアコースティックとカテゴライズされがちな音楽をやっていて、それらは当時の日本のメインストリームとはほとんどまったく関係がなかったのだが、一部の音楽ファンたちの間では高く評価されていた。
翌年には元ピチカート・ファイヴのボーカリストであった佐々木麻美子をフィーチャーしたシングル「フレンズ・アゲイン」をリリースし、より話題になるのだが、まだオリコン週間シングルランキングでは目立ったチャートアクションは見られない。カップリングにはデビューアルバムからロッテブラックブラックガムのCMにも使われた「ピクニックには早すぎる」が収録された。「オクトパスアーミー シブヤで会いたい」という映画にもフリッパーズ・ギターの音楽が使われていたのだが、まだ「渋谷系」などとはまったく言われてはいない。
そして、シングル「恋とマシンガン」である。緒形直人、織田裕二、的場浩司、田中美佐子、渡辺満里奈、深津絵里などが出演したTBS系のテレビドラマ「予備校ブギ」の主題歌というタイアップがついていた上に、大きな特徴はカップリングの「バスルームで髪を切る100の方法」と共に、歌詞が日本語になったという点である。しかも、それが従来の日本語ポップスの歌詞とはやや異なった言語感覚を持ち、しかもそれらが日本語の歌詞においては表現することが難しいと無意識に思われていたフィーリングを的確に表現できていたようにも感じられ、衝撃を受けた音楽リスナーは少なくはない。
たとえばザ・スタイル・カウンシルやアズテック・カメラのような音楽が好きだったとしても、その感じというのは英語の歌詞だからというようなところもあるにはあったのだが、フリッパーズ・ギターはそういった感じを日本語の歌詞で表現していたところがとにかくすごいと思ったのだが、もちろん日本語なので日本の音楽リスナーにとってはよりダイレクトに理解しやすい。
「恋とマシンガン」が1965年のイタリア映画「黄金の七人」のテーマソングを引用していたり、「バスルームで髪を切る100の方法」が1980年代に活動していたイギリスのバンド、ヘアカット100の名前をタイトルにしていたり、ザ・スタイル・カウンシル「マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ」やそれ以外の別の曲に似ているようなところもあるなど、音楽ファンをニヤリとさせるようなところもありながら、それ以上にすごいのがそれらをまったく知らないであろういたいけな若年層のJ-POPリスナーをも夢中にさせるだけのポップ感覚を兼ね備えていた点である。
「恋とマシンガン」はオリコン週間シングルランキングで最高17位というヒットを記録するのだが、この時点では小沢健二と小山田圭吾の2人組になっていたフリッパーズ・ギターは「宝島」「ロッキング・オンJAPAN」といったポップミュージックをメインコンテンツとして扱う媒体のみならず、おしゃれ少女のバイブル的な雑誌であったマガジンハウスの「Olive」などにまで頻繁に取り上げられるようになっていく。それまでの日本のメインストリームのポップミュージックとはほとんど関係がないようなところから出てきて、強いインパクトを残した音楽性はもちろん、そのファッションやヴィジュアルイメージ、キャラクターやな生意気で毒舌気味だがマニア気質でもある発言なども大いに受けて、いたいけな中高生の女子がアニエスベーのベレー帽をかぶって渋谷の雑居ビルの中に入っている怪しげなレコード店に、フリッパーズ・ギターが紹介していたネオアコースティックバンドの7インチシングルを求めて出没する、というようなエポックメイキングなムーブメントを巻き起こしたりもする。
そして、音楽性はおしゃれでもあったことに間違いはないのだが、たとえば1980年代のネオアコースティックなどと同様に精神的にはパンクロックだったようにも思われ、「バスルームで髪を切る100の方法」のエンディングなどは、まるでセックス・ピストルズ「アナーキー・イン・ザ・U.K.」のそれのようでもある。
このシングル曲をも収録したアルバム「カメラ・トーク」が1990年6月6日にはリリースされ、渋谷ロフトの1階にあったWAVEなどでもひじょうによく売れていたのだが、当時、フリッパーズ・ギターはネオアコースティックのバンドなどと紹介されることも少なくはなかったものの、内容は打ち込みポップスやボサノバやサーフロックまでをも含んだ、ひじょうにエクレクティックなものではあった。オリコン週間アルバムランキングでは最高6位という、こういったタイプの音楽としては驚異的ともいえるヒットを記録した。
その後、フリッパーズ・ギターはイギリスのマッドチェスターやインディーダンスと呼ばれるようなムーブメントやスコットランド出身のロックバンド、プライマル・スクリームの動きなどとも動機するようなアルバム「ヘッド博士の世界塔」をリリースし、ライブの予定なども残しながら突然に解散することによって、多くのファンたちや音楽リスナーに衝撃をあたえる。その翌々年、つまり1993年に小沢健二はシングル「天気読み」でソロアーティストとしてのデビューを果たし、アルバムは「犬は吠えるがキャラバンは進む」をリリースする。オリコンのランキングではシングルが最高17位でアルバムが最高9位と、フリッパーズ・ギター時代のファンがそのまま買い続けているのではないかと思える程度のヒットは記録していた。
そして、「今夜はブギー・バック」になっていくのだが、打ち込みを主体としたトラックはスチャダラパーではなく、まず小沢健二によってつくりはじめられたものなのだという。小沢健二の当時のソロ作品からするとやや意外かもしれないのだが、フリッパーズ・ギター時代にはかなりエクレクティックな音楽もやっていたわけであり、さらにフリッパーズ・ギターの解散からソロデビューまでの間にプロデュースした渡辺満里奈のシングル「バースデイボーイ」においてもそれに近いアプローチは見られていた。
フリッパーズ・ギターの歌詞にはネオアコースティックやニューウェイブのバンド名などがさり気なく入れられてもいて、そこがそういったジャンルの音楽ファンをニヤリとさせながらも、トータル的にはけしてマニア向けになるわけではなく、ポップに開けていたところがとても良かった。
そして、「今夜はブギー・バック」の歌詞なのだが、「シェイク・イット・アップ」がカーズ、「milk and honey」がジョン・レノン&ヨーコ・オノ、「ヤング・アメリカン」がデヴィッド・ボウイ、「ファンキー・ミュージック」がワイルド・チェリー、「ジューシー・フルーツ」がエムトゥーメイか1980年に「ジェニーはご機嫌ななめ」をヒットさせた日本のニューウェイヴバンド、「ラブ・マシーン」がザ・ミラクルズ(モーニング娘。「LOVEマシーン」はこのさらに約5年半後である)、「ファンタジー」「ワンダー・ランド」がアース・ウィンド・アンド・ファイアー、「オール・ナイト・ロング」がライオネル・リッチーを思い起こさせもする。
「うるわしのプッシー・キャット」は小沢健二が女の子のことを「仔猫ちゃん」などと呼んでいた件を思い起こさせるが、ダウンタウンが司会をする音楽番組でこれについてのトークをしていた際に、松本人志が「僕の場合は仔猫ちゃんたちやけどね」というようなことを言ったのに対して、そういうのは嫌いだというような意思表示をしていたような気もする。
また、ラップパートにおける「メモれ コピれーっ」のオリジナルはビートたけしと漫才コンビのツービートを組んでいたビートきよしだと思われる。1981年の元旦から放送を開始した「ビートたけしのオールナイトニッポン」においては、様々な芸人の裏話的なエピソードが話されることも少なくはなかったのだが、ビートきよしが後輩たちに向けて自分が話していること全てギャグのよなものなのだから、それをメモれ、コピれなどと講釈を垂れているというようなことが面白おかしく話されてもいた。
フジテレビ系のバラエティ番組「オレたちひょうきん族」でツービートのビートきよし、島田紳助・松本竜介の松本竜介、B&Bの島田洋八によるうなずきトリオが結成されるのだが、それは島田紳助がそれぞれのコンビでツッコミを担当しているメンバーだけでグループを結成したら、「よしなさい」「なんでやネン」「そんなアホな!」というようなフレーズばかりの漫才をやることになるのではないか、というような発言が元になっている。
それで、1982年の元旦には「A LONG VACATION」や松田聖子に提供した「風立ちぬ」の大ヒットでノリにノッていた大滝詠一が作詞・作曲・編曲を手がけたシングル「うなずきマーチ」をリリースし、オリコン週間シングルランキングで最高55位を記録することにもなるのだが、この曲でもビートきよしによる「メモレー」「コピレー」、さらには「テプレー」というセリフをも聴くことができる。
「今夜はブギー・バック」の歌詞においてはこの「メモれ コピれーっ」と「make money」とで韻を踏んでいるところもとても良い。
そして、「俺は新鮮だ そして冷静」というようなラップもあるのだが、これで思い出すのが「M-1グランプリ2009」のトップバッターとして吉本興業のお笑いコンビ、ニューヨークが披露したネタにおいて、ボケの嶋佐和也が「冷静 冷静 俺は冷静」と歌う件である。
ニューヨークはかつてお笑いファンの間ではよく知られていたのだが、世間一般的には街で顔をさされるほどの知名度はまだなかった頃に、YouTubeチャンネルで大学生のふりをしてお見合いパーティー的なイベントに潜入するという企画をやっていたことがある。そこでどんな音楽をよく聴いているかという話題になった際に、嶋佐和也が「スチャダラパーとか」というようなことを言い、相方の屋敷裕政が「古すぎるやろ」とツッコミを入れるというようなくだりがあったような気もするのだが、記憶が定かではない。
「今夜はブギー・バック」がヒットした頃、ニューヨークの2人は小学校低学年ぐらいだったはずである。当時、スチャダラパーは「コロコロコミック」で連載を持っていたりBoseが「ポンキッキーズ」にレギュラー出演したりもしていて、小学生にもわりとよく知られる存在だったようである。
そして、「今夜はブギー・バック」といえば、P’PARCOである。池袋のPARCOのすぐ隣あたりに新しい商業施設として「今夜はブギー・バック」のリリース翌日にあたる1994年3月10日にオープンし、この曲はそのCMソングとして使われていた。CMには小沢健二とスチャダラパーのメンバーも出演していて、こたつのようなテーブルと壁には小さめのテレビが掛かり、ギターも置かれた部屋のイラストと組み合わされている。
まずは小沢健二が1人でいて、「勉強一直線。」というセリフが吹き出しで表示されるのだが、そのうちスチャダラパーの3人とイラストの猫もやって来て、Boseに「ひま。」というセリフの吹き出しが表示され、なんだか退屈そうな表情のアップになるのだが、「あれ!」というセリフの吹き出しの後、突然に全員が飛び出していって、画面には「みんな、イケブクロ行ったっス」と表示される。そして、P’PARCOのロゴマークの下に「ある着るヤル聴く」のコピーである。
当時、この2組による開店記念ライブも行われたはずである。それでこの「みんな、イケブクロ行ったっス」というフレーズなのだが、「今夜はブギー・バック」の歌詞にある「てな具合に ええ行きたいッスね」「いや泣けたっズ “えーっ” マジ泣けたっズ」などに対応しているものだと思われ、絶妙なギョーカイ感や後輩的なノリも感じられるカジュアルな丁寧さが特徴であり、バブル以降不景気以前のなんとなくゆるやかにモラトリアムな当時の気分を思い起こさせたりするようなところもある。
あとは、「よくない コレ? コレ よくない? よくなく なくなく なくなくない?」のキャッチーさである。人生で最も重要なことというのは、実はこういった気分なのではないかというようなメッセージが無意識的にであれ強く込められているようにも思われ、それが「とにかくパーティーを続けよう」にもつながってくる。それで、時代のムードが正直しんどい感じになっていけばいくほどその重要性というのは増していくようでもあり、だからこそ今日においても響きまくるのではないかという気がしないでもない。
ピチカート・ファイヴ「東京は夜の七時」などと共に「渋谷系」アンセムとしても知られがちな「今夜はブギー・バック」だが、実は池袋のP’PARCOのCMソングであった。とはいえ、「渋谷系」的な気分とも親和性があった80年代がピークの西武・PARCO的文化のメッカが池袋でもあり、西武百貨店や池袋PARCO、西武美術館やリブロ池袋本店に加え、六本木WAVEまであった。レコード店でいうと池袋PARCOにあったオンステージヤマノもとても良かった。収入から税金や社会保険料、生活にかかるコストなどを引いて、文化的なモノやコトに使うお金に余裕があった頃の話である。消費税は導入されてから5年目であり、しかもまだ3%であった。
フジテレビ系のバラエティ番組「タモリのスーパーボキャブラ天国」のテーマソングにも使われていたということなのだが、おそらく見ていなかったのでこれについてはまったく印象にない。
様々なカバーバージョンも生み出されているのだが、特にセレクトショップのBEAMSが創業40周年を記念して2016年に発表したバージョンにはシティポップの南佳孝やニューウェイヴの戸川純、アイドルポップスの森高千里や「渋谷系」の野宮真貴、ボーカロイドの初音ミクなど、いろいろな時代やジャンルのアーティストが参加しているのみならず、ミュージックビデオではファッションにおけるトレンドの変化を時系列でたどっていたりもして、かなりすごかったのと同時に「今夜はブギー・バック」の時代を超えたアンセムとしての評価をより確実なものにしたような気もする。