邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1990, Part.1
今すぐKiss Me/LINDBERG(1990)
LINDBERGの2作目のシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングではB.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」、米米CLUB「浪漫飛行/ジェットストリーム浪漫飛行」に次ぐ3位を記録した。
浅野温子や三上博史が出演したフジテレビ系月曜夜9時のトレンディードラマ「世界で一番君が好き!」のテーマソングである。
アイドル歌手として活動していた渡瀬マキがバックバンドのメンバーだった人やその仲間たちと結成したバンドで、ポップでキャッチーなバンドサウンドが特徴であった。
このようなタイプの楽曲がトレンディードラマのテーマソングとして使われていたところに、当時のバンドブームがいかに一般大衆レベルのものであったかを再認識させられる。
虹の都へ/高野寛(1990)
高野寛の4作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。
高橋幸宏、鈴木慶一が主催したオーディションをきっかけにプロとなり、高橋幸宏のプロデュースでデビュー、そしてこの曲をプロデュースしたのはトッド・ラングレンである。
ポップでキャッチーでありながらポップスマニアをも納得させる音楽性、それにしてもこれだけのヒットになり得たのは、ミズノのスキーウェアのCMに使われ、それがとんねるずが司会を務める人気集団お見合いバラエティー番組「ねるとん紅鯨団」の時間帯に流れいたからでもあったのだろう。
プレゼント/JITTERIN’ JINN(1990)
JITTERIN’ JINNの2作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。
「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」で6代目イカ天キングに輝いたバンドである。スカビーとなどをも取り入れたユニークな音楽性と、ボーカリストである春川玲子のクールな佇まいがとても印象的であった。
個人的にはデビューシングル「エヴリデイ」が好きすぎるのだが、ここでは大ヒットしたこの曲の方を挙げておきたい。
「あなたが私にくれたもの」の後に具体的なプレゼントの名前がいろいろ歌われるのだが、すべてがクールでスタイリッシュでとても良い。ポップでキャッチーなメロディーやトイピアノ的な音色も聴こえるアレンジなども素晴らしい。この感じで実は失恋ソングである。
フリフリ天国/高岡早紀(1990)
高岡早紀の5作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高26位を記録した。
加藤和彦が作曲・編曲したグラムロック的でもある楽曲で、それ自体がすでにとても良いのだが、当時17歳の高岡早紀による無意識過剰なエロス漂うボーカルパフォーマンスが素晴らしく、それで「恋は脳じゃなくて反射神経」「理由(わけ)は嘘でいい 蜜と罪と夢 ダンスさせて」などと歌われるのだからたまらない。
この年の高岡早紀といえばこれでさらに映画「バタアシ金魚」のソノコくん役があるのだが、個人的にはある意味において神がかっていたという印象がひじょうに強い。
恋しくて/BEGIN(1990)
BEGINのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位のヒットを記録した。
沖縄出身の3人組バンドで、2代目グランドイカ天キングである。グランドイカ天キングというのは、「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」でイカ天キングとして5週連続して勝ち抜かなければなれないので、正味の話かなりすごいことだということができる。
とはいえ、音楽性はかなり渋めのバラードであり、当時のバンドブームの主流とはかなり異なっていた。それでも幅広く支持されたりもしたオーセンティックな感じがとても良い。この曲のヒットをきっかけにブレイクし、後により沖縄色が濃い音楽をやるようにもなっていく。
幸せであるように/FLYING KIDS(1990)
FLYING KIDSのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高14位を記録した。
「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」で初のグランドイカ天キングに輝いたバンドである。「幸せであるように心で祈ってる」というシンプルで強いメッセージが、かなりのテンションで歌われるとても良いラヴソングである。
さよなら人類/たま(1990)
たまのデビューシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングでは4位を記録した。
「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」で3代目グランドイカ天キングに輝いたバンドである。アンダーグラウンド的でありながら絶妙にポップな存在感と音楽性がメインストリームのど真ん中で売れまくるというなかなか不思議な状況でもあった。
この勢いで「NHK紅白歌合戦」にも出場していた。
恋とマシンガン/フリッパーズ・ギター(1990)
フリッパーズ・ギターの2作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高17位を記録した。テレビドラマ「予備校ブギ」のテーマソングである。
デビューアルバム「three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった」収録曲はすべてが英語詞で、ネオアコースティックやUKインディーポップなどを好んで聴くタイプの音楽ファンにはわりと受けていたようなのだが、日本語で初めて歌ったこの曲がヒットしてから、その影響はより強まっていき、おそらく静かな革命をすら起こしていたといえる。
当時のバンドブームやメインストリームのヒットソングなどとはほとんど関係がない、きわめて趣味的な音楽のはずなのだが、これがある一定の人々の心の琴線にふれまくってしまい、すごいことになっていくのだが、それが実際のところどのようにすごかったかについては一言で説明しにくかったりもする。
最新型のポップミュージックとしてきわめて優れていたのみならず、フリッパーズ・ギターになりたい、フリッパーズ・ギターが歌っている曲の中の住人になりたい、などと切実に欲求させるだけの磁力のようなものが確実にあったのだが、こんな気持ちをうまく言えたことはない。
バスルームで髪を切る100の方法/フリッパーズ・ギター(1990)
フリッパーズ・ギターのシングル「恋とマシンガン」のカップリング曲で、英語でのタイトルは「Haircut 100」である。
ザ・スタイル・カウンシルのような音楽をそれに相応しい日本語の歌詞でやるようなバンドがもしも現れたならばどんなに素敵なことだろうか、というような妄想を遥かに超えていくセンスとクオリティーにとにかく圧倒されたのであった。
そして音楽としてはとてもおしゃれでハイセンスではあるのだが、スピリットにはパンクを感じる。エンディングはまるでセックス・ピストルズ「アナーキー・イン・ザ・U.K.」のそれのようではないか、と個人的には思っている。
臭いものにはフタをしろ‼︎/森高千里(1990)
森高千里の10作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。
「ロックンロールを知らなきゃもぐりと呼ばれるゼ」「オレは10回ストーンズ見に行ったゼ」などとマウントを取ってくるマンスプレイニング的なおそらく中年男性に対し、「話したいのはわかるけど おじさん 昔話は苦手 本でも書いたらおじさん」などと言い返したりする痛快きわまりない楽曲である。
「私ロックはダメなの ストレートよ」などと歌いながら、音楽的にはロックンロール的なところも皮肉が効いていてとても良い。
ビッグ・バッド・ビンゴ/フリッパーズ・ギター(1990)
フリッパーズ・ギターの2作目のアルバム「カメラ・トーク」に収録されている曲である。
「恋とマシンガン」というヒット曲が収録されているとはいえ、当時のJ-POPのメインストリームからしてみると、なんとも趣味的な音楽性である。しかし、これがオリコン週間アルバムランキングで最高6位としっかり売れてしまう。
音楽はもちろんファッションやヴィジュアル、雑誌の連載やインタビューなどで見られる生意気で最高にチャーミングなキャラクターもとても良かった。
雑誌「Olive」などを読んでいたおしゃれでいたいけな女子中高生たちが雑居ビルの一室にある輸入レコード店に彼らが推薦するマイナーなインディーポップのレコードを求めて通うようになるなど、なかなか楽しいことが起こったりもしていた。
それはそうとして、この「カメラ・トーク」はネオアコのアルバムとして紹介されることが少なくなかったのだが、実際にはかなりバラエティーにとんだいろいろなタイプの楽曲を収録していて、しかもそのすべてが最高であった。
この曲は打ち込みのサウンドが印象的であり、カーラジオや8月のサングラスなどについて歌われていたかと思うと、「ハイファイないたずらさ きっと意味なんてないさ」「ひとりきりカレイドスコープ・ワールドで待つさ世界の終わり」といったクールでスタイリッシュでありながら、本質的でもあるような気もなんとなくするようなフレーズも出てきたりしてとても良い。
個人的に1990年の夏といえばソニーの携帯CDプレイヤーでこの曲を聴きながら、意味もなく渋谷から調布行きのバスに乗っていた日々のことが懐かしく思い出される。
働く男/ユニコーン(1990)
ユニコーンのアルバム「ケダモノの嵐」から先行シングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高3位を記録した。
仕事が忙しすぎて恋人に会えない男性の悲しみをテーマにした楽曲で、バブル景気真っ盛りの当時を感じさせるようなところもあるのだが、根本的には個人的な幸福とシステムとの間に生じる軋轢のようなものをテーマにしているように思う。
真夏の果実/サザンオールスターズ(1990)
サザンオールスターズの28作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高4位を記録した。
桑田佳祐が監督した映画「稲村ジェーン」の主題歌でもある。
「四六時中も好きと言って」などのフレーズがとても印象的ではあるものの、やや地味なイメージも当時はなんとなくあったのだが、名曲であり代表曲の1つとして長く聴かれ続けられるようになった。