映画「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」レヴュー
映画「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」は昨年の秋にイギリスやアメリカなどで公開され、わりと好評だったので、日本でも公開されたら見にいくかもしれない、ぐらいに考えていたのだが、いろいろタイミングが合ったので行ってきたしだいである。
結果的に期待していたよりもかなり良く、今後、デヴィッド・ボウイの音楽がより味わい深く聴けるのではないか、というような気分になっているのと同時に、音楽アーティストのドキュメンタリー映画としてはつくり方がなかなか新しく、もしかすると理想的なのではないかと思えたりもするのだが、そう簡単にはつくれないのではないかというような気もする。
監督はブレット・モーゲンという過去にニルヴァーナのカート・コバーンやローリング・ストーンズの映画も手がけた人で、今回これがデヴィッド・ボウイの財団的なものが公認した初のドキュメンタリー映画だったこともあり、膨大な素材が使い放題だったらしい。しかし、それらをただ詰め込んだだけで良い作品になるかというとそう簡単なものでもないとは思われ、そこは監督の並々ならぬ労力や卓越したセンスがフルに稼働した結果なのではないかというような気がする。
ところでデヴィッド・ボウイといえば長きにわたり大活躍し、ポップ・ミュージック史上重要な作品をいくつも残しているのみならず、生前最後のリリースとなったアルバム「★(ブラックスター)」もまた素晴らしかったという、輝かしいキャリアでおなじみである。それらをコンパクトなダイジェスト的にまとめるだけでもじゅうぶんに価値のある作品にはなりうるような気はするのだが、「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」は、そういったレベルの作品ではまったくない。
アーティストのドキュメンタリー映画といえば、関係者などがインタヴューに応え、それらの映像と過去の素材などによって構成されがちなのだが、この作品にそういったシーンは一切存在しない。作品のナレーション的なものは、すべてデヴィッド・ボウイ本人が務めている。とはいえ、この作品の制作時、デヴィッド・ボウイはすでに亡くなっていたのではないかというとその通りであり、つまり、デヴィッド・ボウイが過去に語っていた音源の中からうまくセレクトと編集をして、あたかもデヴィッド・ボウイ自身がナレーションしているように仕上げているのである。
しかも、それが作品や活動についての内容のみならず、人生や仕事についての哲学であったり、もしかすると自己啓発にも役に立つのではないか、というレベルのようなことまで語られている。素材の選択については、日本のファンやリスナーにとっては特にうれしいタイプのものも混じっていて、なかなか感慨深いところもある。そして、イメージ戦略的なものに長けていて、ある意味においてトリックスター的でもあったデヴィッド・ボウイの、実にヒューマンタッチな側面をも浮かび上がらせている。
演奏シーンももちろんふんだんに盛り込まれ、「ジギー・スターダスト」などのグラム・ロック時代、より実験的でアーティスティックな方向性を模索したベルリン三部作の頃、80年代に入り「レッツ・ダンス」の大ヒットでポップ・スター化をきわめていた時やそれ以降など、実にいくつもあるピークを中心に、当時のデヴィッド・ボウイの心境などが本人の肉声によって語られている。
いろいろな時代の映像が意図的にランダムに流れる場面もあるにはあるのだが、基本的にはキャリアを時系列で追ってもいて、それほど馴染みはないのだが、デヴィッド・ボウイというのはどういうアーティストだったのだろう、というような興味本位で見たとしても分かりやすくなってはいる。それから、たとえば「月世界旅行」とか「アンダルシアの犬」とか「オズの魔法使い」とか「2001年宇宙の旅」というようなクラシックとされている映画のシーンが一瞬だけ挿入されるところなどもあり、そこもなかなか良い感じである。
デヴィッド・ボウイの長く輝かしいキャリアを限られた尺に納めてはいるのだが、けしてダイジェスト的ではなく、選曲もそれほど有名ではない曲まで入っているかと思えば、大ヒット曲が入っていなかったり、デヴィッド・ボウイの音楽アーティストとしてだけではなく、映画や舞台の役者であったり、絵画のアーティストであったりというところまで、描いていたりもする。
個人的にはこの作品では取り上げられていないクイーンとのコラボレーション曲「アンダー・プレッシャー」が初めてリアルタイムで聴いたデヴィッド・ボウイの曲で、その後に映画「戦場のメリークリスマス」で坂本龍一やビートたけしと共演したり、「レッツ・ダンス」が大ヒットしたり、「宝島」の表紙&ロング・インタヴューで取り上げられたりしていたのだが、それ以前については完全に後追いである。それで、この作品によってどのような時系列を経てそうなり、その時のデヴィッド・ボウイ自身の心境はどうだったのか、というようなところまで知ることができてとても良かった。
デヴィッド・ボウイのキャリアを時系列でやんわりと追うような内容にはなっているものの、けしてワンウェイ・コントロール的にはなっていなくて、見る人がそれぞれに解釈する余白がかなり残されている。それと、よくあるドキュメンタリー映像のダイジェスト感というよりは、もしもそれぞれの時代にリアルタイムでこれを体験していたとするならどんな感じだったのだろう、というようなことが想像できるような編集にもなっていて、そこもとてもありがたかった。
というわけで、デヴィッド・ボウイの熱心なファンであったとしても、そうではなくても、ポップ・ミュージックに興味がある方ならば見て損はないというか、むしろ得しかないような内容になっていて、これ以降も音楽アーティストのドキュメンタリー映画としては1つの参照点になっていくのではないか、ぐらいの素晴らしさがある。監督自身の主張が表立ってゴリゴリに感じられはしないのだが、そこも含めてかなりの熱量と繊細さを込めてつくられた作品なのではないかというような気がする。
これは全ポップ・ミュージックファン必見!というような、ありがちなフレーズをわりと本気のトーンで使ってもいいのではないか、というような気分である。