The 500 Greatest Songs of All Time : 10-1
10. “Heroes” – David Bowie (1977)
デヴィッド・ボウイのアルバム「英雄夢語り(ヒーローズ)」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高24位を記録したが、2016年にデヴィッド・ボウイが亡くなった後に12位まで上がり、最高位を更新した。
「英雄夢語り(ヒーローズ)」はデヴィッド・ボウイが1970年代後半にリリースした「ベルリン三部作のうちの1つであり、この曲はスタジオの窓から見たベルリンの壁のそばで抱き合うカップルにインスパイアされたものである。後にそれはプロデューサーのトニー・ヴィスコンティと恋人であったことが明らかにされた。
1987年にベルリンの壁の前でパフォーマンスした時には壁の両側に聴衆がいて、デヴィッド・ボウイは感きわまりながら歌っていたという。その翌々年にベルリンの壁は崩壊した。
9. Paper Planes – M.I.A. (2007)
M.I.A.のアルバム「カラ」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高4位、全英シングル・チャートで最高19位を記録した。
タミル系スリランカ人であるM.I.A.自身がアメリカに入国する際に体験したトラブルをモチーフに、ザ・クラッシュ「ストレイト・トゥ・ヒル」、銃声やキャッシュレジスターの効果音、子供たちのコーラスなどを用いて、批評性が高くひじょうにユニークなポップソングを完成させている。
8. A Day in the Life – The Beatles (1967)
ビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の最後に収録され、シングルとしてヒットしたわけではないのだが、ビートルズで最も優れた楽曲の1つとしての評価が定着しがちである。
ジョン・レノンが新聞で読んだニュースをモチーフに曲のほとんどを書いたが、途中の朝に目を覚ましてから出かける準備をしてバスに乗ったりするくだりは、ポール・マッカートニーによる。そして、オーケストラの演奏がとても印象的である。
このアルバムは当時、ロックをそれほど価値が高くはないものとして見なしがちだったクラシック音楽のリスナーやエスタブリッシュメントの人たちをも納得させ、ロックを芸術の域にまで高めた、などとも評価されがちであった。
7. When Doves Cry – Prince (1984)
プリンスのアルバム「パープル・レイン」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートで最高4位を記録した。邦題は「ビートに抱かれて」である。
シングル、アルバムと共に主演した映画「パープル・レイン」も大ヒットして、プリンスは一躍、ポップ・アイコンと化した。存在そのものがアウトロー的であったプリンスだが、その音楽性がまたユニークであり、初の全米NO.1ヒットとなったこの曲ではすべての楽器を演奏し、しかもベースの音がまったく入っていないという独特さであった。
内容は家庭内の不仲や恋愛がうまくいかない感じなどをテーマにしていて、ある程度は自伝的でもあるという映画に寄せたものとなっている。
6. Get Ur Freak On – Missy Elliott (2001)
ミッシー・エリオットのアルバム「ミスE…ソー・アディクティヴ」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高7位、全英シングル・チャートで最高4位を記録した。
バングラと呼ばれる音楽の独特なビートを取り入れ、反復的だがひじょうに中毒性の高い楽曲になっている。曲の初めに「これからみんなでメチャクチャ踊って、騒ごう、騒ごう」と日本語で言ったり、途中で「1、2、3、4」が「いち、に、さん、し」とカウントされるところなどもとても良い。
5. God Only Knows – The Beach Boys (1966)
ビーチ・ボーイズのアルバム「ペット・サウンズ」の収録曲で、「素敵じゃないか」のB面でシングルカットもされた。全米シングル・チャートで最高39位を記録し、邦題は「神のみぞ知る」である。「ドルフィン・ソング」案件としても知られる。
ブライアン・ウィルソンの曲とアレンジ、カール・ウィルソンのボーカルももちろんなのだが、ピーター・アッシャーによる歌詞がとても良い。人を愛することはとても素敵ではあるのだが、それが深くなっていくと、失うことがとても不安になる。その感覚がとても良く表現されているように思える。
美しさと狂気は紙一重なのではないかとか、そのようなことも感じさせてくれる、ポップ・ミュージック史に残る最高のラヴソングである。
4. How Soon Is Now? – The Smiths (1984)
ザ・スミスのシングル「ウィリアム」のB面にまずは収録されたが、その後にまた別の曲をB面にしてシングルA面でもリリースされ、全英シングル・チャートで最高24位を記録した。解散後の1992年に再リリースされた際には16位まで上がり、最高位を更新している。
モリッシーの歌詞は若者の孤独や寂しさをユニークな手法で描いていることで定評があり、それがインディー・キッズたちの共感を呼んだのだが、この曲の場合は特に容赦がなく、それがロック的なカタルシスすら感じさせる厚めのサウンドと合わさることによって、実に素晴らしい楽曲を完成させている。
人間なので愛されることが必要であり、それでクラブに行くのだが、結局は1人で立ち尽くし、店を出て、家に帰って泣いて死にたくなる、というようなことが歌われている。
後にロシアのポップ・グループ、t.A.T.u.によってカバーされたバージョンを、ジョニー・マーは貶していたが、モリッシーはまあまあ気に入っていたようである。
3. Be My Baby – The Ronettes (1963)
ロネッツが1963年の夏にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。
フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドという手法を用いた臨場感のある音響と、なんといってもロニー・スペクター(ヴェロニカ・ベネット) の素晴らしいボーカルによる黄金のポップスと呼ぶにふさわしい楽曲である。
好きな人に対して私の恋人になってと歌っているだけの実にシンプルな内容なのだが、そこにポップソングの真髄とでもいうべき、憧れや欲望のエッセンスが凝縮されている。
ドライブをしている時にカーラジオで初めてこの曲を聴いたブライアン・ウィルソンは、あまりの衝撃にとりあえず一旦、車を停めて、後にアンサーソング的でもある「ドント・ウォーリー・ベイビー」を書くことになる。
2. Fight the Power – Public Enemy (1989)
パブリック・エナミーがスパイク・リー監督の映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」のテーマソングとしてリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで最高29位を記録したが、全米シングル・チャートにはランクインしていない。
ブレイクビーツとサンプリングを駆使した革新的で緊張感のあるサウンド、力強く主張のあるラップで、パブリック・エナミーは当時、最も過激でカッコいいポップ・ミュージックをクリエイトしていたといっても過言ではない。そして、昨今の様々な状況を考えるに、その先見性や影響力というのはますます重要視されがちである。
1989年の夏に「ドゥ・ザ・ライト・シング」のサウンドトラックに収録されたバージョンはウィントン・マルサリスのサックスソロをフィーチャーしていて、モータウンからリリースされていたが、、翌年にデフ・ジャムから出たパブリック・エナミーのアルバム「フィアー・オブ・ア・ブラック・プラネット」に収録されたバージョンにはこれが入っていなかったり、少し異なっている。
ジェームス・ブラウン「ファンキー・ドラマー」がサンプリングされているだけではなく、歌詞にもタイトルが入っているが、ブラック・エンパワーメント的なアティテュードの面でもジェームス・ブラウンから深く影響を受け、それを継承していっているように思える。
1. Smells Like Teen Spirit – Nirvana (1991)
ニルヴァーナのアルバム「ネヴァーマインド」からの先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高6位、全英シングル・チャートで最高7位を記録した。
1980年代後半にアメリカのラウドでヘヴィーなオルタナティヴ・ロックが盛り上がってはいっていたのだが、メインストリームで大ヒットするレベルではなかった。
ニルヴァーナの2作目のアルバム「ネヴァーマインド」は確かに売れそうな音づくりはされていたのだが、全米アルバム・チャートでマイケル・ジャクソンやU2などの最新アルバムと肩を並べ、ついには1位になってしまうとは誰も予想していなかったのではないだろうか。
インディー・ロックからハード・ロックのリスナーまでをも取り込む音楽性と、楽曲の良さが高く評価されていたが、若者の苦悩というポップ・ミュージックにおいて定番ともいえるテーマをヴィヴィッドに扱いながら、その陰鬱さが高度資本主義社会のなれの果てを可視化し、批評しているようでもあった。
これ以降、オルタナティヴ・ロックがメインストリームでも売れやすくなり、ベック「ルーザー」、レディオヘッド「クリープ」などもヒットさせたスラッカー感覚はこの時代を象徴する気分のようにもなった。
ネガティヴな現実を反映させながら、それらを意識と熱量で反転させていくポップ感覚が確実にあり、それは「ハロー、どれぐらいロウ?」と問いかけてくる。