The 500 Greatest Songs of All Time : 350-341

350. Sweet Dreams (Are Made of This) – Eurythmics (1983)

1983年の夏、全米シングル・チャートではポリス「見つめていたい」が7月9日付から8週連続1位だったのだが、それをストップさせたのがすでに4週連続2位にランクインしていたユーリズミックス「スウィート・ドリームス」であった。

クールなシンセポップ・サウンドとややソウルフルでもあるアニー・レノックスのボーカルとの組み合わせがとても良いのだが、ヒットにはMTVでヘビーローテーションされていたであろうミュージック・ビデオのインパクトも大きく寄与していたであろうと思われ、これもまた第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの盛り上がりを印象づける楽曲であった。

アニー・レノックスのオレンジ色に染めたショートヘアとスーツスタイルというユニセックス性がとても印象的であった。歌詞は音楽活動がなかなかうまくいっていなかったアニー・レノックスの当時の心境を反映してシニカルでネガティヴなものだったのだが、デイヴ・スチュワートが無理やりややポジティヴなフレーズを追加していた。

349. Suedehead – Morrissey (1988)

ザ・スミスの解散はジョニー・マーの脱退を原因としたものであり、モリッシーはおそらく望んでいなかった。モリッシー&マーによるソングライティングもザ・スミスの大きな魅力の1つであり、ソロではうまくいかないのではないかと思われたりもしたのだが、モリッシーのソロ・デビュー・シングルとなったこの曲は全英シングル・チャートで最高5位と、ザ・スミスのどのシングルよりも高い順位にランクインすることになった。

スティーヴン・ストリートはザ・スミスのレコーディング・エンジニアを務め、最後のオリジナル・アルバム「ストレンジウェイズ・ヒア・ウィ・カム」ではプロデューサーにも名を連ねていたのだが、ジョニー・マーの脱退は一時的なもので、どうせすぐに戻ってくるものだと考えていたようだ。しかし、実際にそうはならず、バンドは解散、モリッシーに提供した「スウェードヘッド」がヒットしたことにより、しばらくソロ作品にもかかわるようになる。その後、ブラー、クランベリーズ、カタトニアなどの作品を手がけ、イギリスを代表する音楽プロデューサーの1人として知られていくようになった。

歌詞はやはりモリッシーによるものなのだが、相変わらず絶妙に微妙な思わせぶりというか、自意識過剰がオーヴァーヒートして、いかにもというような内容になっている。これをキャッチーなポップスに昇華しているところがとにかくすごい。後にイギリス版ネトウヨとでもいうべき実にしょうもない存在になり果てるとしても、ザ・スミスからこの時期の迸りまくっているセンスと才能を否定することは一切できない。

348. The Rain (Supa Dupa Fly) – Missy Elliott (1997)

ミッシー・エリオットというアーティストははじまってからいまのところまだ5分の1ぐらいしか経っていない21世紀において、現時点でひじょうに重要な楽曲のいくつかを世に送り出しているとはいえるわけだが、それ以前のまだ20世紀末に近い頃にリリースされたのがこの曲であり、アメリカのラッパーではあるのだが、全英シングル・チャートで最高16位を記録している。

アン・ピーブルズ「アイ・キャント・ストップ・ザ・レイン」という1973年に発表された名曲をサンプリングしているのだが、ティンバランドのプロデュースによるビートとラップは未来的であり、これぞ現在・過去・未来を気分よくつないでいくポップミュージックの醍醐味ということができる。

347. Don’t You (Forget About Me) – Simple Minds (1985)

シンプル・マインズはニュー・ウェイヴ的なバンドとしてイギリスではすでに人気があり、ヒット曲もいくつか出してはいたわけだが、アメリカでは映画「ブレックファスト・クラブ」のサウンドトラックに使われたこの曲が最初のヒットで、しかもそれまでの楽曲に比べるとポップでキャッチーすぎる。

しかし、このダイナミックなサウンドこそがいかにも80年代半ばから後半的であり、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンもやや落ち着きそうな兆しを見せていた時に、メインストリームなポップ・ミュージックの次なる進べき道を提示していたように感じられなくもない。

この曲が全米シングル・チャートで1位に輝いて以降、バンドの音楽性そのものがよりスタジアムロック的なメジャーな感じにシフトしていったような気もする。

346. Open Up – Leftfield/Lydon (1993)

ロンドン出身のエレクトロニック・ミュージック、当時の日本のCDショップでの分類上はテクノのデュオ、レフトフィールドがセックス・ピストルズやパブリック・イメージ・リミテッドでの活躍でお馴染み、ジョン・ライドンをボーカルに迎えた曲で、全英シングル・チャートでは最高13位を記録している。

レフトフィールドによるトラックは当時のトレンドに影響されていながら、しっかりとオリジナリティーもあり、ブームが過ぎ去ってからもじゅうぶんに盛り上がって聴くことができる。高度資本主義社会に対する異議申し立てが前面にあらわれていて、ひじょうに信頼するに足る楽曲のようには思えるのだが、やはりボーカルのオリジナリティーがすさまじい。

個人的には当時付き合いはじめた女子大生と銀座で映画「ジュラシック・パーク」を観た土曜日にこの曲のCDシングルを渋谷ロフトにあったWAVEで買ったような気がする。六本木のヴィクトリアステーションでステーキを食べたかもしれない。

345. Cattle and Cane – The Go-Betweens (1983)

ゴー・ビトウィーンズはオーストラリア出身のインディー・ロックバンドで、ネオアコというかネオ・アコースティックに分類されたりもするのだが、より味わい深いようにも感じられる。とはいえ、これといった大ヒット曲もなく、メジャーにポップなバンドだったとはいえないようなところもある。

しかし、やはりこれぞポップスの理想形なのではないかと個人的には思えるようなところもあり、あるべき世界ならばこの曲あたりは全英シングル・チャートで7週連続1位ぐらいにはなっているのではないか、などと想像したりもしないわけではない。実際にはインディー・チャートで最高4位なのだが、全英シングル・チャートにはランクインしていない。かなり聴きやすくもありながら素晴らしいアルバム「16ラヴァーズ・レーン」から「ストリーツ・オブ・ユア・タウン」が最高80位で、バンドにとって最大のヒット曲である。

とはいえ、それほど理不尽だと感じたりはしないのだが、純粋にとても良い曲と歌と演奏であることには間違いがなく、いつまでも宝物のように聴き続けるであろう予感と確信でいっぱいではある。

344. Help! – The Beatles (1965)

ビートルズのとても有名な曲のうちの1つで、イギリスでもアメリカでもシングル・チャートの1位に輝いている。作詞作曲はレノン=マッカートニー名義だが、主にジョン・レノンによって書かれていて、ポール・マッカートニーも手助けはしている。

映画「ヘルプ!4人はアイドル」のテーマ曲でもあり、ビートルマニアなどとも呼ばれていたらしいアイドル的人気がひじょうに高まり、とても忙しかった頃の楽曲のようだ。そのような状況において、本当に助けてほしいという切実な思いが楽曲にはこめられてもいたとのことである。

それはそうとして、常に何事かにおいて助けてほしいというような心情に寄り添うようなものでもポップ・ミュージックはあるわけだが、そういった意味でも味わい深い楽曲ではある。1988年のライブアルバム「コブラの悩み」に収録されたRCサクセションによるカバーバージョンも個人的にはとても好きなのだが、「I need somebody」が「あ 兄さん ばあさん」という日本語詞になっていたのもなかなか良かった。

343. Time fo Heroes – The Libertines (2002)

ザ・リバティーンズのデビュー・アルバム「リバティーンズ宣言」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高20位を記録した。

いろいろな意味で悲喜こもごもというか、特に中心メンバーの1人、ピート・ドハーティーのどうしようもなさというのが憎めないのが憎くもあったりはしたのだが、表面的なヘロヘロさ加減の奥底にある芯が通ったところとでもいうべき美学を良しとするか否かによって、このバンドに対する評価は分かれるかもしれない。

技能の高さよりもセンスやアテティテュードこそを重視するリスナーにはたまらないバンドの、いかにもそれらしい楽曲ということで、個人的にはもちろん大好きすぎるわけではある。

342. Red Right Hand – Nick Cave & The Bad Seeds (1994)

ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのアルバム「レット・ラヴ・イン」に収録された曲なのだが、その後、映画やテレビドラマのサウンドトラックなどにも使われるにつれ、かなり人気が高まったような気がする。

ダークで不穏なムードではあるのだが、これだけクールでスタイリッシュに表現できるところがやはりすごすぎるわけであり、この曲などはそれがより幅広いリスナー層にアピールしそうなところがとても良い。

タイトルは大学の英米文学科ではわりと早い段階で学習されがちなジョン・ミルトンの小説「失楽園」から引用されている。

341. There She Goes – The La’s (1988)

リバプール出身のインディー・ロックバンド、ラーズの代表曲で、1990年の再リリース時に全英シングル・チャートで最高13位を記録している。

インディー・ロック界においてもダンス・ビートを取り入れたものなどが注目されがちな時代において、1960年代的なロックを貫いていたバンドという印象がある。

中心メンバー、リー・メイヴァースのこだわりがあまりにも強く、ひじょうに人気があったこの曲についてもレコードの仕上がりに対する不満を述べ続けたりしていた。ベーシストのジョン・パワーはバンドを脱退後にキャストを結成し、ブリットポップ時代に人気を得ることになる。