The 500 Greatest Songs of All Time : 470-461

470. Marquee Moon – Television (1977)

テレヴィジョンのデビュー・アルバムにして歴史的名盤「マーキー・ムーン」のA面最後に収録されたタイトルトラックで、9分58分にも及ぶ長い曲である。シングルカットの際にはA面とB面に分けて収録され、全英シングル・チャートでは最高30位を記録した。

ニューヨークを拠点に活動するバンドではあったのだが、当時、全米チャートにはシングルもアルバムもランクインせず、イギリスではそこそこ売れていたようである。トム・ヴァーレインとリチャード・ロイドによるギターの掛け合い、クールでアート感覚に溢れた音楽性が特徴である。

個人的には1980年代半ばに町田のレコファンで廉価盤CDを買って、軽い気持ちで聴きはじめたのだが、あまりのカッコよさに驚愕した覚えがある。

469. Never Too Much – Luther Vandross (1980)

ルーサー・ヴァンドロスのデビュー・シングルで、全米シングル・チャートで最高33位、R&Bチャートでは1位を記録した。それまでは他のアーティストのバックコーラスやCMソングなどを歌っていたのだが、この曲のヒットによってソロ・アーティストとして注目されるようになり、グラミー賞にもノミネートされた。

しかも、デビュー曲にして作詞作曲、プロデュースまで自ら行い、その才能をいかんなく発揮していた。ブラック・コンテンポラリーと呼ばれる都会的なサウンドと卓越したボーカルパフォーマンスが存分に味わえるとても良いレコードである。

468. Every Breath You Take – The Police (1983)

ポリスの最後のアルバム「シンクロニシティー」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートでは8週連続1位、年間チャートでもマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」を抑えて1位に輝いた大ヒット曲で、「見つめていたい」の邦題でもよく知られている。

美しいラヴソングのようでもあるのだが、実際には愛情の狂気じみた側面をテーマにした楽曲となっている。これはソングライターであるスティングの当時の私生活を反映したものでもあったようだ。

ゴドレイ&クレームによるモノクロームのミュージック・ビデオも評価が高く、テレビでもよく流れていた記憶がある。1997年にはこの曲をサンプリングしたパフ・ダディ「アイル・ビー・ミッシング・ユー~見つめていたい」が全米シングル・チャートで11週連続1位の大ヒットを記録した。

467. Video Killed the Radio Star – The Buggles (1979)

「ラジオ・スターの悲劇」の邦題で知られるこの曲はイギリスをはじめヨーロッパ各国のシングル・チャートで1位に輝いたが、全米シングル・チャートでの最高位は40位であった。日本のオリコン週間シングルランキングでは最高25位を記録した。実際にラジオでよく流れていた記憶がある。

ビデオが普及したせいでラジオ・スターは消えてしまったと歌われるこの曲は、音楽専門のケーブルテレビチャンネル、MTVが1981年に開局すると、記念すべき最初のビデオに選ばれることになった。そして、やがて全米シングル・チャートをミュージック・ビデオを効果的に使った第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン勢が席巻していったのだった。

バグルスのトレヴァー・ホーンはその後、やはりミュージック・ビデオを効果的に用いて大ブレイクを果たしたフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなどのプロデューサーとして大活躍することになる。

466. Da Doo Ron Ron – The Crystals (1963)

フィル・スペクターは1958年にテディ・ベアーズのメンバーとして「会ったとたんに一目ぼれ」を大ヒットさせるのだが、その後は音楽プロデューサーとしてポップ・ミュージック史に残る数々の名曲を世に送り出していった。様々な奇行や殺人事件への関与など問題はいろいろあるのだが、このポップ・ミュージック界への多大なる貢献はけして軽視することができない。

「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる音を壁のように構築することで臨場感を出す手法は発明でもあり、海を渡って大滝詠一のナイアガラ・サウンドなどにも強く影響をあたえた。

クリスタルズはフィル・スペクターがプロデュースしたガールズ・グループのうちの1つで、当初は「ハイ・ロン・ロン」なる邦題もついていたというこの曲は全米シングル・チャートで最高3位のヒットを記録している。特に深い意味はないが、勢いがあってとても良い。1977年にはショーン・キャシディによるカバー・バージョンが全米シングル・チャートで1位に輝いた。

465. Men’s Needs – The Cribs (2007)

イギリスのインディー・ロック・バンド、ザ・クリブスの3作目のアルバム「メンズ・ニーズ、ウィメンズ・ニーズ、ホワットエヴァー」からの先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高17位を記録した。ニュー・ウェイヴやインディー・ロックの良質な部分を継承する、ひじょうに良心的なバンドという印象がある。一時的に元ザ・スミスのジョニー・マーが加入し、脱退したりもしていた。

この曲はフランツ・フェルディナンドのアレックス・カプラノスがプロデュースしていることもあってか、よりニュー・ウェイヴ的なキャッチーさが際立っていて、ザ・クリブズにとって最大のヒットを記録してもいる。ヌードとヴァイオレンスのせいで放送禁止にもなったミュージック・ビデオもなかなか乙なものである。

464. Levi Stubbs’ Tears – Billy Bragg (1986)

イギリスのシンガー・ソングライター、ビリー・ブラッグは政治的メッセージも強めなプロテストソングなどに定評があり、ザ・スタイル・カウンシル時代のポール・ウェラーと政治的活動を行っていたこともある。「ミュージック・マガジン」などでもわりと高く評価されていたような気がする。

1986年のアルバム「トーキング・ウィズ・ザ・タックスマン・アバウト・ポエトリー」から最初のシングルとしてリリースされたこの曲のタイトルになっているリーヴァイ・スタブッブスとは、モータウンのR&Bグループ、フォー・トップスのリード・ボーカリストである。

ドメスティック・バイオレンスの被害に遭うなどしている女性が、リーヴァイ・スタッブスの歌に慰めを見いだすというような内容になっている。

463. Reverend Black Grape – Black Grape (1995)

マッドチェスター・ムーヴメントの中心的存在の1つであったハッピー・マンデーズを解散させた後、ショーン・ライダーが新たに結成したバンドがブラック・グレープである。最初のシングルとなるこの曲は全英シングル・チャートで最高9位、アルバム「イッツ・グレート・ホエン・ユーアー・ストレート…YEAH」は1位に輝いた。

ハッピー・マンデーズからはダンサーのベズも参加していたが、音楽的にはよりソウル・ミュージック色が濃く、ヒップホップの要素も強めになっていた。これがブリットポップのブームにも乗って、なかなかのヒットになったのであった。来日公演は新宿にあった頃のリキッドルームなどで行われ、ひじょうに盛り上がっていた記憶がある。

462. Runaway – Del Shannon (1961)

1961年の全米NO.1ヒットで、オールディーズの名曲として「悲しき街角」の邦題でも知られている。この曲のヒット以降、デル・シャノンの曲の邦題には「街角」という単語が使われがちになったという。

失恋の痛手から立ち直れないまま、泣きながら雨の中を歩くというシチュエーション、程よくチープなキーボードのサウンドや印象的なファルセットなど、ポップソングとしての魅力に溢れている。

オリジナルタイトルの「ランナウェイ」といえば80年代以降の日本ではシャネルズのデビュー・シングルが思い浮かぶのだが、謹慎からの復帰シングルが「街角トワイライト」で「悲しき街角」からもインスパイアされたと思える楽曲であった。

461. Just What I Needed – The Cars (1978)

ボストン出身のニュー・ウェイヴバンド、カーズのデビュー・アルバム「錯乱のドライヴ/カーズ登場」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高27位を記録した。邦題は「燃える欲望」である。

リック・オケイセックではなくベンジャミン・オールによるボーカルとニュー・ウェイヴ的なサウンド、特にややチープにも聴こえるシンセサイザーがとても良い感じである。オープニングのリフはオハイオ・エクスプレス「ヤミー・ヤミー・ヤミー」、歌詞の一部はヴェルヴェット・アンダーグラウンド「シスター・レイ」からインスパイアされているという。