ヤー・ヤー・ヤーズ「クール・イット・ダウン」【Album Review】

ヤー・ヤー・ヤーズの5作目のアルバム「クール・イット・ダウン」が、2022年9月30日にリリースされた。プロデューサーはTVオン・レディオのデヴィッド・シーテックである。2013年の「モスキート」以来、実に9年ぶりのアルバムということなのだが、それほどブランクは感じさせない。というか、バンドの音楽性は変化というか進化しているのだが、それがいまどきのポップ・ミュージックシーンにうまくフィットしているというのか、かつてこのバンドがやっていたことのベーシック的なところがスタンダードになっているようなところもあるとか、そんなことも感じさせるとても良いアルバムである。

全8曲で約32分とわりと短いのだが、いろいろ凝縮されているうえにバラエティーにもとんでいるので、これが一番ちょうどいいのではないかとさえ感じさせる。ヤー・ヤー・ヤーズは「モスキート」の後でバンドとしての活動を休止して、メンバーそれぞれが各々にいろいろやっていたのだが、2017年にフェスティバル出演で久々にライブをやる予定がキャンセルされ、デビューアルバム「フィーヴァー・トゥ・テル」のリイシューに際していくつかのライブを行ってはした。その後もフェスティバルに出演したりはしていたのだが、新作はリリースされていなかったので、このような感じで活動をしていくのかと思いきや、今回のアルバムである。

気候変動やパンデミックといった今日の深刻な問題の影響を受けていて、1曲目に収録されパフューム・ジニアスが参加した「スピッティング・オフ・ジ・エッジ・オブ・ザ・ワールド」などにはその感じがよくあらわれている。アルバムタイトルの「クール・イット・ダウン」というのにも、地球温暖化であったりTwitterなどにおける様々な論争や対立にも関係があるのだろうかと考えさせられたりもするのだが、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバム「ローデッド」の収録曲に由来しているということである。この曲はヤー・ヤー・ヤーズに対しての固定イメージからすると、ややスローで重い。しかし、そこはおそらくパフューム・ジニアス的な要素も含めた卓越したポップ感覚によってちょうどいい感じになっている。とはいえ、これがアルバムの1曲目でしかも先行シングルでもあったので、なるほどこういう感じのアルバムになるのかと思いきやまったくそうではなかったのであった。

2曲目の「ラヴボム」はシンセサイザーのイントロからはじまり、これがあの00年代初期のロックンロールリバイバル的なものをザ・ストロークスなどと共に盛り上げたヤー・ヤー・ヤーズなのかと感じたりもするのだが、あれからすでに20年近くが経とうとしているのだ。しかも、シンセポップ的な要素を取り入れたインディーロックというのをヤー・ヤー・ヤーズは2009年のアルバム「イッツ・ブリッツ!」の時点ですでにやっていて、「NME」「SPIN」で年間ベストトラックに選ばれた「ゼロ」にはその良いところが凝縮されていたともいえる。当時はこういったアプローチはひじょうに新しく感じられ、しかもいまさらなのだがカレンOのようにオルタナティヴな女性アーティストが普通に活躍していることは、2022年現在と比べると、まだそれほど当たり前のことではなかった。

とはいえ、この「ラヴボム」という曲なのだが、シンセポップ的ではあるものの、それほど弾けた感じのそれではなく、カレンOのやたらとセンシュアルなボーカルがとても良い感じのラヴソングとなっている。「Time」「Light」といったワードがひじょうに重要視されているようなところがあり、「Come close」と繰り返し歌われる。アルバムのここまでやはりスローなムードが続いていて、大人になったヤー・ヤー・ヤーズという気分ではある。これでも長く続いてきたバンドの最新型のポップスとしてはじゅうぶんに楽しめるのだが、次の曲から本格的にこのアルバムはまったくそれだけではないのだ、ということに気づかされることになる。

まず「ウルフ」なのだが、「ラヴボム」からの流れをくむシンセポップ的な要素が感じられる導入であり、カレンOがやはりセンシュアルに歌う最初のフレーズがデュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ア・ウルフ」を思わせるというか、まったくそのままである。これはおそらく欲望がテーマとされていて、さらにシンセポップ的なのはとても良いぞと思っていると、その感じがさらに強まっていき、ザ・ウィークエンドやデュア・リパなどのフューチャー・ノスタルジアな80年代的ポップスがメインストリームのトレンドとなる昨今の気分とかなり合致する。さらにその後の「フリーズ」もまたシンセポップでありながら、よりファンキーでダンサブルになっている。カレンOのボーカルがファルセット気味に超キャッチーなメロディーを歌うあたりもとても良い。歌詞に80年代に活躍したニュー・ウェイヴバンド、ESGの名前が出てきて参照点の1つが明らかになる。「Yeah, yeah,yeah, yeah」というポップミュージック史において何度歌われてきたか分からなく、しかもバンドメイトもひじょうに近いフレーズがカレンOによってまた生まれ変わる。音楽性は変わってきているが、感覚としてはヤー・ヤー・ヤーズの真骨頂ともいうべきところが最新型にアップデートされているようでもある。

先行シングルとしてもリリースされていた「バーニング」が、これらのシンセポップ的な楽曲の後だとややオーガニックにも感じられる。ピアノや歪んだギター、そしてやはりカレンOの確実に魅力を増したであろうボーカルがこの曲でも素晴らしく、途中からはやはりまたシンセサイザーが重要な役割を果たしているようである。続く「ブラックトップ」はおそらく打ち込みによるとてもユニークなリズムにのせて、ゆったりと歌われるこれもまたヤー・ヤー・ヤーズとしては新しさが感じられる楽曲である。「Open」「Flow」といったワードが繰り返し歌われるのが特徴でもあり、どこか心の安息というか癒しを求めているようにも感じられる。

そして、「ディファレント・トゥデイ」がこれまたヤー・ヤー・ヤーズというバンドのイメージからするとひじょうに新しく、しかもオーセンティックなポップスに近い楽曲だということができる。世界は回り続け、どうやら制御不可能であるようにも思われる、というのは今日の人々の多くが実感してもいることであろう。それについてどう感じているかは人によって様々だとは思うのだが、ここでカレンOはその事実だけを何度も繰り返し歌う。そして、今日は違って感じられるとも。これらがどのように結びついているのかは定かではなく、聴き手がそれぞれに解釈するところなのだろう。この曲においても、サウンド面ではやはりシンセサイザーが重要な役割を果たしているのだが、まるで70年代のラジオから不意に流れてきたある種のポップソングにも似たやさしさを感じたりもする。それは以前のヤー・ヤー・ヤーズのイメージからは想像がつかないようにも思えるのだが、あのオルタナティヴなラヴソングの名曲「マップス」を生み出したのがこのバンドであり、その約20年後でもあることを考えると、それほど不思議でもないような気もしてきた。

アルバムの最後に収録されている曲が「マーズ」であり、これはやはりエクスペリメンタル気味でありながら温もりが感じられるシンセサウンドにのせて、カレンOが歌うのではなく語っている。お気に入りのテレビ番組を見ていた時に、息子が言った何気ないのだが印象的でたまらなく愛しくもある一言が最も重要なテーマであり、タイトルの由来でもある。

オルタナティヴな女性アーティストたちがロックでもポップでも普通に活躍している2022年のポップシーンだが、その実現にカレンOというかヤー・ヤー・ヤーズが意図せずとも果たした役割はひじょうに大きい。そのある時代以降におけるパイオニアとしての功績のみならず、現時点においても進化し続け、このようにとても良いアルバムをリリースしたことが本当に素晴らしいと思うのである。