邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1967

この広い野原いっぱい/森山良子(1967)

両親がジャズトランぺッターとジャズシンガーだった森山良子は自分自身もジャズシンガーになることを志すのだが、高校在学中に先輩の黒澤久雄と出会ったことがきっかけでフォークソングを歌うようになり、19歳の頃に「この広い野原いっぱい」でレコードデビューした。

銀座の画廊に行った時に見たスケッチブックに書かれていた詩に森山良子が曲をつけたもので、当時のカレッジフォークブームの流れにも乗って、ヒットを記録した。

小指の想い出/伊東ゆかり(1967)

それまでアメリカンポップスなどをよく歌っていた伊東ゆかりだが、この楽曲はより歌謡曲的であり、しかも「あなたが噛んだ小指が痛い」のフレーズも印象的なかなりセクシーな内容となっている。

伊東ゆかり自身も当初は歌うことに気乗りがしなかったということだが、これが大ヒットを記録し、第9回日本レコード大賞では歌唱賞を受賞することになった。

ムーディーな大人路線への変更が成功したといえるが、リリース当時、伊東ゆかりはまだ19歳だったようだ。

ブルー・シャトウ/ジャッキー吉川とブルー・コメッツ(1967)

ジャッキー吉川とブルー・コメッツによる大ヒット曲で、第9回日本レコード大賞も受賞した。グループサウンズが日本の大衆音楽として完全に定着したことを強く印象づけたともいえるが、一方でグループサウンズ的な楽曲ではあるものの、メロディーは歌謡曲に近いものであった。

作詞は橋本淳、作曲は後に井上大輔に改名するメンバーの井上忠夫で、子供たちの間では「森と(んかつ)泉に(んにく)囲(んにゃく)まれて(んぷら)」などと、歌詞に食べ物の名前を付けて歌うのが流行ったというのだから、どれだけヒットしていたかが分かるというものである。

シーサイド・バウンド/ザ・タイガース(1967)

ザ・タイガースの2枚目のシングルにして、初の大ヒット曲となった。作詞は橋本淳で、作曲はすぎやまこういちである。「踊りに行こうよ 青い海のもとへ」という歌い出しのフレーズなどは後に遠藤賢司「満足できるかな」にも引用されるが、夏をイメージした明るく開放的な楽曲である。

ザ・タイガースは大阪でファニーズという名前で活動をしていたのだが、ステージを見た内田裕也から声をかけられるなどしたことがきっかけで、上京を決心した。ザ・タイガースに改名したのはすぎやまこういちのアイデアで、沢田研二のジュリーをはじめ、メンバーのニックネームも決められていった。当時は千歳烏山に合宿所があったようである。

いとしのマックス/荒木一郎(1967)

荒木一郎は文学座の俳優でありながら音楽活動も行い、しかも自ら作詞・作曲した楽曲を歌うシンガーソングライター的なスタイルを日本のポピュラー音楽界において早くから確立した素晴らしいアーティストである。

5枚目のシングルにあたるこの楽曲においては、当時、流行していたグループサウンズ的なトレンドを取り入れながらも、不敵なクールネスを感じさせもするところがとても良い。この曲で「NHK紅白歌合戦」にも初出場したようである。

個人的には1980年代のとある平日の午後に、高校が早く終わるか自主的にサボったかして自分の部屋でFMラジオをつけていた時に、何の予備知識もない状態でこの曲を初めて聴いて、カッコよさに打ちのめされた記憶がある。

世界は二人のために/佐良直美(1967)

佐良直美のデビューシングルでオリコン週間シングルランキングでは最高2位の大ヒットを記録し、この曲で第9回日本レコード大賞新人賞を受賞することにもなった。

明治製菓のチョコレートのCMソングに歌詞を付け足したものらしい。「愛 あなたと二人」「二人のため 世界はあるの」といった歌詞が印象的なこの楽曲は、結婚披露宴などでも歌われがちであり、個人的な自由を肯定した普遍的なメッセージソングとしても捉えることができるような気がする。

好きさ好きさ好きさ/ザ・カーナビーツ(1967)

グループサウンズのバンド、ザ・カーナビーツのデビューシングルで、ゾンビーズのヒット曲に漣健児が日本語詞を付けたものである。

バンドのドラマーでありボーカリストのアイ高野が甘くもエモーショナルなボーカルで「お前のすべてを」と、ドラムスティックを前に突き出しながら歌うと、女性ファンたちは熱狂し、これがグループサウンズ(GS)ブームを象徴する名場面の1つとして語り継がれることにもなる。

真赤な太陽/美空ひばり(1967)

グループサウンズの社会現象的ともいえるブームは国民的歌手の美空ひばりにも影響をあたえ、アルバム「歌は我が命~美空ひばり芸能生活20周年記念」には「ブルー・シャトウ」を大ヒットさせたジャッキー吉川とブルー・コメッツとコラボレートした「真赤な太陽」が収録された。

シングルカットしたところ大ヒットして、美空ひばりの代表曲の1つとしても知られるようになっていった。美空ひばり自身もミニスカートを履いてゴーゴーダンスを踊りながら歌うなどと、わりとノリノリな取り組みを見せていたようである。

恋のフーガ/ザ・ピーナッツ(1967)

ザ・ピーナッツの代表的なヒット曲の1つで、ティンパニを用いた印象的なイントロと、パワフルさを増したボーカルとコーラスが特に魅力的である。

恋の終わりの悲しみをテーマにした楽曲のはずなのだが、どこかエキゾティックなムードも含めたポップソングとしての強度がエグすぎてなんだかとてつもない迫力を感じさせる。

バン・バン・バン/ザ・スパイダース(1967)

「とぼけた顔してバンバンバン」などのフレーズがあまりにも印象的なザ・スパイダースの代表曲の1つだが、シングル「いつまでもどこまでも」のB面扱いだったようだ。作詞・作曲・編曲はかまやつひろしである。

イギリスのビート・ロック・バンド、ザ・マインドベンダーズの「ラブ・イズ・グッド」に影響を受けているようだが、B面曲とはいえ歌謡ポップスにまったく寄せていないただただカッコいいロックンロールであり、これがオリコン週間シングルランキング最高4位のシングルに収録されていたというのがとても良い。

朝まで待てない/ザ・モップス(1967)

ザ・モップスのデビューシングルである。グループサウンズにカテゴライズはされていたものの、当時、人気を得ていた他のグループたちと比べ、よりR&B色が濃く、本格的な音楽性に特徴があり、後の世代からも再評価されがちである。

個人的には1983年に小山卓治のカバーでこの曲を知り、その後でオリジナルも聴いて、テレビドラマ「夜明けの刑事」での刑事役や情報番組「HOT TV」の司会者として知っていた鈴木ヒロミツがかつてこんなにもカッコいい音楽をやっていたのかと度肝を抜かれた。作詞は阿久悠で作曲・編曲は村井邦彦である。

デビューアルバムのタイトル「サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン」もとても良い。

銀色のグラス/ザ・ゴールデン・カップス(1967)

横浜出身のロックバンド、ザ・ゴールデン・カップスの2枚目のシングルである。グループサウンズにカテゴライズはされるのだが、アメリカで現地の最新の音楽から刺激を受けて帰国したデイヴ平尾によって、エディ藩をはじめ腕利きのメンバーがあつめられたりもしたため、演奏力はひじょうに高い。

この楽曲にはデビューシングル「いとしのジザベル」以上にロックバンドとしての本来の魅力がヴィヴィッドに反映しているようにも感じられるが、それでいて流行歌的なキャッチーさもあるところがとても良い。

真冬の帰り道/ザ・ランチャーズ(1967)

ザ・ランチャーズは元々、加山雄三によって結成されたバンドだが、幾度かのメンバーチェンジの後、加山雄三の従弟にあたる喜多嶋瑛、北島修の兄弟を含む4人組となってから、デビューシングル「真冬の帰り道」がリリースされた。

グループサウンズでもより爽やかなイメージと親しみやすいメロディーが特徴であり、後に様々なアーティスト達によってカバーもされている。

個人的にはタイトルに渡辺美奈代「雪の帰り道」、メロディーに芳本美代子「白いバスケット・シューズ」を思い起こさせるところもあり、わりと気に入っている。

トンネル天国/ザ・ダイナマイツ(1967)

山口冨二夫も所属していたロックバンド、ザ・ダイナマイツのデビューシングルで、オリコン週間シングルでの最高位は73位なのだが、その年を代表するヒット曲が収録されたコンピレーションCD「青春歌年鑑」の1967年版には入っていたりもするので、当時、一体どれぐらいのレベルで知られていたのかなかなか想像しにくかったりもする。

これもまたグループサウンズに分類はされるのだが、ロックンロールとしてのカッコよさはかなりのものであり、歌謡ポップス的な要素はあまり感じられない。それでもたまらなくキャッチーなところがとても良い。

「トンネルぬけて」と繰り返し歌われるところにはどこかとぼけたムードも感じられるのだが、演奏と同様に曲の間に入るかけ声のようなものがいずれもいちいち最高にカッコいい。ロックンロールの機能の1つとして意識をここではないどこかへと飛ばしてくれるというようなものもあるような気がするのだが、この曲もやはりそうで、個人的には最も大好きなグループサウンズ楽曲だったりはする。

帰って来たヨッパライ/ザ・フォーク・クルセダーズ(1967)

ザ・フォーク・クルセダーズの大ヒット曲で、オリコン週間シングルランキングで1位、1968年の年間シングルランキングでは千昌夫「星影のワルツ」に次ぐ2位という大ヒットを記録した。

テープの回転を早回ししたと思われるユニークなボーカルで「おらは死んじまっただ 天国に行っただ」と歌われたりもするノベルティーソングで、個人的には当時1歳だったにもかかわらず、なんとなくリアルタイムで聴いたことがあるような気がしていたりもする。母に連れられて行った家の1階の部屋で、きれいなお姉さんのテープレコーダーで聴かせてもらったような気がする。

アルバム「ハレンチ・ザ・フォーク・クルセイダーズ」に収録されていた楽曲が、ラジオ関西の深夜放送でオンエアされたことがきっかけで、全国的なヒットへと広がっていったのだという。

民謡「草津節」のパロディー的な要素があったり、ビートルズ「グッド・デイ・サンシャイン」の間奏がさり気なく引用されていたり、終盤にはおそらく仏教的な追悼があった後で、ビートルズ「ハード・デイズ・ナイト」、ベートーヴェン「エリーゼのために」といったスタンダード楽曲からの引用があったりもする。