邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1964-1966
自動車ショー歌/小林旭 (1964)
小林旭が主演した映画「投げたダイスが明日を呼ぶ」の挿入歌で、歌詞には様々な自動車の名前が盛り込まれている。
ゴージャスなサウンドと豪快なボーカルの魅力がフルに発揮されているようなところもあり、ノベルティーソング的でもありながらひじょうに聴きごたえがある。
フリフリ/田辺昭知とザ・スパイダース (1965)
ザ・スパイダースのデビューシングルで、後にアレンジを変え英語詞で歌ったバージョンが「ザ・スパイダース・ファースト・アルバム」に収録された。作詞・作曲はかまやつひろしである。
ザ・スパイダースは後に芸能プロダクション、田辺エージェンシーを設立する田辺昭知によって結成されたロックバンドで、メンバーにはかまやつひろし、堺正章、井上順、大野克夫などもいた。
音楽的にはビートルズやローリング・ストーンズをはじめとする当時のブリティッシュ・ロック・バンドから強く影響を受けていて、この後に盛り上がっていくグループサウンズブームにおいても重要な役割を果たした。
ヨイトマケの唄/丸山明宏 (1965)
丸山明宏は美輪明宏の本名にして当時の芸名でもあった。シャンソン歌手として活動し、シスターボーイなどとも呼ばれた美貌も大いに受けて、三島由紀夫や寺山修司といった当時の文化人たちにもひじょうに人気があったのだという。
この曲は丸山明宏が友人から聞いた実話を元に作詞・作曲され、貧しい家庭で息子のために過酷な肉体労働に従事し、亡くなっていった母の姿などについて歌われている。
タイトルや歌詞に差別用語とし取られかねないワードが含まれていたことから、特に民放ではほとんど放送されない期間が長らく続いていたようだ。
星娘/西郷輝彦 (1965)
西郷輝彦は橋幸夫、舟木一夫と共に御三家として人気があった男性歌手である。当初は青春歌謡的な楽曲を歌いがちだったのだが、浜口庫之助をソングライターとして迎え、よりポップス的なアプローチを試みた最初の楽曲が「星娘」である。
代表曲は同じく浜口庫之助の作詞・作曲で翌年にリリースされ、大ヒットした「星のフラメンコ」なのだが、当時のエレキブームの影響なども感じさせる「星娘」の方がヴィヴィッドなトレンド感も含め、ポップソングとして味わい深いような気もする。
君といつまでも/加山雄三 (1965)
加山雄三の主演映画「エレキの若大将」の主題歌であり、「第8回日本レコード大賞」では特別賞を受賞している。作詞は岩谷時子、作曲の弾厚作は加山雄三のペンネームである。
「幸せだなァ 僕は君といる時が一番幸せなんだ 僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろ」という名台詞も印象的な素晴らしいラヴソングで、スタンダード感が溢れまくっている。
バラが咲いた/マイク真木 (1966)
アメリカで流行していたフォークソングが日本にも伝わり、カレッジフォークブームのようなものが大学生を中心として盛り上がったということなのだが、その流れを一般大衆的にポピュラーにしたのが、モダン・フォーク・カルテットのメンバーでもあったマイク真木による「バラが咲いた」のヒットだったともいわれる。
浜口庫之助がサン=デグジュペリの童話「星の王子様」にインスパイアされて作詞・作曲した曲ということだが、個人的にこの曲のリリースから約半年後に生まれたので、ヒット曲というよりはスタンダード曲としての印象の方がひじょうに強い。
お嫁においで/加山雄三 (1966)
加山雄三の代表曲で、この曲も「君といつまでも」と同様に作詞が岩谷時子、作曲が加山雄三のペンネームである弾厚作である。
加山雄三のボーカルはこの曲においても最高なのだが、サウンドもハワイアン的だったりしてとても良い。後に加山雄三の主演で映画化もされている。
2015年にはヒップホップアーティスト、PUNPEEをフィーチャーした「お嫁においで2015」がリリースされたりもしていた。
恋と涙の太陽(アメリアッチ)/橋幸夫 (1966)
橋幸夫といえばデビューシングルの「潮来傘」や吉永小百合とのデュエット曲「いつでも夢を」がもちろん超有名なのだが、それ以外に様々な音楽ジャンルやリズムを取り入れた邦楽ポップソングをいろいろ歌っていたことでも知られる。
この曲は橋幸夫にとって実に81枚目のシングルにして、佐伯孝夫の作詞、吉田正の作曲・編曲によるリズム歌謡シリーズの第5弾である。サブタイトルにもなっている「アメリアッチ」とは、メキシコ風のフラメンコリズムだということである。
いつまでもいつまでも/ザ・サベージ (1966)
寺尾聰もメンバーとして在籍していたザ・サベージはエレキバンドとして結成され、当時の人気番組「勝ち抜きエレキ合戦」で優勝するなどした後、ホリプロダクションに所属することになる。
デビューシングルとなったこの曲は当時流行していたカレッジフォーク的であり、ヒットしたのだが、バンド本来の音楽性とはやや異なっていたような気もする。
グループサウンズブーム初期の人気バンドとして知られるが、音楽的にはカレッジフォーク的であり、ブリティッシュ・ビート・バンドからの影響が感じられるザ・スパイダースなどとはかなり異なっていたように思える。
若者たち/ザ・ブロードサイド・フォー(1966)
ザ・ブロードサイド・フォーは映画監督、黒澤明の息子である黒澤久雄によって結成されたフォークグループで、この曲はテレビドラマ「若者たち」の主題歌としてヒットした。
この曲がリリースされた当時に生まれた世代にとっては、音楽の教科書などに載っている楽曲というイメージだったかもしれない。「君の行く道は果てしなく遠い」と歌いはじめられるこの曲もまた、日本のポピュラー音楽界が生んだスタンダードソングの1つだといえるように思える。
夕陽が泣いている/ザ・スパイダース(1966)
ザ・スパイダースの主演映画「涙くんさよなら」の挿入歌として発表され、大ヒットした楽曲であり、メインボーカリストは堺正章である。
それまでブリティッシュ・ビート・バンドからの影響が色濃い音楽などをやっていたザ・スパイダースだが、浜口庫之助の作詞・作曲によるこの楽曲はよりフォークソング的でもあり、それが大ヒットの要因だったような気もする。
当時のシングルレコードジャケットには、「ザ・スパイダースのフォーク・タッチ」というコピーが印刷されている。
こまっちゃうナ/山本リンダ (1966)
モデルとして活動していた山本リンダが15歳の頃にリリースしたデビューシングルで、ミノルフォンレコード設立以来初となる大ヒットを記録した。
デートに誘われて困ってしまう乙女心のようなものをテーマにしたガールズポップで、作詞・作曲は演歌的な楽曲のイメージが強い遠藤実であった。
想い出の渚/ザ・ワイルドワンズ (1966)
ザ・ワイルドワンズのデビューシングルとしてリリースされ、大ヒットした楽曲であり、グループサウンズブームを代表する1曲として知られる。
寺内タケシとブルージーンズの元メンバーでもあった加瀬邦彦によって結成されたザ・ワイルドワンズのバンド名は、加山雄三によって命名されたものである。
夏のロマンスをテーマにしたサマーポップスであり、湘南ボーイ的な爽やかなイメージが特徴的でもある。
1978年には清水アキラ、桜金造、あご勇などが在籍していたコミックグループ、ザ・ハンダースが、各メンバーの持ちネタである様々なものまねを盛り込んだ「ハンダースの想い出の渚」をリリースしていた。