邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1962-1963

ふりむかないで/ザ・ピーナッツ (1962)

ザ・ピーナッツにとって洋楽カバーではなくオリジナル楽曲としては初めてのヒットを記録した。作詞は岩谷時子、作詞・作曲は宮川泰である。

くつ下やスカートを直しているところなのでどうかふりむかないでほしい、という乙女心のようなものをテーマにした素晴らしい楽曲で、洋楽ガールズポップの日本語カバーが全盛の当時、和製ポップスの新たな可能性を提示していたようにも思える。

可愛いベイビー/中尾ミエ (1962)

中尾ミエが16歳の頃にリリースしたデビューシングルで、コニー・フランシスの楽曲のカバーである。日本語詞は洋楽ポップスのカバー全盛期に一時代を築いた漣健児である。

「可愛いベイビー」というタイトルと歌詞のフレーズから、ベビーブーム時代らしく、赤ちゃんの可愛らしさを歌った曲かと勘違いしがちでもあるのだが、ここでいう「ベイビー」とは恋人のことである。

1980年から放送された「お笑スター誕生」における「ルパン三世」などでお馴染みの声優、山田康夫との司会や和田アキ子にも口喧嘩で勝てるといわれた毒舌キャラクターの印象が強い世代も少なくはないと思うが、ポップシンガーとしての魅力もかなりのものであり、1960年代には伊東ゆかり、園まりとのスパーク3人娘の1人としてもよく知られていた。

いつでも夢を/橋幸夫、吉永小百合 (1962)

橋幸夫と吉永小百合のデュエットソングとして大ヒットして、第4回日本レコード大賞も受賞した名曲である。発売の翌年には2人の主演で映画化もされている。

けして明るくはない状況においても未来への希望を感じさせてくれる楽曲として長く親しまれ続け、2013年に放送され大ヒットしたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」でもフィーチャーされ、橋幸夫も本人役で出演していた。

ヴァケーション/弘田三枝子 (1962)

コニー・フランシスが1962年7月にリリースして、全米シングル・チャートで最高9位のヒットを記録した楽曲の日本語カバーで、作詞はまたしても漣健児である。

伊東ゆかり、青山ミチ、金井克子、安村昌子らもカバーして競作となるが、弘田三枝子のバージョンがダントツで売れた。夏のバケーションの印象が強いが、発売されたのは11月であり、春夏秋冬それぞれの休みについて歌われている。

当時の日本のポップシンガーの中でもパンチのあるボーカルとポップ感覚が圧倒的であり、山下達郎や桑田佳祐をはじめ、偉大なアーティスト達からもリスペクトされている(サザンオールスターズの1983年のアルバム「綺麗」には弘田三枝子のことを歌った「MICO」が収録され、弘田三枝子もアンサーソングとしてシングル「O-KAY」をリリースしていた)。

ロコ・モーション/伊東ゆかり (1962)

ジェリー・ゴフィンとキャロル・キングがつくった楽曲をベビーシッターだったリトル・エヴァが歌って大ヒットした「ロコ・モーション」を、伊東ゆかりが日本語でカバーしたバージョンで、日本語詞はあらかはひろしによるものである。

「さァ さァ ダンスのニュー・モード」といきなり楽しそうでとても良いのだが、列車をイメージしたダンススタイルを説明した歌詞で「お尻をピョンとはねスイングして」というところが可愛らしくて特に良い。原曲は後にグランド・ファンクやカイリー・ミノーグのカバーでも大ヒットした。

恋のバカンス/ザ・ピーナッツ (1963)

「VACANCE DE L’AMOUR」というフランス語タイトルも付いているが、「ふりむかないで」と同様に作詞が岩谷時子で作曲・編曲が宮川泰による和製ポップスである。

ザ・ピーナッツの代表曲として知られるこの楽曲は、東レのサマーウェア、バカンス・ルックのキャンペーンソングでもあり、フランス語で休暇を意味する「バカンス」という概念を日本で広めるきっかけにもなった。

高校三年生/舟木一夫 (1963)

舟木一夫のデビューシングルにして大ヒット曲で、これにより「第5回日本レコード大賞」の新人賞も獲得している。

洋楽カバーポップス全盛の時代ではあったが、この曲のようなきわめて日本的な楽曲もやはり大ヒットしていたのである。レコーディング当時、舟木一夫は実際に高校三年生だったらしく、レコードジャケットにも学生服姿で写っている。

「フォークダンスの手をとれば 甘く匂うよ黒髪」がというフレーズが、アナクロニズムの中にも絶妙なエロティシズムが感じられもして、個人的にはとても好きである。あと、間奏の女性コーラスが「ララランランラン」などと歌っているのと同時に鐘のような音が鳴っているところもとても良い。

東京五輪音頭/三波春夫 (1963)

1964年に開催され、大いに盛り上がった東京オリンピックのテーマソングとして大ヒットした。実は他にも橋幸夫や三橋美智也をはじめ、様々なアーティストがこの曲をリリースしていたというのだが、三波春夫のバージョンがやはり圧倒的だったようである。

音頭的なサウンドや素晴らしいボーカルなど、日本発のワールドミュージックとして世界に誇れるレベルなのではないかと、個人的には感じなくもない。

美しい十代/三田明 (1963)

三田明のデビューシングルであり、翌年には映画化もされた。舟木一夫「高校三年生」などと同様に青春歌謡とでも呼ぶべき音楽性である。

「昨日習ったノートを君に貸してあげよう やさしい君に」などというフレーズもとても良い。その美貌からアイドル的な人気もひじょうに高く、あの三島由紀夫も「三田明が天皇だったらいつでも死ぬ」などと言っていたようである。

こんにちは赤ちゃん/梓みちよ (1963)

坂本九「上を向いて歩こう」と同じ永六輔と中村八大による楽曲で、NHKのバラエティ番組「夢であいましょう」で披露したところ大反響があり、譜面の視聴者プレゼントには応募が殺到したという。

満を持してレコードが発売されると当然のように大ヒットを記録し、「第5回日本レコード大賞」も受賞した。

元々は中村八大に子供が生まれたお祝いに永六輔が書いた詞がモチーフになっていて、パパの心情をテーマにしたものだったのだが、梓みちよが歌うにあたって「はじめまして わたしがママよ」となったようである。

高度成長期にしてベビーブームという当時の夢と希望が真空パックされているようでもあって、とても良い。

明日があるさ/坂本九 (1963)

坂本九が主演したバラエティ番組「明日があるさ」「夢をそだてよう」のテーマソングで、作詞が青島幸雄で作曲が中村八大である。

内気な男性のさえない日常とそれでもポジティブにいこうというアティテュードをヴィヴィッドに描写した、とても良い曲である。

2001年にはウルフルズ、Re:Japan(ダウンタウン、ココリコ、間寛平、藤井隆、ロンドンブーツ1号2号、東野幸治といった吉本興業の人気お笑い芸人たちから成るユニット)によるカバーバージョンがヒットして、新しい世代のリスナー達にも知られるようになっていった。