邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1973, Part.2

涙の太陽/安西マリア(1973)

安西マリアのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高16位、「第15回日本レコード大賞」では新人賞を受賞した。

1965年に和製洋楽的な楽曲としてリリースされ、ヒットしたエミー・ジャクソンの曲のカバーで、日本語詞はオリジナルと同じく湯川れい子によるものである。

「ギラギラ太陽が燃えるように」と灼熱の悲恋が、激しくも絶妙な軽快さで歌われているところがとても良い。パール兄弟の1987年のアルバム「パールトロン」に収録された「ナミダの太陽」とはまったく別の曲である。

1989年には田中美奈子、2004年にはメロン記念日によるカバーバージョンがリリースされ、いずれもオリコン週間シングルランキングの20位以内にランクインしている。

草原の輝き/アグネス・チャン

アグネス・チャンの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルで最高2位、第15回日本レコード大賞では新人賞を受賞した。

香港では姉と一緒に歌ったジョニ・ミッチェル「サークル・ゲーム」がヒットするなどして、すでにスターだったのだが、現地の冠番組「アグネス・チャン・ショー」にゲスト出演した平尾昌晃との出会いがきっかけで、日本でもデビューすることになる。

高く澄んだ歌声と慣れない日本語の歌詞を懸命に歌う様などが大いに受け、日本でもたちまち大人気になった。この曲は作詞が安井かずみで作曲が平尾昌晃によるもので、メルヘンチックな世界観が特徴的である。テレビ番組で「アグネス・チャンちゃん」などと紹介されがちだったことも懐かしく思い出される。

神田川/南こうせつとかぐや姫(1973)

南こうせつとかぐや姫のアルバム「かぐや姫さあど」収録曲としてリリースされた後、南こうせつがパーソナリティーを務めるラジオの深夜放送で流したところ反響が大きく、マンドリンの演奏を追加したバージョンがシングルとして発売されることになった。オリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングでは6位を記録する大ヒットとなった。

歌詞は放送作家として活動していた喜多條忠が大学生の頃に恋人と同棲をしていた頃の記憶を元に書かれ、それに南こうせつが曲をつけていった。

赤い手拭いをマフラーにして一緒に銭湯に行くくだりを含め、貧しくも懐かしい青春の日々が回想されている。四畳半フォークとして知られてもいるのだが、この曲で歌われている部屋の間取りは三畳一間である。

心もよう/井上陽水(1973)

井上陽水の4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録した。

「遠くで暮らすことが二人によくないのはわかっていました」というような関係性にある「ふるさとに住むあなた」への手紙をモチーフに、生きていく上での思うようにいかなさや焦燥のようなものが繊細に表現された名曲である。

シングルのB面には忌野清志郎と共作した「帰れない二人」が収録されていた。

ひこうき雲/荒井由実(1973)

荒井由実の2枚目のシングル「きっと言える」のB面に収録された後、デビューアルバム「ひこうき雲」の1曲目にしてタイトルトラックとしてリリースされた。

「空に憧れて 空にかけてゆく あの子の命はひこうき雲」と歌われるこの曲のモチーフになったのは、荒井由実の小学生時代の同級生で、若くして亡くなった男子のことであった。葬式の祭壇に飾られていた遺影の少年はすでに高校生になっていて、当時の荒井由実の記憶にあった小学生時代の姿から成長していた。

元々は雪村いずみへの提供曲として書かれ、レコーディングもされたのだが、リリースには至らず、荒井由実のバージョンが有名になった。

2003年にスタジオジブリ制作のアニメ映画「風立ちぬ」の主題歌として起用され、松任谷由実名義で配信シングルとしてもリリースされた。

とん平のヘイ・ユー・ブルース/左とん平(1973)

左とん平のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高73位を記録した。

プロデューサーはミッキー・カーティスで、R&B的でとてもカッコいいサウンドにのせて、「俺をすりこぎにしちまったやつ そいつはだれだ だれだ だれなんだ」などとシャウトされたりもする。作詞は新谷のり子「フランシーヌの場合」も手がけた郷伍郎である。

タイトルの元にもなった「ヘイ・ユー・ワッチャー・ネーム?」というフレーズは、当時、左とん平が出演するテレビのバラエティー番組などで連呼していたギャグで、トニー谷の「あなたのお名前なんてえの?」を英訳したものである。

1990年にスチャダラパーのデビューアルバム「スチャダラ大作戦」収録の「スチャダラパーのテーマPT.2」(PT.1はテレビドラマ「太陽にほえろ!」のテーマソングにラップをのせたもの)でサンプリングされたことにより再評価され、クラブシーンで人気が沸騰、後に大槻ケンヂやカンニングによってもカバーされている。

氷の世界/井上陽水(1973)

井上陽水の3作目のアルバム「氷の世界」の表題曲で、シングルではリリースされていないが代表曲として知られる。アルバムはオリコン年間アルバムランキングで1974年と1975年の2年にわたって1位に輝くという大ヒットを記録し、日本で初めて100万枚以上売れたアルバムとしても知られる。

フォークソング的なイメージも強かった井上陽水ではあるが、この曲はファンキーなサウンドが特徴的であり、スティーヴィー・ワンダー「迷信」を参照したともいわれる。

「窓の外ではリンゴ売り」からはじまる歌詞はどこかシュールレアリスティックでもあり、テレビが寒さのせいで画期的な色になり、醜い女性を魅力的に映してすぐに消えるくだりなども印象的である。

恋のダイヤル6700/フィンガー5(1973)

フィンガー5の3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで4週連続1位、1974年の年間シングルランキングでは殿様キングス「なみだの操」、小坂明子「あなた」、中条きよし「うそ」、中村雅俊「ふれあい」に次ぐ5位を記録した。作詞は阿久悠で、作曲・編曲が井上忠夫である。

フィンガー5は沖縄出身の5人組兄妹グループとして当時の子供たちにも大人気で、いろいろなグッズが発売されたりもしていた。翌年の夏にはこの曲を主題歌とする主演映画「フィンガー5の大冒険」が「東映まんがまつり」の1プログラムとして公開されたりもしていた。

この曲は電話のベル音のイントロからはじまり、さらには「リンリンリリン リンリンリリンリン」とそれを擬音化した歌詞が続く。「明日が卒業式だからこれが最後のチャンスだよ」というわけで、好きな人に電話で想いを告白するという内容なのだが、もちろん当時は家庭用電話機なので、必ずしも相手がすぐ出るとは限らない手に汗握る緊張が走るのである。

当時の子供たちにソウルミュージック的な感覚を流行歌として刷り込んだ功績も大きかったような気がする。

あなた/小坂明子(1973)

小坂明子のデビューシングルでオリコン週間シングルランキングでは7週にわたって1位に輝き、年間シングルランキングでは第2位であった。

ガロのファンであった小坂明子が高校2年の頃に提供曲のつもりで書いた楽曲で、ポプコンことヤマハポピュラーソングコンテストの第6回グランプリに選ばれ、「第4回世界歌謡祭」でもグランプリを獲得した後にレコードが発売された。

「もしも私が家を建てたなら 小さな家を建てたでしょう」と少女のメルヘンチックな夢が歌われているようではあるのだが、歌詞がはじめから仮定法過去完了であるように、この曲のテーマになっている恋はもうすでに終わっている。

小坂明子の高校時代の先輩との淡い恋が歌詞のモチーフになっているとのことである。宮川泰によるドラマティックなアレンジもとても良い。