オアシス「サム・マイト・セイ」

オアシスの6枚目のシングル「サム・マイト・セイ」は1995年5月6日付の全英シングル・チャートにおいて、テイク・ザット「バック・フォー・グッド」を抜いて初登場1位に輝いた。デビュー・シングル「スーパーソニック」が31位、「シェイカーメイカー」が11位、「リヴ・フォーエヴァー」が10位、「シガレッツ&アルコール」が7位、「ホワットエヴァー」が3位というひじょうに順調な右肩上がりを経ての1位であった。同じ週にはポール・ウェラー「チェンジングマン」が7位、ビヨーク「アーミー・オブ・ミー」が10位、ウィーザー「バディ・ホリー」が12位にそれぞれ初登場している。

オアシスのドラマーであったトニー・マッキャロルはバンドの中心メンバーであるノエルとリアムのギャラガー兄弟との関係が悪化するなどして、事実上、解雇を言い渡されるのだが、「サム・マイト・セイ」がレコーディングされた最後の楽曲になった。オアシスはイギリスの人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に「サム・マイト・セイ」で何度か出演しているが、最初の出演回ではドラマーがトニー・マッキャロルだったものの、最後の回ではアラン・ホワイトに替わっていた。ザ・スタイル・カウンシルやポール・ウェラーのバンドにドラマーとして参加していたスティーヴ・ホワイトの弟である。

この曲はオアシスの2作目のアルバム「モーニング・グローリー」の最初の先行シングルであり、バンドにとって初の全英シングル・チャート1位と幸先が良かった。2枚目の先行シングルカットが8月14日にリリースされた「ロール・ウィズ・イット」なのだが、これにブラーがアルバム「ザ・グレイト・エスケープ」からの先行シングル「カントリー・ハウス」を合わせてきたことによって、いわゆる「バトル・オブ・ブリットポップ」が勃発、2組のインディー・バンドの最新シングルのうちどちらが1位になるかということが、一般のニュースでも報じられる事態となった。結果は不公平にもなりかねない要因があったとはいえ、ブラー「カントリー・ハウス」が1位、オアシス「ロール・ウィズ・イット」が2位、「バトル・オブ・ブリットポップ」はブラーの勝利に終わったのであった。しかし、アルバム「モーニング・グローリー」が発売すると、その内容が高く評価されたばかりか、続いてシングル・カットされた「ワンダーウォール」が2位、ノエル・ギャラガーがリードボーカルを取った初のシングルA面曲「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」が1位に輝く頃には、オアシスの逆転劇は半ば周知の事実と、少なくともこの時点では化していたのであった。

「ワンダーウォール」「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」は様々な世代や趣味嗜好の人たちにも受け入れやすいバラードだったこともあって、オアシスの代表曲のような扱いを受けるようになった。その分、「サム・マイト・セイ」の印象が薄くなっているように感じなくもないのだが、ロック・バンドとしてのオアシスを考えるならば、「サム・マイト・セイ」こそがこの時点でのオアシスの真骨頂というような気がしないでもなく、ノエル・ギャラガーも当時、そのようなことを言っていたような気がする。この当時のオアシスの人気の秘訣として、とにかく楽曲の良さやリアム・ギャラガーのボーカル、カリスマ性やインタヴューにおける兄弟げんかの面白さなどが挙げられるのだが、その根底にあるピジティヴィティーというのもひじょうに大きかったような気がする。3枚目のシングルとしてリリースされ、初のトップ10ヒットとなった「リヴ・フォーエヴァー」などはその典型なのだが、「サム・マイト・セイ」においても「we will find a brighter day」というフレーズに象徴されるように、その感覚は漲っている。

個人的にこの頃、付き合っていた人と一緒に暮らすための部屋に引越し、その週に「サム・マイト・セイ」は発売されていたので、片付けも後回しにして新宿まで買いにいった記憶がある。しかし、買ったのが新宿ルミネにあった頃のタワーレコードだったか、西新宿のラフ・トレード・ショップだったかまではよく覚えていない。帰宅し、急いでCDプレイヤーで聴いたのだが、これぞ待ちに待っていた音楽性だと心でガッツポーズをキメまくっていた。そして、これこそがオアシスにとって初のシングル・チャート1位に相応しいのではないかと、完全に納得していたのであった。「モーニング・グローリー」で「ワンダーウォール」や「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」を初めて聴いた時には、シングルでもないのにクオリティーが高すぎではないかと思ったのだが、案の定、後に大ヒットしたのであった。ザ・ヴァーブのリチャード・アシュクロフトのことを歌ったという、「キャスト・ノー・シャドウ」もかなり好きだった。

それはそうとして、「サム・マイト・セイ」のジャケットアートワークは写真家のブライアン・キャノンによるものなのだが、ノエル・ギャラガーからは歌詞の内容を反映させてほしいと依頼されていたようだ。たとえば、「Standing at the station. In need of education. In the rain」と歌われていることから、撮影場所にはもう使われていない駅が選ばれたりしていた。モデルは使わず、友人や両親が写っているらしく、たとえば「The sink is full of fish」という歌詞にちなんで、たくさんの魚を載せた荷車のようなものを押しているのは、ブライアン・キャノンの実の父である。

ミュージック・ビデオの撮影が予定されていたのだが、当日、現場にリアム・ギャラガーが現れなかったために中止され、仕方がないので「シガレッツ&アルコール」「スーパーソニック」「ホワットエヴァー」などのビデオのために撮影された映像を組み合わせて、なんとか仕上げることができたようだ。

オアシスのシングルといえばカップリング曲にも優れているものが多いことで定評があり、それらを収録したコンピレーション・アルバム「ザ・マスタープラン」は、もしかすると「オアシス」「モーニング・グローリー」と同じぐらい重要なのではないか、というような気もする。「サム・マイト・セイ」のCDシングルには「トーク・トゥナイト」「アクイース」「ヘッドシュリンカー」と3曲のカップリング曲が収録されているのだが、特に「トーク・トゥナイト」「アクイース」は人気が高い。「アクイース」については、クリエイション・レコーズの社長であるアラン・マッギーが「サム・マイト・セイ」との両A面で発売してはどうかと提案したりもしていたようなのだが、「サム・マイト・セイ」に自信があったノエル・ギャラガーがこれを拒否したといわれている。これにはアラン・マッギーが「サム・マイト・セイ」ではなく「アクイース」をシングルとしてリリースするようにノエル・ギャラガーを説得しようとしたが却下された、という説も存在するようである。

「アクイース」はリアム・ギャラガーのリード・ボーカルではじまり、サビになるとノエル・ギャラガーががメインで歌うのだが、その歌詞というのが「Because we need each other. We believe in one another」、つまり、われわれはお互いを必要としていて、信じ合っているというようなものなのだが、これはノエルとリアムの兄弟の絆について歌われているのではないかと、誤解されがちである。そして、確かにそう聴こえなくもないし、その方が独特のエモさ的なものが感じられるのも事実である。しかし、これについてはノエル・ギャラガーによって明確に否定されていて、広義における友情について歌ったものだとされている。

ファンの間でもひじょうに人気が高かったこともあり、1998年にコンピレーション・アルバム「ザ・マスタープラン」がリリースされた時にはアメリカのリスナー向けにプロモーション用のシングルも制作され、ビルボードのモダン・ロック・トラックス・チャートにランクインしている。ビデオクリップも後に制作されるのだが、これにはオアシスではなくよく分からない日本人のバンドが出演していて、撮影されている場所も渋谷などであり、日本のリスナーには味わい深いものになっている。先に制作されていたR.E.M.「クラッシュ・ウィズ・アイライナー」のビデオがやはり同じようなパターンであり、これにインスパイアされた可能性も考えられる。ちなみにタイトルの「アクイース」とは、「黙認」というような意味である。

「トーク・トゥナイト」はノエル・ギャラガーのリードボーカルによるアコースティックなバラードだが、この曲は1994年の秋、アメリカでの実体験がテーマになっている。ロサンゼルスのライブの後、ノエル・ギャラガーは誰にも告げずに姿を消して、現場は大パニックになっていたというのだが、この時にはライブが思うようにいかなかったり弟のリアムとけんかをしたり、ホームシックにかかっていたりといろいろあって、バンドを辞めたいと思っていたという。それで、サンフランシスコで出会った女性に思いのたけを話した結果、やはりバンドに戻るべきだと説得されたのだという。この時のことが歌われていることには間違いがないのだが、この女性が誰なのかについてはいくつかの説があるようである。

サンフランシスコに住むメリッサ・リムという女性は「トーク・トゥナイト」で歌われているのは自分であると主張し、ノエル・ギャラガーと知り合ったのはライブの後で、歌詞に出てくるストロベリー・レモネードを好んで飲んでいたのだという。しかし、ノエル・ギャラガーはよく覚えていないというようなことを言っている。これ以外の説としては、ノエル・ギャラガーを発見したレーベルの社員が気晴らしのためにラスベガスに連れていき、そこで知り合った年上の女性とのことが歌われているというものである。その女性はオアシスのことを知らなかったようなのだが、ノエル・ギャラガーがミュージシャンのように見えることから興味を持って話しかけ、若い頃に熱中していたビートルズのことなど、音楽について語り合ったのだという。結論がノエル・ギャラガーはやはりバンドに戻るべきである、となった点についてはまったく同じである。