トレイシー・ウルマン「恋するトレイシー」

「恋するトレイシー」はイギリス出身の女優、コメディエンヌ、トレイシー・ウルマンが歌手としてリリースした2枚目のシングルで、デビューアルバム「恋するトレイシー」にも収録された。全英シングルチャートで最高2位、全米シングルチャートで最高8位のヒットを記録している。

60年代ガールズポップス的なキュートなレトロ感覚が、シンセポップ全盛だった当時としてはひじょうに新鮮であり、トレイシー・ウルマン自身のキャラクター性もあって大いにヒットした。

トレイシー・ウルマンはこの翌年にリリースした自身2作目のアルバム「ハ〜イ! トレイシー」を最後に歌手としての活動を辞めてしまうため、ポップミュージック史上においては「恋するトレイシー」をはじめとするいくつかのヒット曲でのみ知られているのだが、元々が女優でコメディエンヌであり、これ以降に「トレイシー・ウルマン・ショー」をはじめいくつもの冠番組をヒットさせたり、リヴァー・フェニックスやキアヌ・リーヴスらと共演したコメディ映画「殺したいほどアイ・ラブ・ユー」やウディ・アレン監督の映画「ブロードウェイと銃弾」「おいしい生活」への出演などで知られる。

「恋するトレイシー」のオリジナルタイトルは「They Don’t Know」で、カースティ・マッコールが1979年にリリースしたデビューシングルのカバーバージョンである。カースティ・マッコールによるオリジナルはイギリスのラジオでわりとよくかかっていて、ミュージックウィークのエアプレイチャートでは2位にまで上がったのだがレコードは売れず、通常盤の他にピクチャーディスクまで出したものの全英シングルチャートにはランクインしなかった。

この原因としては配給会社のストライキの影響でレコードが店頭に並ばなかったとか、所属していたスティッフレコードの社長であるデイヴ・ロビンソンがカースティ・マッコールのことをあまり良く思っていなく、長期契約を結びたくなかったため、宣伝に力を入れなかったりレコードをあまりプレスしなかったためだともいわれている。

トレイシー・ウルマンは12歳の頃に奨学金を得てバレエの学校に通いはじめ、舞台デビューを果たした後に、テレビの連続ドラマやコメディ番組にも出演することになった。BBCで放送された「スリー・オブ・ア・カインド」ではトーヤ、バナナラマ、ジェニファー・ウォーンズといったアーティストたちのパロディで歌を歌うこともあった。

スティッフレコードの社長、デイヴ・ロビンソンの妻であるローズマリーとトレイシー・ウルマンは美容室で偶然に出会い、それがきっかけでレコードを出すことが決まった。デビューシングルの「涙のブレイクアウェイ」は全英シングルチャートで最高4位のヒットを記録した。

続く2枚目のシングルに選ばれたのが、かつてスティッフレコードからリリースしたもののヒットしなかったカースティ・マッコール「ゼイ・ドント・ノウ」であった。

カースティ・マッコールはロバータ・フラック「愛は面影の中に」の作者として知られるイーワン・マッコールの娘で、ドラッグ・アディックスというバンドのメンバーとして活動していた頃に、スティッフレコードに制作費を出してもらってデモ音源をレコーディングした。レーベルはこのデモテープを気に入っていなかったのだが、カースティ・マッコールがバンドを脱退した後にソロアーティストとして契約した。

レーベルから曲のストックについて聞かれたときにたくさんあると答えたものの、実際にはまったくなく、そのときに書いたのが「ゼイ・ドント・ノウ」であった。カースティ・マッコール自身のボーカルをオーバーダビングすることにより、多層的なコーラスを実現しているのだが、これには幼い頃に兄が持っていたビーチ・ボーイズ「グッド・バイブレーション」のシングルを聴いて感激したときの影響が反映しているという。

歌詞の内容は恋人同士である二人の関係について周りの人たちは色々なことを言ってくるのだが、あの人たちは私たちのことを何も分かってはいないのだから、耳を貸す必要なんてまったくない、というようなものである。

トレイシー・ウルマンのバージョンはオリジナルのサウンドをさらにゴージャスにしたようなサウンドが特徴的であり、個性的なボーカルともマッチしているのだが、3コーラス目に入る前の「ベイビー」という高音のボーカルだけはカースティ・マッコールのボーカルが採用されている。

「恋するトレイシー」のミュージックビデオにはポール・マッカートニーがカメオ出演しているのだが、これは自身が主演し、脚本も書いた映画「ヤァ!ブロードウェイ」にトレイシー・ウルマンが出演したことによって実現したようである。

全英シングルチャートではもう少しで1位になれるかもしれなかったのだが、この年の年間シングルチャートでも1位に輝いたカルチャー・クラブ「カーマは気まぐれ」があまりにも強すぎた。

この曲の作者であるカースティ・マッコールはシンガーソングライターとして知られているのだが、最もヒットした3曲といえば、ビリー・ブラッグ「ア・ニュー・イングランド」、ザ・キンクス「デイズ」のカバーバージョンとザ・ポーグスと共演した「ニューヨークの夢」であり、いずれも他のアーティストによって書かれた楽曲である。

カースティ・マッコールは2000年の暮れにボート事故によって亡くなってしまうのだが、追悼コンサートではトレイシー・ウルマンが久々にこの曲を歌った。

日本では80年代後半にユーロビート歌謡で人気があった女性デュオ、Babeがデビューシングル「Give Me Up」のB面で「THEY DON’T KNOW〜悲しみは朝の雫のように〜」としてカバーしている。