ザ・ヴァーヴ「アーバン・ヒムス」について。

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ザ・ヴァーヴの3作目のアルバム「アーバン・ヒムス」が発売されたのは1997年9月29日で、大ヒットした「ビタースウィート・シンフォニー」「ドラッグス・ドント・ワーク」を収録しているということもあり、全英アルバム・チャートでオアシス「ビィ・ヒア・ナウ」に替わって初登場1位に輝いた。その後にシングル・カットされた「ラッキー・マン」「ソネット」など、インディー・ロックやブリットポップから派生しているのだが、メインストリームの大人にも楽しめる本格的なポップスとして優れている上に、アルバムに収録された他の楽曲ではよりサイケデリックでスケールの大きい楽曲があったりで、トータルとして約76分とひじょうに長いにもかかわらず、充実した作品となっている。

当時、ものすごく売れたのだが、今日においてもその価値がまったく失われることがない、真にモダン・クラシックと呼ぶに相応しいアルバムではないかと思うのである。とはいえ、「ビタースウィート・シンフォニー」「ドラッグス・ドント・ワーク」などの印象はあまりにも強く、これらはいずれも素晴らしい楽曲ではあるのだが、当時からいままでの間にあまりにも聴きすぎてしまった、というように感じている人達も少なくはないのではないか。それで、「アーバン・ヒムス」もそれほど積極的には通して聴いていなかったりもするのだが、改めて聴いてみるとこんなにも素晴らしいアルバムだったのかと驚かされたりもする。当時も結構、聴いていたつもりだったのだが、まったく聴き切れていなかったなという感じである。

さて、このザ・ヴァーヴなのだが、元々は冠詞の「ザ」が付かないヴァーヴとして結成されたのだが、レコード・レーベルのヴァーヴからクレームがついて、ザ・ヴァーヴになったのであった。1992年にシングル「オール・イン・マインド」がインディー・チャートで1位になったりして注目されるのだが、「NME」はデビューしたばかりのスウェードと、クリエイション・レコーズ、期待の新人、アドラブルとこのヴァーヴとでネオ・グラムなどとまとめようとしたが、これはほとんど広まらなかった。ザ・ヴァーヴはサイケデリックな音楽性で高評価を得るのだが、それほどポップでキャッチーではなかったため、一般大衆にはあまり広まらず、ボーカリストのリチャード・アシュクロフトはその言動などからマッド・リチャードと呼ばれたりもした。

その後、オアシスやブラー、パルプ、スウェードなどを中心とするブリットポップがムーヴメントとして盛り上がり、その真っ只中の1995年にザ・ヴァーヴはアルバム「ア・ノーザン・ソウル」をリリースする。より分かりやすくなった曲などもあり、ブリットポップと共通するところもあったが、それほどものすごく売れ切るというところまでいかず、解散を発表する。その後、ギタリストのニック・マッケイブ以外のメンバーが再集結し、新たに以前からの友人だったサイモン・トングを迎えて活動を再開する。しかし、やはりニック・マッケイブの存在は必要不可欠だということになり、再度、加入して5人組バンドとしてはじめてリリースしたアルバムが、この「アーバン・ヒムス」であった。

それまでに一度は完成したように思われたのだが、やはり何かが決定的に足りないと感じられ、ボツにしたりとかそういうことがあった末のこのアルバムである。ちなみにブリットポップは1996年の夏に行われたオアシスのネブワース公演がピークだったともいわれるが、その後、ブラーは1997年のはじめにペイヴメントなどアメリカのインディー・ロックから影響を受けた「ブラー」をリリース、ヒットもしたし評価も高かった。ブリットポップの享楽的な側面は失われ、ひじょうにダウナーな雰囲気が漂っていた。しかし、これが時代の気分でもあったのかもしれない。その後、レディオヘッド「OKコンピューター」、スピリチュアライズド「宇宙遊泳」と、ダウナーなアルバムが高評価を得る。オアシスは待望のニュー・アルバム「ビィ・ヒア・ナウ」をリリースし、やはりものすごく売れるのだが、評価は芳しくはなかった。良い曲もいくつかは収録されているのだが、全体的にクオリティー・コントロール不足の印象は拭えず、ただ音がでかくて長いだけ、というような感想も少なくなかったような気がする。

そのタイミングで「アーバン・ヒムス」はリリースされたのだが、それ以前に「ビタースウィート・シンフォニー」はローリング・ストーンズ「ラスト・タイム」のオーケストラ・バージョンを引用した美しくも壮大で、かつ様々な立場の人々に訴えかけるものがある楽曲で、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。それまでのザ・ヴァーヴにとって、全英シングル・チャートでの最高位は「ヒストリー」での24位だったので、これは大躍進だったといえる。リチャード・アシュクロフトがいろいろな人達にぶつかりながら、気にせず歩いていくミュージックビデオもひじょうに印象的であった。続いて秋には「ドラッグス・ドント・ワーク」がアルバムからの先行シングルとしてリリースされるのだが、そのタイミングで多くのイギリス国民から愛されたダイアナ元皇太子妃が交通事故で亡くなるという悲しい事件が起こり、このバラードは当時の国民感情にひじょうにフィットしてもいたのだという。そして、全英シングル・チャートで1位に輝いた。

こういったお膳立てがあったので、当然のように売れたわけだが、それを差し引いても長く深く愛され続けているアルバムという印象が強く、確かに「ビタースウィート・シンフォニー」「ドラッグス・ドント・ワーク」という名曲を収録しているのだから、それも分かるという気もしていたのだが、まったくそれだけではあるはずがなく、よりオーセンティックになったとはいえ、やはりマッド・リチャード性のようなものが残存していて、ひじょうに極端で大規模な志を持った音楽も展開されている。それが現時点においてエヴァーグリーンかつクールである、というところがまたとてもすごいのだが、この後、やはり解散したり再結成したりしているという経緯からも、このバンドというのはその瞬間において常に最高を目指しているのであり、だからこそ「アーバン・ヒムス」のような歴史的に素晴らしいアルバムもつくってしまえたのだな、と感じたりもするのである。

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