ザ・ヴァーヴ「ドラッグス・ドント・ワーク」について。
1997年9月13日付の全英シングル・チャートを見てみると、ザ・ヴァーヴの「ドラッグス・ドント・ワーク」が初登場で1位に輝いている。この前の週までは、ウィル・スミスの「メン・イン・ブラック」が1位だった。この夏に大ヒットした映画の主題歌である。ウィル・スミスはこの映画に主演しながら主題歌もヒットさせていたわけだが、「サマータイム」のヒットで知られるDJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスを離れて、ソロ・アーティストとして最初のシングルでもあった。この曲は1982年リリースのディスコ・ヒット、パトリース・ラッシェン「フォーゲット・ミー・ノッツ(忘れな草)」をサンプリングしていたが、この同じ曲をこの前の年に全英シングル・チャートで1位を記録したジョージ・マイケル「ファストラヴ」もサンプリングしていた。
さて、このザ・ヴァーブだが1990年にイングランド北部のウィガンで結成、1992年にデビュー・シングル「オール・イン・マインド」がリリースされた。この曲は全英シングル・チャートにランクインしていないのだが、インディー・チャートでは1位になっていたようだ。当時、フジテレビで金曜の深夜に放送されていた「BEAT UK」で見た覚えがある。その後、イギリスの音楽週刊紙「NME」や「メロディー・メイカー」は「ザ・ドラウナーズ」でデビューしたスウェードを大きく取り上げることになるのだが、「NME」はザ・ヴァーヴとスウェードに加え、クリエイション・レコーズ期待のニュー・バンド、アドラブルの3組をニュー・グラムなどと称して紹介していたが、これはまったく浸透しなかった。
ちなみに、いま流れでバンド名を「ザ・ヴァーヴ」と表記したのだが、この当時はまだ冠詞の「ザ」が付いていなくて、「ヴァーヴ」が正式名称であった。ジャズのレコードなどをたくさん出しているレーベルのヴァーヴからクレームが付いて、仕方なく「ザ」を付けたのだったと思う。そういえばスウェードもアメリカに同じ名前の女性ジャズ・シンガーがいるとかで、アメリカではしばらく「ザ・ロンドン・スウェード」という表記だったはずである。
「シーズ・ア・スーパースター」「グラヴィティー・グレイヴ」とシングルはいずれもインディー・チャートで1位を記録し、全英シングル・チャーでもそれぞれ66位と78位にランクインしている。音楽的にはサイケデリック・ロック色を強めていき、ボーカリストのリチャード・アシュクロフトはインタヴューでのユニークな言動から「マッド・リチャード」などと呼ばれるようになっていく。デビュー・アルバム「・ストーム・イン・ヘヴン」がリリースされた1993年のインタヴューでは、インディー音楽が嫌いで、ファンカデリック、カン、スライ・ストーン、ニール・ヤング、ローリング・ストーンズ、ジャズなどグレイトな音楽に入れ込んでいると語っていた。アルバムの評価は高く、全英アルバム・チャートでの最高位は27位であった。
この年にはスウェードのデビュー・アルバムが全英アルバム・チャートで初登場1位、ブラーがデフォルメしたイギリス性のようなものをコンセプトとしたユニークなアルバム「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」で復活、レディオヘッド「クリープ」がアメリカのカレッジ・ラジオでのヒットを逆輸入するようなかたちで再リリースされ、全英シングル・チャートでトップ10入りなど、イギリスのインディー・ロックが盛り上がりかけている雰囲気があった。この感じを見事にとらえていたのが「SELECT」という雑誌のブリットポップ特集号で、スウェードのブレット・アンダーソンがイギリス国旗をバックにセクシーなポーズを取っている表紙には、「Yanks go home!」の文字が踊っていた。この頃のザ・ヴァーヴはまだデビュー前だったオアシスと同じライブに出演したり、同じレーベルに所属していたスマッシング・パンプキンズのヨーロッパ・ツアーでオープニング・アクトを務めたりもしていた。
オアシスがデビューしてブラーが「パークライフ」をリリースした1994年にブリットポップは一気に盛り上がりを見せるのだが、ザ・ヴァーヴはその翌年に、サイケデリック・ロック色が弱まり、よりブリットポップ的になったといえる2作目のアルバム「ア・ノーザン・ソウル」をリリースした。このレコーディング中にはドラッグの影響も受けた乱痴気騒ぎが騒ぎが繰り広げられていたという。「ドラッグス・ドント・ワーク」はこのような最中で書かれたとういうことなのだが、「ア・ノーザン・ソウル」には収録されなかった。ドラッグは効かない、服用すればさらに悪くなる、だけどあなたにはまた会えるような気がする、というように歌われるこの曲について、リチャード・アシュクロフトは当時の「SELECT」のインタヴューですでに語っている。それによると、やはりこれはドラッグを服用することについての曲だということになるのだが、一方でリチャード・アシュクロフトが11歳の頃に経験した父の死をテーマにしているという説もあったようだ。
「ア・ノーザン・ソウル」は全英アルバム・チャートで最高13位を記録し、ザ・ヴァーヴはその後に解散するのだが、そのすぐ後にはニック・マッケイブ以外のメンバーで再結成されている。スウェードを脱退したバーナード・バトラーが一旦は加入するのだが、数日間で離脱したという。
1995年の夏といえばオアシスとブラーが同じ日にシングルをリリースしたことが「バトル・オブ・ブリットポップ」として話題になったが、ザ・ヴァーヴはオアシスと同じイングランド北部の出身でそもそも交流もあり、音楽性にもどちらかというと近いものがあった。この年にリリースされたオアシスのアルバム「モーニング・グローリー」に収録された「キャスト・ノー・シャドウ」はリチャード・アシュクロフトをモデルにした曲だといわれている。
ザ・ヴァーヴには結局、ニック・マッケイブも再加入し、1997年6月には約1年9ヶ月ぶりとなるシングル「ビタースウィート・シンフォニー」がリリースされる。これが全英シングル・チャートで最高2位の大ヒットを記録するのだが、ローリング・ストーンズ「ラスト・タイム」をオーケストラでカバーした音源をサンプリングしていたことにより、多額の著作権料を支払わなければいけないはめになる。この曲のミュージックビデオはリチャード・アシュクロフトが街路を多くの人々にぶつかることを気にせずに突き進んでいくという内容だったが、ひじょうにインパクトがあり、MTVでもヘヴィーローテーションされたという。
そして、次のシングルとなる「ドラッグス・ドント・ワーク」がリリースされたのは、この年の9月1日のことであった。その前日にあたる8月31日は日曜日だったが、早朝に報道されたニュースによって、イギリス国民は深い悲しみに沈むことになる。ダイアナ元皇太子妃がパリで交通事故に遭い、亡くなったというのだ。
ダイアナは1981年にイギリスのチャールズ皇太子と結婚、ウィリアム王子とヘンリー王子の母親となった。1986年の来日時には日本でもダイアナフィーバーと呼ばれるような現象が起こり、メディアでもかなり大きく取り上げられていた。その後、チャールズ皇太子の女性問題が浮上したことをきっかけに関係が悪化し、1992年には別居、1996年には離婚が成立していた。とはいえ、将来の国王の母親ということで注目を浴び続け、恋人と噂される男性とのプライベートを追う報道も過熱していた。パリでの交通事故は、ダイアナが恋人と噂される男性と一緒に乗っていた車をオートバイに乗ったマスコミが追跡し、これを振り切ろうとしたドライバーが運転を誤った結果、トンネルの壁に激突したものだという。この事件以降、パパラッチと呼ばれる過激なマスコミの報道姿勢に対する批判が強まったような印象がある。
ダイアナ元皇太子妃の死亡が確認されると、BBCは特別放送に切り替え、イギリス国家を流したという。ダイアナ元皇太子妃は人々との交流を大切にし、ボランティア活動を積極的に行っていたこともあり、国民からひじょうに人気があった。事件が報道されると、ケンジントン宮殿とバッキンガム宮殿には大勢の悲しみに暮れる人々が、花や贈りもの、カードなどを捧げるために訪れたという。
イギリス全体が喪に服している、そんな状況の中、ザ・ヴァーヴの「ドラッグス・ドント・ワーク」はリリースされた。作者であるリチャード・アシュクロフトが語ることによると、この曲はドラッグの服用について書かれたものだということなのだが、美しいストリングスも印象的なこのバラードは、当時のイギリス国民の感情に寄り添うようでもあったといわれている。9月13日付の全英シングル・チャートで初登場1位に輝いたことには、このような背景も影響していたのではないかと思われる。
9月6日に行われたダイアナ元皇太子妃の葬儀では、エルトン・ジョンが1974年にヒットさせた「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」が歌われた。発売当時の邦題は「風の中の火のように(孤独な歌手、ノーマ・ジーン)」で、マリリン・モンローに捧げられたものだったが、バーニー・トーピンによって歌詞が書きかえられ、ダイアナ元皇太子妃に対する追悼曲となった。「キャンドル・イン・ザ・ウィンド~ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ」という邦題もついたこの曲は、9月20日付の全英シングル・チャートにおいて「ドラッグス・ドント・ワーク」に替わって初登場1位に輝いたのみならず、世界的な大ヒットを記録した。
全英アルバム・チャートではオアシスの3作目のアルバム「ビィ・ヒア・ナウ」が1位を続けていて、3位にはレディオヘッド「OKコンピューター」がランクインしていた。この間、ジェネシスやマライア・キャリーがニュー・アルバムをリリースするものの、「ビィ・ヒア・ナウ」が強すぎたために、最高2位に終わっている。そして、9月27日付ではオアシス一派的な印象もあったオーシャン・カラー・シーンの「マーチン・オールレディ」が初登場1位を記録するのだが、翌週には「ビィ・ヒア・ナウ」が抜き返し、さらにその翌週には「ビタースウィート・シンフォニー」「ドラッグス・ドント・ワーク」も収録したザ・ヴァーヴのアルバム「アーバン・ヒムス」が初登場1位に輝いた。これが5週間続くわけだが、この間ずっと全英アルバム・チャートではブリットポップのアルバムしか1位になっていない。ジャンルとしてはすでにピークを過ぎていたとはいえ、まだまだ人気があったのである。ちなみに、11月15日付の全英アルバム・チャートにおいて、「アーバン・ヒムス」に替わって1位に初登場したのはスパイス・ガールズの「スパイスワールド」であった。