The 1975「ネット上の人間関係についての簡単な調査」【Album Review】

イギリスのオルタナティヴ・ロック・バンド、The 1975「ネット上の人間関係についての簡単な調査」がリリースされた。イギリスでは2013年のデビュー・アルバム「The 1975」、2016年の「君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに気がついていないから」と、2作続けて全英アルバム・チャートで1位を記録した。前作についてはアメリカでもアルバム・チャートの1位になっている。前作のやたらと長いタイトルだがオリジナルタイトルのほぼ直訳で、つまりオリジナルの時点ですでに長い。今回も「ネット上の人間関係についての簡単な調査」とわりと長いが、オリジナルタイトルが「A Brief Inquiry Into Online Relationship」なので、ほぼ直訳である。なお、The 1975は次のアルバムを2019年の5月にリリースすることがすでに決定しているが、そのタイトルは「Notes On A Conditional Foam」だということである。

ちなみにこのThe 1975というバンド名についてだが、1975年になにかこだわりがあって付けられたのだろうかと思ったのだが、ビート詩人のジャック・ケルアックの本の最後に「1975年6月1日」と書かれていたのから取られたらしい。ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズといったビートニクスが活躍したのは1950年代から1960年代にかけてだったが、1980年代にもわりと人気があり、私は佐野元春がインタビューなどで言及していたことによって、その存在を知った。The 1975のメンバーの誕生日は調べても分からなかったのだが、「ギヴ・ユアセルフ・ア・トライ」の歌詞に自分が29歳だと取れるような箇所があるので、それぐらいなのかもしれない。また、バンド名の読み方は普通に「ザ・ナインティーンセヴンティーファイヴ」である。

ドラムス、ベース、ギター、ヴォーカルの4人組バンドである。出身地はイギリスのマンチェスター、ジョイ・ディヴィジョン/ニュー・オーダー、ザ・スミス、ストーン・ローゼズ、オアシスをはじめ、ポップ・ミュージック史に偉大なる足跡を残した数々のバンドと同じであり、その系譜に連なるのか、などとは実は思っていなかった。ポピュラー・ミュージックの社会に対する影響力がすでに以前のようではないのに加え、こういった編成のバンドによる音楽がメインストリームになることは、これからはなかなか厳しいのではないか、そのようなことを思っていた。オルタナティヴ・ロックの人気バンドたちもポップスに寄せた音づくりをしていて、このThe 1975についても前作「君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに気がついていないから」は曲のタイプがバラエティーにとんでいる上に、わりとポップスに寄せたアプローチが取られているように思えた。それでもこの時代にこういったバンドがポップスのフィールドにも食い入ろうという試みが見られるのは、ブリットポップが大好きだった私としては、好ましいと思っていた。

今回、このアルバムの前に何枚かのシングルがリリースされていて、内容も良かったのでアルバムにも期待していたのだが、聴いてみた感想としては、それを大きく上回っていた。

良いと思った点を挙げていくと、まず現在の社会情勢を踏まえた上でつくられている音楽だということだ。ご存知のように現在の社会にはファシズム的な空気が蔓延し、先進国のいくつかのトップは無知な差別主義者だ。人々はそれに慣らされて衆愚化するか、虚無状態に陥り、中には逆張りでファシズムやレイシズムに加担する者まで現れる。カニエ・ウェストがドナルド・トランプについて好意的なツイートをしたのはその一例だが、それに対するドナルド・トランプの返信「ありがとう、カニエ、すごくクールだぜ!」が、「ラヴ・イット・イフ・ウィ・メイク・イット」の歌詞には引用されている。

直接的なドナルド・トランプに対する批判は歌詞には見られない。しかし、フレーズの羅列や組み合わせ、その順序によって、メッセージは自然に立ち現れくる。また、この曲ではこれもまたドナルド・トランプが実際に言った「ビッチのように彼女を口説いた」という女性蔑視的な発言も引用されている。この曲の歌詞には現在の世界を取り巻く様々な問題への言及が見られるが、音源のリリースからしばらくして公開されたミュージック・ヴィデオを観ると、そのメッセージはより明白である。このフレーズの箇所では、あの男の顔が映し出される。

歌いだしは「車の中でファックしてヘロインを打つ、おもしろ半分で問題発言をする」というもので、その後、「感情なんてクソ喰らえ!」「真実なんてただの噂」と、現代の様々な問題について言及された後、「現代は私たちを見放した」と続く。

ミレニアル世代とは世紀の変わり目、2000年代のはじめに生まれた世代ではなく、その頃に大人になった世代のことである。インターネット社会や金融危機の影響を強く受けている世代だといわれているようだ。The 1975やそのメインとなるファン層もまた、この世代だと思われる。このアルバムから最初に発表された先行トラック「ギヴ・ユアセルフ・ア・トライ」には、「ベビーブーマーが言うところのミレニアル世代」というフレーズもある。ここには世代別によるレッテル貼り、ステレオタイプ化に対する乾いた皮肉が感じられる。

ベビーブーマーの次はジェネレーションX、その世代に支持されたアルバムとして印象深いのがレディオヘッドの「OKコンピューター」であり、テクノロジーと人間との関係をもテーマにしていたことによって、「ネット上の人間関係についての簡単な調査」と共通する部分も感じられる。リリースを前にして音源が流出したこのアルバムは、早くもミレニアル世代の「OKコンピューター」などという評も見かける。

しかし、The 1975のこのアルバムは、現実的で深刻な問題を扱っているにもかかわらず、そこにX世代に支持されたオルタナティヴ・ロックに見られた陰鬱さが感じられない。それはやはり「ラヴ・イット・イフ・ウィ・メイド・イット」において顕著であり、「現代は私たちを見放した」としても、そこで嘆き節になるのではなく、次には力強く「ラヴ・イット・イフ・ウィ・メイド・イット」、つまり自分たちで変えられたら最高じゃないか、と歌われるのだ。

また、この曲は昨年、21歳の若さで亡くなったラッパー、リル・ピープに追悼の意を込めてもいて、その詩はストリートで生き続けている、というようなことが歌われている。

The 1975の魅力はその卓越したポップ・センスにあり、様々なジャンルの音楽からの影響を消化し、バラエティにとんだ楽曲を生み出している。たとえばブリットポップのバンドでいうとオアシスよりもブラーに近いような印象を持っていた。このアルバムに先がけてまず初めに発表されたのが先ほども言及した「ギヴ・ユアセルフ・ア・トライ」で、これなどはやはりマンチェスター出身のジョイ・ディヴィジョンを思わせるニュー・ウェイヴ的な楽曲である。若いリスナーへのアドバイスでもあるようなこの曲は、ヴォーカリストでソングライターのマット・ヒーリーが自らの薬物依存の体験をふまえ、なにかにトライしてみようとポジティヴなメッセージを送っている。歌詞には16歳で自らの命を絶った少女が登場するが、これは実在のファンのことだという。

スーツを着たメンバーが演奏する姿が収められたミュージック・ヴィデオを観ると、スタイリッシュなニュー・ウェイヴ・バンドという感じでもあるのだが、実際にはものすごくへヴィーな内容を歌っている。それでいて良い意味での軽さというか、ポップ感覚があるのがとても魅力的である。

この曲はアルバムではオープニング・トラックの「The 1975」の次に収録されているが、これはピアノの演奏がはじまって少しするとオートチューンがかかったヴォーカルが聴こえ、このアルバムがひじょうにエクレクティック(折衷的)な作品であることを予感させる。

3局目にはやはり先行トラックとしてすでに公開されていた「トゥータイムトゥータイムトゥータイム」が収録されている。ヴァンパイア・ウィークエンド、さらにはポール・サイモンの「グレイスランド」をも思わせるようなアフロビート的なリズムのような気もするが、メロディーはひじょうにキャッチーである。歌詞の内容はカップルの痴話喧嘩的なあるあるネタとでもいうものであり、他の女性と浮気しているのではないかという嫌疑がかけられ、2回電話しただけというところからトゥータイムなのだが、これには英語で裏切る、騙す、浮気をするというような意味もあり、ダブルミーニングになっているのである。ヴィデオには様々な人種、性別の人々が登場し、楽しそうにこの曲を踊る。ここにはバンドの多様性を肯定しようというアティテュードが見られ、好感が持てる。

続く「ハウ・トゥ・ドロー/ペトリコール」だが、環境音楽的というか、まるで無印良品の店内ででもかかっていそうなインストゥルメンタルが続いたかと思うと、オートチューンがかかったヴォーカルが入り、また少しすると今度はテクノ風になる。私のアドバイスを真に受けるなと歌った後で、未来の自分に手紙を書こうとか、インターネットで時間をムダにしないように、さらには本当のことは伝わるが、嘘をついていては相手にされない、などと続く。

その前には、なにかを手に入れて、それを新しくする、なにかを14回やってみる、愛する人に対してと同じように自分自身を愛することなどについて歌われていた。

アルバムではこの後に先ほど言及した「ラヴ・イット・イフ・ウィ・メイド・イット」が続き、次の「ビー・マイ・ミステイク」はアコースティックなバラードである。アレンジがシンプルに聴こえることもあり、メロディーの良さがよく分かる。孤独を感じ、愛情と欲望の間で揺れ動く心境がヴィヴィッドに綴られている。「君は僕を固くするが、彼女は僕を弱くさせる」というフレーズなどは本当に見事で、アークティック・モンキーズのアレックス・ターナーにも通じる才能を感じる。

次の「シンセアリー・イズ・スケアリー」はアルバムに先がけ配信されていて、最も最近にミュージック・ヴィデオがつくられた曲でもある。歌詞は恋人と愛し続けることの難しさについて歌われていて、トッド・ラングレンの曲名を思わせるフレーズがあったり、「皮肉はまあいいと思うけれど、文化は責められるべきであり、君は痛みを最もポストモダンな方法で隠す」などという言い回しもたまらない。サウンドはジャジーなR&Bを思わせるところがあり、途中でゴスペル風のコーラスも入る。ミュージック・ヴィデオはミュージカル風であり、これも最高に楽しい。

「アイ・ライク・アメリカ・アンド・アメリカ・ライクス・ミー」においては銃社会に対するプロテストと取れるところもあり、死にたくはない、信じることを言っていこうというようなメッセージもも込められているようだ。

「マン・フー・マリード・ロボット/ラヴ・テーマ」、つまり「ロボットと結婚した男/愛のテーマ」は、クラシック音楽のような曲をバックに、インターネットを伴侶として生きた孤独な男の物語が語られる。そして、その声はスマートフォンのAIアシスタント、あるいは読み上げシステムのようにも聴こえる。ユーモアを伴うインタールード的な作品ではあるが、そこには実は笑い話ではないというような深刻さを感じなくもない。

この後もバラエティーにとんだ楽曲が続くが、中でもひじょうにポップな「イッツ・ノット・リヴィング(イフ・イッツ・ノット・ウィズ・ユー)」は、あなた無しでは生きていけないということで、純粋なラヴ・ソングのようにも聴こえるが、実際にはドラッグ中毒の実体験に基づくもので、ここで歌われている「ユー」とはドラッグのことだということである。

「サラウンデッド・バイ・ヘッズ・アンド・ボディーズ」は広義でのネオ・アコースティックとかソフィスティ・ポップっぽさも感じさせる曲で、ドラッグ中毒の治療施設で出会ったアンジェラという女性について歌われているようだ。

「マイン」はジャズである。ソフィスティ・ポップよりもジャズで驚いてしまった。いまさらだが、曲順についてもひじょうに考え抜かれたであろうことがうかがえる。続く「アイ・クドゥント・ビー・モア・イン・ラヴ」はフィル・コリンズが歌ったとしてもまったく違和感がないAOR風のパワー・バラードで、ヴォーカルも実にエモーショナルである。フュージョン風のギター・ソロがまた1990年代初頭あたりのJ-WAVEを連想させたりもするのだが、ここにポストモダン的な衒いは感じられず、ただただ良い曲でありプロダクションである。

アルバムの最後に収録された「アイ・オルウェイス・ワナ・ダイ(サムタイムス)」にはブリットポップ、特にオアシスを感じる。「リヴ・フォーエヴァー」や「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」、あるいはザ・ヴァーヴの「ビタースウィート・シンフォニー」にも通じる、みんなのうたとなりうるポテンシャルを秘めた、壮大なバラードである。そして、この曲にはミレニアル世代にとってはテレビドラマ「glee/グリー」での印象が強いと思われる、ジャーニーの1981年のヒット曲「ドント・ストップ・ビリーヴィン」からの引用と思われるフレーズもある。

タイトルのいつも死にたい、時にはというフレーズが繰り返される。いつもと時にはとは矛盾する概念であり、これらが同じセンテンスに用いられていることに違和感を覚えるだろうか。基本的にはいつも死にたいが、それは時々である、という気分は、おそらくそれほど理解されにくいものではないこではないかと、特にこの時代においてはそう思う。

つまり状況は絶望的だが、それでもマトモにやとうとしてみる、という態度であり生きざま、すなわちロックだということである。

約60分間のアルバムには様々なタイプの15曲が収録されているが、とっ散らかっている印象を受けるかといえば、まったくそんなことはない。バンドのポップ・ミュージックに対する価値観に確固としたものがあるからではないか、という気がする。情報が溢れ、スキゾフレニックな時代である。絶望しながら、それでも希望を持つべく呪われている。このアルバムのエクレクティック(折衷的)さは、このような時代をサヴァイヴしようとした末に行き着いた叡智か、もしくは本能のように思える。きわめて現代的というか、現在的なポップ・アルバムだと思う。

たとえばX世代のような自己憐憫の時代には、それでもまだ期待があるゆえの甘えだったのかもしれない。世界は現在ほど酷くはなかったし、少なくともそう認識されてはいた。グランジ・ロックやレディオヘッドやエヴァンゲリオンの時代だ。

底が抜けている。処方箋はすでにヤケクソなポジティヴィティーぐらいしか無いのかもしれない。

「アイ・オルウェイス・ワナ・ダイ(サムタイムス)」においてマシュー・ヒーリーは歌う。もしも生き残ることができないのならば、ただトライしろと。

「ネット上の人間関係についての簡単な調査」は、現在の人類がかかえる問題と対峙し、その上でどのように生きていくべきかということをテーマにしたシリアスなロックであると共に、というかそうであるがゆえに必然的にたどり着いた、膨大な情報量を含んだ極上のポップ・アルバムでもある。The 1975はポップ・ミュージックの、そして、この時代の希望である。