The 500 Greatest Songs of All Time : 280-271

280. Teen Age Riot – Sonic Youth (1988)

ソニック・ユースのアルバム「デイドリーム・ネイション」からシングルカットされ、モダン・ロック・トラックス・チャートで最高20位を記録した。

1980年代にアメリカのオルタナティヴ・ロックシーンが盛り上がっているという話題を音楽雑誌などで見かけることがあったが、まだ全米シングル・チャートに影響を及ぼすような規模ではなかった。

そういったジャンルにおいて特にカリスマ視されていたのがニューヨーク出身のソニック・ユースであり、アナログレコードでは2枚組でリリースされた「デイドリーム・ネイション」は特に評価が高かった。

アルバムの1曲目に収録されたこの曲は、前衛的なタイプの楽曲も少なくはないソニック・ユースにしてはわりと分かりやすく、より幅広いリスナーにアピールしたのではないかと思われる。

タイトルがまずとても良いことに加え、ダイナソーJr.のJ・マスシスが大統領になったら、という内容もユニークである。

279. Block Rockin’ Beats – The Chemical Brothers

ケミカル・ブラザーズのアルバム「ディグ・ユア・オウン・ホール」からの先行シングルで、全英シングル・チャートではオアシスのノエル・ギャラガーをゲスト・ボーカルに迎えた「セッティング・サン」に続き、2曲目の1位に輝いた。

電子音楽の中でも特にヘヴィーなブレイクビーツを強調しているようなものが、ビッグ・ビートなどと呼ばれ、ごく一般的な音楽リスナーにも受けていたのだが、この曲はその典型例のようでもあってとても良い。

新宿のタカシマヤタイムズスクエアの確か12階にHMVが入っていて、調子に乗って「ディグ・ユア・オウン・ホール」のジャケットアートワークがプリントされたTシャツを買ったものの、サイズが思っていたよりも大きすぎてあまり着なかったのも良い思い出である。

278. What’s My Name – Snoop Doggy Dogg (1993)

スヌープ・ドギー・ドッグのデビュー・アルバム「ドギースタイル」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高8位を記録した。

ドクター・ドレーの「ザ・クロニック」に参加していたり、この曲もプロデュースされていたりと、並みの新人ラッパーではあり得ないほどの注目を集めていたのだが、それは殺人容疑で逮捕されたりというエピソードによってさらに増幅されていたような気がする。

ジョージ・クリントン「アトミック・ドッグ」サンプリングしていたりと、Pファンクからの影響がひじょうに強く感じられ、かなり過激な音楽なのだろうなと思って聴いてみたところ、意外とレイドバックした感じでなかなか良かった、というのが当時の感想であった。

277. Ziggy Stardust – David Bowie (1972)

デヴィッド・ボウイの最高傑作といわれることもあるアルバム「ジギー・スターダスト」の実質的なタイトルトラックだということができるのだろうか。アルバムのオリジナルタイトルはものすごく長く、当初は「屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群」なる邦題もつけられていたらしいからである。

それはそうとして、「ジギー・スターダスト」はコンセプトアルバムであり、異星から来たバイセクシャルのロックスターを主人公としている。当時、デヴィッド・ボウイは完全にこのキャラクターになり切っていたらしい。個人的にリアルタイムで体験するには遅すぎたことがひじょうに悔やまれるのだが、それでも純粋にポップスとしてたまらなくポップでセクシーで適度に軽いところなどがとても良い。

個人的には大学生だった頃に練馬から厚木まで軽自動車で通っていた男子が同じクラスにいて、よく乗せてもらっていたり、ケイト・ブッシュが好きな暗いニュー・ウェイヴ少女と3人で新宿で飲んだりしていたのだが、彼がデヴィッド・ボウイを信奉していたことが思い出される。

276. Rapture – Blondie (1980)

ブロンディのアルバム「オートアメリカン」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。「夢見るNO.1」に続き2曲連続1位で、かなり絶好調であった。

個人的にこの曲はリアルタイムで聴いているしシングルもおそらく旭川のミュージックショップ国原あたりで買っているのだが、当時は地方の中学生男子、しかも頭髪は校則により丸坊主であり、ブロンディのデビー・ハリーのことを完全にセクシーな存在として認識していた。

タイトルの「ラプチュアー」というのも悦楽とか絶頂とかそのようなニュアンスだと知って勝手に盛り上がっていたのだが、実は音楽ジャンルの「ラップ」ともかかっているわけである。当時はまだニューヨークで流行のサブカルチャーぐらいの認識であり、この曲はラップを取り入れた初めての全米NO.1ヒットらしい。

275. Psycho Killer – Talking Heads (1977)

トークング・ヘッズのデビュー・アルバム「サイコ・キラー’77」からシングルカットされ、初期を代表するヒット曲のようにいわれたりもしがちなのだが、全米シングル・チャートでの最高位は92位とそれほど高くない。

サイコパス的な猟奇殺人鬼をテーマにしたニュー・ウェイヴな楽曲だが、これをパロディー化した「サイコ・チキン」とかいう楽曲の方が当時の日本ではよく知られていたような気もしなくはない。

274. Firestarter – The Prodigy (1996)

プロディジーが1996年にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで1位に輝いた。後にアルバム「ファット・オブ・ザ・ランド」にも収録される。

90年代半ばのイギリスではブリットポップと呼ばれるインディー・ロックが大人気だったのだが、エレクトロニック・ミュージック、特にビッグ・ビートと呼ばれるブレイクビートを強調したものなどもひじょうによく売れていた。

プロディジーは90年代前半にはより匿名的な感じでヒット曲もたくさん出していたのだが、この頃になると明確にキャラクターを強く押し出してきて、分かりやすくなってくると同時にしっかり売れた。ミュージック・ビデオを見て子供が泣いたと、テレビ局に苦情が来たなどという微笑ましいエピソードもあったような気がする。

後に洋楽が充実しているカラオケ店のパセラで会社の同僚がこの曲を入れたのだが、実はほとんど盛り上がらないということを証明するだけになっていた。私はザ・ストロークス「ハード・トゥ・エクスプレイン」あたりを気持ちよく歌っていたような気がする。

273. Take On Me – a-ha (1984)

ノルウェー出身のシンセ・ポップバンド、a-haの大ヒット曲で、全米シングル・チャートで1位に輝いたが、全英シングル・チャートでは最高2位で、「シャイン・オン・TV」の方が1位に輝いている。

それはそうとして、とにかくキャッチーの極みであり、特にイントロのフレーズなどは、洋楽にそれほど興味がなさそうな、予備校で仲がよいグループの1人で、大宮からTAKA-Qのバーゲンで買った白いブルゾンを着て通っていたN田くんでさえ、水道橋の森永LOVEのスピーカーから流れるのに合わせて口ずさんでいたレベルである。

それでこの曲はアニメーションと実写をミックスしたミュージック・ビデオがひじょうにクオリティーが高いと当時、大好評だったことも思い出される。

最初にノルウェーでリリースされたのとは別バージョンが全世界的にはヒットしたやつであり、微妙にいろいろ違っていたりする。

森永LOVEのスパゲティーはけして美味しくはなかったのだが、なぜか忘れた頃に食べたくなるという何だか不思議な中毒性を有していたことが思い出される。

372. Caught Out There – Kelis (1999)

ケリスのデビュー・アルバム「カレイドスコープ」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートでは最高4位のヒットを記録したが、全米シングル・チャートでは最高54位とそれほどでもなかった。この少し前にオール・ダーティー・バスタード「ガット・ユア・マネー」に参加したのが、記念すべきレコードデビューであった。

「I hate you so much right now」というフレーズの繰り返しが何といっても印象的であり、フェミニストアンセム的にもインパクトが強い上に長持ちがするタイプの楽曲となっている。

ホモソーシャル的な文化や有害な男性性に対する異議申し立てとして機能するポップ・カルチャーにはひじょうに高い価値があると個人的には信じて疑わない者だが、これもまたそのうちの俄然強めな1曲だということができる。

271. Sheena Is a Punk Rocker – Ramones (1977)

ラモーンズが1977年5月にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで最高22位を記録した。邦題は「シーナはパンクロッカー」である。

音楽的にはパンク・ロックとビーチ・ボイーイズ的でもあるサーフ・ロックを掛け合わせたような、ひじょうにご機嫌なものになっている。

それで、ここで歌われている「シーナ」というのは一体誰なのかという話にもなってきたりはするのだが、どうやらシーナという名のジャングルの女王を描いたコミックブックが1940年代に出版されているらしく、それがモチーフになっているようである。