The 500 Greatest Songs of All Time : 180-171

180. Toxic – Britney Spears (2003)

ブリトニー・スピアーズのアルバム「イン・ザ・ゾーン」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高9位、全英シングル・チャートでは1位に輝いた。

キャッチーなダンスポップなのだが、バングラ的なストリングスやサーフ・ロック的なギターのフレーズなども入り、マイルドにセクシーでありながらとてもユニークな楽曲になっている。

ブリトニー・スピアーズが秘密諜報員を演じるミュージック・ビデオもとても良い。

179. Runaway – Kanye West feat. Pusha T (2000)

カニエ・ウェストのアルバム「マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高12位を記録した。

大学在学中にプロデュースしたジェイ・Z「Izzo (H.O.V.A.)」で注目され、ソロ・アーティストとしてデビューしてからも大絶賛されがちだったカニエ・ウェストだが、この頃には間違いなくポップ・ミュージック界で最も重要なアーティストというべき存在であった。収録アルバム「マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー」がピッチフォーク・メディアのレヴューにおいて、新作としてはひじょうに珍しい10点満点を獲得したことも話題になった。

とはいえ、前年のMTVビデオ・ミュージック・アワードにおいて、テイラー・スウィフトの受賞スピーチを泥酔状態で妨害したことが、激しく非難されたりもしていた。この曲は当時のそのような状況やプライベートでの人間関係などについての、ひじょうに個人的で内省的な熟考が反映しているように思える。その後の言動や行動はともかく、少なくともこれよりも少し後ぐらいまでのカニエ・ウェストがポップ・ミュージックに与えた影響についてはけして軽視することはできない。

178. The Drowners – Suede (1992)

スウェードのデビュー・シングルで、全英シングル・チャートで最高49位を記録した。

チャートの順位だけを見るとそれほど大きなヒットではまったくないのだが、当時、「NME」「メロディー・メイカー」といったイギリスのインディー・ロック系メディアでは大きく取り上げられ、翌年にはこの曲も収録したデビュー・アルバム「スウェード」が全英アルバム・チャートで初登場1位に輝いた。

ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の大ヒットによるアメリカのオルタナティヴ・ロックやグランジ・ロックのメインストリーム化という時代背景において、グラム・ロック的なスタイルやポップなエロティシズムがとても印象的であった。

そして、イギリスのインディー・ロックの逆襲は、数年後のブリットポップ・ムーヴメントに発展していく。

177. All the Young Dudes – Mott the Hoople (1972)

モット・ザ・フープルのアルバム「すべての若き野郎ども」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高3位を記録した。

ヒット曲をなかなか出すことができず、解散の危機を迎えてもいたモット・ザ・フープルにデヴィッド・ボウイが提供した曲で、グラム・ロックを代表する楽曲の1つともされがちである。

当時の世界を取り巻く様々な危機的状況をふまえた、メッセージをも実は含んでいたということである。

176. Motorcycle Emptiness – Manic Street Preachers (1991)

マニック・ストリート・プリーチャーズのデビュー・アルバム「ジェネレーション・テロリスト」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高17位を記録した。邦題は「享楽都市の孤独」である。

マッドチェスターやインディー・ダンスが主流の時代にパンク・ロック的な音楽性やイメージを打ち出していたり、様々な言動、行動などによって、ファン以外には本気にとらえられないようなところもあったのだが、ドラマティックで批評的でもあるこの曲によって評価を高めたようなところもある。

当時の東京や横浜で撮影されたミュージック・ビデオも、なかなか味わい深くてとても良い。

175. (I Can’t Get No) Satisfaction – The Rolling Stones (1965)

ローリング・ストーンンズが1965年にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで4週連続、全英シングル・チャートで2週連続1位に輝いた。一般的にはローリング・ストーンズで最も有名な曲とされがちで、ライヴでも長年にわたり定番曲となっている。

若者の不平不満というロックンロールらしいテーマを、当時の時代感覚をヴィヴィッドに反映させた上で打ち出した最高のポップソングである。

個人的にこの曲を初めて聴いたのは、「クイズドレミファドン」のイントロ当てクイズで沢田研二が一瞬で正解した後、少し流れた時であった。

154. I Want to Hold Your Hand – The Beatles (1963)

ビートルズが1963年11月にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで5週連続、全米シングル・チャートでは7週連続1位に輝いた。邦題は「抱きしめたい」である。

イギリスではすでに大人気だったのだが、アメリカではこの曲が最初のヒット曲であり、これをきっかけにブームが世界規模になっていったようだ。

ビートルズ以降の世界しか知らない世代にとってはなかなか想像することが難しいのだが、ビートルズの音楽は本当に衝撃的だったらしく、まったく斬新なコード進行をコーラスの力技で強引にまとめ上げているというような印象だったようだ。

173. Heartbreak Hotel – Elvis Presley (1956)

エルヴィス・プレスリーが1956年1月にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで7週連続1位に輝いた。

サン・レコードからRCAに移籍して最初のシングルとなったこの曲の大ヒットをきっかけに、エルヴィス・プレスリーは人気者となり、キング・オブ・ロックと呼ばれるに至るのだが、内容がけして明るくはないこの曲のヒットはあまり確信はされていなかったようである。

カントリー的なメロディーとブルース的なリズムとが合わさった音楽性は、その素晴らしいボーカルパフォーマンスも相まって大変な衝撃だったらしく、後にビートルズを結成するジョン・レノンも、この曲を初めてラジオで聴いた翌日にレコード店に駆け込むほどだったという。

172. Gigantic – Pixies (1988)

ピクシーズのデビュー・アルバム「サーファー・ローザ」に収録された曲で、後にバンドにとって最初のシングルとしてもリリースされるものの、特にヒットはしていない。しかし、代表曲としてひじょうに人気は高く、ライブではアンコールで演奏されることもある。

後にブリーダーズを結成するキム・ディールがリード・ボーカルを取り、強弱の落差を強調した構成なども特徴となっている。ニルヴァーナのカート・コバーンはピクシーズの音楽をかなり参考にしたということを認めている。

キム・ディールによるとこの曲は1986年公開の映画「ロンリー・ハート」にインスパイアされていて、異人種間の恋愛をテーマにしているということである。

アルバムはスティーヴ・アルビニ、シングルはギル・ノートンによってプロデュースされていて、メロディーなども少し異なっている。

171. Sunny Afternoon – The Kinks (1966)

キンクスが1966年6月にリリースしたシングルで、全英シングル・チャートで2週連続1位に輝いた。

夏をテーマにした名曲としても挙げられがちではあるのだが、スカッとした爽快感はほとんど無く、イギリスのミュージックホール調のサウンドに乗せて、税金の高さが愚痴られたりもしている。これは同じ年にリリースされたビートルズ「リボルバー」収録の「タックスマン」にも通じるテーマである。

初期のハードでヘヴィーな音楽性から、よりデフォルメしたイギリスらしさを強調するような方向性にシフトしていて、この辺りはブリットポップ直前のブラーなどにも強く影響を与えているように思える。