The 500 Greatest Songs of All Time : 140-131

140. London Calling – The Clash (1979)

ザ・クラッシュのアルバム「ロンドン・コーリング」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高11位を記録した。

アンセミックなサウンドにのせて世界の終わりを思わせもする黙示録的な内容が歌われているのだが、これにはジョー・ストラマーが当時読んでいたニュース記事の数々や婚約者との会話が影響しているようである。

テムズ川が氾濫するとロンドンの街は水中に沈んでしまいかねないという説や、この年に発生したスリーマイル島での原子力発電所事故、曲の終わりにはSOSのモールス信号のようなフレーズもあり、タイトルの「ロンドン・コーリング」はBBCが第二次世界大戦中に海外向け放送の最初にいっていた言葉に由来する。

個人的には洋楽といえばまだ全米ヒットソングや日本で流行っていたディスコポップスぐらいしかよく知らなかった中学生の頃、「ベストヒットUSA」でこの曲のビデオを見て、この暗さがイギリスらしさというものなのか、という印象を持った記憶がある。

139. California Dreamin’ – The Mamas & The Papas (1965)

ママス&パパスが1965年12月にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで最高4位を記録した。邦題は「夢のカリフォルニア」である。

カリフォルニア州出身のミシェル・フィリップがジョン・フィリップと結婚し、ニューヨークに住みはじめたのだが、あまりにも寒かったりホームシックになっていた頃につくられた楽曲である。

日本では1980年の夏にコダック・カラーフィルムのテレビCMに使われ、オリコン週間シングルランキングで最高13位を記録している。

ウォン・カーウァイ監督の香港映画「恋する惑星」(1994年)では、飲食店の店員役のフェイ・ウォンがラジカセでいつもこの曲をかけていた。

138. Hallelujah – Jeff Buckley (1994)

ジェフ・バックリィの唯一のスタジオ・アルバム「グレース」に収録されたレナード・コーエン作品のカバーで、リリースから14年後の2008年にオーディション番組「Xファクター」で優勝したアレクサンドラ・バークのバージョンが大ヒットしたのにともない、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。別々のアーティストによる同じ楽曲が全英シングル・チャートで1、2位を独占するのは、1957年にトニー・スティールとガイ・ミッチェルが「ブルースを唄おう」で記録して以来のことであった。

オリジナルはレナード・コーエンが1984年にリリースしたアルバム「哀しみのダンス」に収録されていたが、当初からそれほど人気があったわけではない。1991年にR.E.M.、ピクシーズをはじめオルタナティヴ・ロックのアーティストが多数参加したトリビュート・アルバム「僕たちレナード・コーエンの大ファンです。」が発売され、ジョン・ケイルがこの曲をカバーしていたのだが、ジェフ・バックリィが参考にしたのはこのバージョンである。

宗教的なモチーフを用いた歌詞が特徴的であり、レナード・コーエンはこの曲を完成させるのに約5年を要したという。アニメーション映画「シュレック」でも使われたルーファス・ウェインライトのバージョンも有名である。

137. Waterfalls – TLC (1994)

TLCのアルバム「クレイジーセクシークール」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートで最高4位を記録した。

後先のことを考えずに滝の流れに身をまかせるような態度は、不幸な結末を招きがちである、という真面目なメッセージが含まれている。具体的にはドラッグやカジュアル・セックスの危険性を説いていると解釈されている。

この曲のサウンドは90年代半ばあたりのある雰囲気を象徴しているようにも感じられ、個人的にはルミネ新宿2の6階にあった頃のタワーレコードで過ごす、日曜の午後の気分がよみがえってくる。

特殊効果を用いたミュージック・ビデオも印象的で、ウィーザー「バディ・ホリー」、グリーン・デイ「バスケット・ケース」などを抑えて、MTVビデオ・ミュージック・アワードの年間最優秀ビデオに選ばれている.

136. Say It Loud – I’m Black and I’m Proud – James Brown (1968)

ジェームス・ブラウンが1968年8月にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで最高10位、R&Bチャートでは6週連続1位を記録した。後にアルバム「ソウル・クリスマス」にも収録されている。

レイシズムに対抗し、人種としてのプライドを強く訴えた楽曲で、ジェームス・ブラウンと子供たちとのかけ合いが印象的である。エリック・B &ラキム、ビッグ・ダディ・ケイン、LL・クール・Jろいったヒップホップのアーティストが後にこの曲をサンプリングしたり、パブリック・エナミーのチャック・Dもこの曲に強い影響を受けたと語っていたりする。

135. I Will Survive – Gloria Gaynor (1978)

グロリア・ゲイナーのシングル「サブスティテュート」のB面としてリリースされたが、この曲の人気が高かったため途中からAB面を入れ替え、全米シングル・チャートや全英シングル・チャートで1位に輝いた。邦題は「恋のサバイバル」である。英語以外にも様々な言語でカバーされ、日本では布施明のバージョンがオリコン週間シングルランキングで最高13位、「ザ・ベストテン」では最高9位を記録している。

自分を裏切ったひどい男性との別れにはじめのうちは落ち込んでいたのだが、やがて立ち直るという内容が広く共感を得て、大ヒットとなった。ゲイコミュニティでもひじょうに人気が高い曲だという。

134. Stop! In the Name of Love – The Supremes (1965)

シュープリームスが1965年2月にリリースしたシングルで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。「愛はどこへ行ったの」「ベイビー・ラヴ」「カム・シー・アバウト・ミー」に続く4曲連続しての1位は全米シングル・チャート史上初の記録であった。これはこの次のシングル「涙のお願い」まで続く。

モータウンのヒットメーカー、ホーランド=ドジャー=ホーランドの作品で、タイトルはラモント・ドジャーが恋人との口論で思わず口走ってしまった言葉に由来しているという。

付き合っている男性に浮気をやめてと訴える楽曲で、パフォーマンスでは「ストップ!」のところで手を前に突き出す振り付けが印象的だったようだ。

133. No Woman, No Cry – Bob Marley & The Wailers (1974)

ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバム「ナッティ・ドレッド」に収録されたが、後にリリースされたライブ・バージョンが有名である。全英シングル・チャートではボブ・マーリーが亡くなった後の1981年に最高9位を記録している。

タイトルは英語の授業で習った「no pain, no gain(痛みなくして得るものなし)」のような構文ではなく、純粋に女性よ、泣かないでとという意味である。

作詞作曲者としてボブ・マーリーの地元の友人がクレジットされているが、実際にはボブ・マーリーの楽曲で、お金が友人に入るようにこうしているともいわれている。

132. I Am the Ressurection – The Stone Roses (1989)

ストーン・ローゼズのデビュー・アルバム「ザ・ストーン・ローゼズ」(リリース時の邦題は「石と薔薇」)の最後に収録され、後にシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高33位を記録した。リリース時の邦題は「僕の復活」である。

曲の後半はほとんどインストゥルメンタルであり、凡百のインディー・ロックバンドとは一線を画した演奏力の高さを聴かせる。そして、イアン・ブラウンの歌唱力がけして高くはないが味がありニュアンスにとんだボーカルがこれにマッチしていて最高である。

ストーン・ローゼズといえばマッドチェスター・ムーヴメントの中心的存在で、後のブリットポップにもひじょうに大きな影響を与えたバンドとして知られるわけだが、そのすごさが最もあらわれている楽曲はもしかするとこれなのではないか、というような気もする。

131. Music Sounds Better with You – Stardust (1998)

フランスの音楽ユニット、スターダストがリリースした唯一の楽曲で、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。メンバーはダフト・パンクのトーマ・バンガルテルなどである。

チャカ・カーン「さだめ」をサンプリングした、キャッチーで中毒性の高い最高のダンス・チューンである。後にマドンナ「ゲット・トゥゲザー」でサンプリングされた。

ミシェル・ゴンドリーが監督したミュージック・ビデオも、テレビで架空のカウントダウン番組が流れていたりして、楽しくてとても良い。