邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:480-471

480. エヴリデイ/ジッタリン・ジン(1989)

1980年代後半から1990年代初めの日本では空前のバンドブームが巻き起こっていたのだが、ザ・ブルーハーツとBOØWYというカリスマ的なバンドの影響がひじょうに強かったのに加え、バンク10周年的なムードも相乗効果的に作用していたような気がする。とはいえ、これをさらに全国の中高生レベルにまで広める上でひじょうに大きな役割を果たしたのは、土曜の深夜に日本テレビ系で放送されていた「イカ天」こと「三宅裕司のいかすバンド天国」であろう。

要はアマチュアバンドの勝ち抜き合戦なわけだが、いろいろ個性的な人たちが次々と登場したり、実際にプロになり売れてしまう人たちもいたりして、かなり盛り上がっていた記憶がある。当時の主流はいわゆるビートパンクと呼ばれるタイプの音楽だったのだが、この番組でイカ天キングに選ばれて勝ち抜きを果たしたバンドには様々なタイプがいたように思える。

1989年5月20日放送回においてハード・ロックのRABBITを破って6代目イカ天キングに輝いたのがジッタリン・ジンで、その時に演奏したこの曲で後にメジャーデビューを果たした。男女4人編成で、ボーカルとドラムスが女性、ギターとベースが男性というのが当時としてはひじょうにユニークで、2ビートを基調とした楽曲とクールなボーカルがとてもカッコよく感じられた。オリコン週間シングルランキングでは、最高9位のヒットを記録した。

それにしても「ダーリン 今夜は迎えにきてきて うるさいやつらが多くて困ってる」という歌いだしからして素晴らしいのだが、「ダーリン 神戸の港のロフトで 昔は会う度 朝まで騒いだね」というところも最高である。この後、「プレゼント」「にちようび」、Whiteberryのカバー・バージョンでも知られる「夏祭り」がさらにヒットする。

479. Shake Hip!/米米CLUB(1986)

米米CLUBのデビューは1985年10月21日、アルバム「シャリ・シャリズム」、シングル「I・CAN・BE」によってだったが、それ以前からメディアではわりと取り上げられていて、謎のパフォーマンス集団的に紹介されていたような記憶がある。当時は米米CLUBではなく、米米クラブという表記であった。

個人的には上京して間もない頃に一橋大学の小平祭というのに爆風スランプが出演するというので、西友巣鴨店のチケットセゾンで1,500円のチケットを買って見に行ったところ、デビュー前の米米CLUBがオープニング・アクトとして出演していて、得した気分になったことが思い出される。山本リンダのカバーからムード歌謡的な曲まで色々なタイプの音楽をやっていて、すでに熱狂的なファンがついているようにも感じられた。

それはそうとして、この曲はその翌年に米米CLUBの2枚目のシングルとして発売され、本人たちも出演していたTERRAというスポーツドリンクのテレビCMにも使われていた(杉真理「いとしのテラ」もこのスポーツドリンクのCMソングであった)。オリコン週間シングルランキングでの最高位は54位であり、まだそれほど売れまくっていたわけではない。1990年に発売された新バージョンは最高5位を記録している。

マイルドにサブカルチャー的な自由な感じが特徴であり、その割には王道的なキャッチーさも持ち合わせているところがたまらなくユニークで、泉麻人が司会をしていた深夜のテレビ番組「冗談画報」によく出演していたイメージが強いのだが、次第にポップでキャッチーなところが特に受けるようになり、いつしか一般大衆的なメインストリームになっていった。

この曲にはJ-POPのメインストリームになる以前のマイルドにオルタナティヴなのだが大衆的にも受けかねないポテンシャルをも秘めていそうな絶妙なポップ感覚があって、そこがとても良い。「ミュージックトマトJAPAN」でビデオを見て、本厚木の新星堂で7インチ・シングルを買ったような気がする。

478. 踊るダメ人間/筋肉少女帯(1991)

タイトルは国民的人気テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」のテーマソングで1990年のオリコンシングルランキングで年間1位、レコード大賞まで受賞してしまったB.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」をも意識したものだと思われる。ユニコーンも「おどる亀ヤプシ」というミニアルバムをリリースしていて、光GENJIとTM NETWORKをパロディー化してピチカート・ファイヴの小西康陽がアレンジをした「PTA〜光のネットワーク」を収録していた。

それはそうとして筋肉少女帯は1980年代の日本のインディーレーベルの中でも特に文化系というかサブカルチャー的なナゴムレーベルからデビューして、「元祖高木ブー伝説」「日本印度化計画」などコミカルでありながら奥が深いのか深くないのかよく分からないような音楽性でカルト的な人気を得た。

そして、1991年といえばすでにバンドブームもかなり落ち着いてしまっていたような気もするのだが、筋肉少女帯はこの「ダメ ダメ ダメ ダメ人間」とキャッチーに連呼する素晴らしい楽曲を発表し、オリコン週間シングルランキングで最高22位を記録していた。収録アルバムのタイトルは「断罪!断罪!また断罪‼︎」である。曲の最後に「それでも生きていかざるをえない!」と語られているように、実はひじょうに哲学的なテーマを扱ったポップソングでもある。情念的でありながら突き抜けたポップさに満ちている大槻ケンヂのボーカルは、ジョニー・ロットンやマーク・E・スミスにも匹敵するのではないかと個人的には思っている。

477. 春にゆびきり/RYUTist(2020)

RYUTistの素晴らしいアルバム「ファルセット」から先行リリースされた楽曲で、パソコン音楽クラブによるテクノ的なサウンドとメンバーたちのピュアなボーカルが奇跡的ともいえる化学反応を起こしている名曲なのだが、この曲がリリースされた背景にコロナ禍があったこともリアルタイムで聴いていた人たちにとってはわりと重要である。

たまたまその時期にあたったというだけで、青春の思い出が他の時代とはかなり違うものになった人たちは少なくないと思われ、それ以外にもいろいろなことが中止されたり、思っていたようにできなくなったりはした。メンバーやファンにとって念願であった新潟市民芸術文化会館でのワンマンライブもその1つだったのだが、ミュージックビデオでは公演中止を知らせる会場とその周辺でエモーショナルに歌い踊るメンバーの姿が記録されている。そして、「いつか僕らは大人になるから 消えないよう 忘れないようにほら ゆびきりしよう」というフレーズが心に刺さりまくるわけである。

476. Super Girl/岡村靖幸(1988)

岡村靖幸のアルバム「DATE」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高92位を記録した。テレビアニメ「シティーハンター2」のエンディングテーマにも使われていた。

この頃すでにその天才性の片鱗はじゅうぶんに見られていたのだが、まだやや遠慮がちに思えるようなところもあり、この曲などはかろうじてシティ・ポップの範疇にカテゴライズすることができなくもない。

それでも「21で仕送りもらってる ねだる金額がふえるたんびに両親は悩みが増える」など、気になるポイントがシティ・ポップ的なアーティストたちとはすでにやや異なっていたようだ。

非凡な才能を秘めた孤高のアーティスト、岡村ちゃんがわりと一般的なJ-POPの範囲内で奮闘しているかのようなキャッチーな楽曲である。ベン・ジョンソンやフェイ・ダナウェイの名前が歌詞に入っているところもとても良い。

475. TRON岬/パール兄弟(1987)

パール兄弟のアルバム「パールトロン」に収録されていた曲である。1980年代後半のバンドブームの時代にわりと高評価を得ていたロックバンドだが、ブームそのものの本流とはほとんど関係がない、ひじょうにユニークな存在であった。

演奏力には確かなものがあり、様々なタイプの楽曲をやっていたが、バンドを最も特徴づけていたのは、歯科医の肩書をも持っていたサエキけんぞうの切れ味が鋭い歌詞と味のあるボーカルであった。

SF映画を見た後のドライブデートをテーマにしたこの曲は、当時、流行していたウィリアム・ギブスン「ニューロマンサー」などサイバーパンクと呼ばれる新感覚のSF小説に影響され、ウォーターフロントの開発が進む千葉の未来的な風景などが描かれていた。音楽的にはどこかAOR的なところもあり、これもまたビートパンク的な音楽が主流であった当時の日本のロックとしてはかなり異質だったような気がする。

474. キ・ツ・イ/玉置浩二(1989)

玉置浩二といえば安全地帯のボーカリストで、旭川市民の誇りともいえる存在なわけだが、ソロ・アーティストとしてリリースした2枚目のシングルにあたるこの曲はバンドとはかなり異なる、ファンク的な音楽性が特徴である。これがあまりにも個性的なボーカルと絶妙にマッチしていて、とても良い。

出演していたテレビドラマ「キツイ奴ら」の主題歌であり、オリコン週間シングルランキングでは最高7位を記録している。松任谷由実や久保田利伸のツアーにも参加していた女性ボーカルグループ、AMAZONSがバックコーラスを担当している。

473. ハリウッド・スキャンダル/郷ひろみ(1978)

郷ひろみの28枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高13位、TBSテレビの「ザ・ベストテン」では最高8位を記録した。

ゴージャスなサウンドにのせて、スター同士のロマンスについて歌われている。かつて恋人であった女性が新しい相手と付き合いはじめたという噂を聞いて、「注意をしなよ」と言いたいところだが、「あなたよりマシ」と言われてしまいそうだ、というような内容である。

以前に熱愛の噂があった松田聖子が神田正輝と結婚した直後には、「夜のヒットスタジオ」にアメリカの教会から中継で出演した郷ひろみが「哀愁のカサブランカ」(「大人の恋をしたと聞いた 新しい名前になったと聞いたよ」という歌詞が含まれている)とこの曲を歌った。

472. 哀愁トゥナイト/桑名正博(1977)

桑名正博はロックバンド、ファニー・カンパニーのボーカリストとして活動した後、ソロ・アーティストに転向するのだが、1979年にはカネボウ化粧品のCMソングでもあった「セクシャルバイオレットNO.1」がオリコン週間シングルランキングや「ザ・ベストテン」などで1位に輝いた。ニューミュージック時代を代表するヒット曲の1つだが、作詞・作曲を手がけていたのは松本隆と筒美京平という歌謡ポップス界の黄金コンビであった。

このチームによって最初にリリースされたシングルがこの「哀愁トゥナイト」で、当時、ラジオでよく聴いた記憶はあるのだが、オリコン週間シングルランキングでの最高位を参照してみると99位ということなので、それほどヒットしてはいなかったようだ。とはいえ、歌謡ロック的なとても良い曲だと思う。

個人的には当時、小学生であり、ラジオのプロ野球中継が終わった後もつけっぱなしにしていると、次の番組でよくこの曲が流れ、とてもカッコいいと思いながらも、「男と女 抱き合う前までゆらめくけれど」「身体はなせば 心寒々冷えるだけ」というフレーズに大人の恋愛というのはそういうものなのか、と感じたりしていた。

471. 激しい恋/西城秀樹(1974)

西城秀樹の9枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位のヒットを記録した。「やめろと言われても 今では遅すぎた」という歌いだしのフレーズがあまりにもキャッチーで、そのアクションと共に当時の子供たちにまで大人気であった。家で何か良くないことをして親にやめるように注意された時に、ふざけてこのフレーズを真似するのだが、それでさらにこっぴどく怒られるという経験をした子供も少なくはないように思われる。当時の西城秀樹の人気がどのようなものであったのかについては、国民的人気テレビアニメ「ちびまる子ちゃん」における描写がわりと正確なような気がする。

そもそもボーカルが熱くてカッコいいのだが、1979年に大ヒットした「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」など、ディスコやソウル的な感覚を日本の一般大衆に広めた功績も大きいような気がする。映画「愛と誠」への出演や、後に恒例となる大阪球場でのコンサートの第1回が行われたのも、この年であった。