邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:20-11

20. プラスティック・ラヴ/竹内まりや (1984)

竹内まりやのアルバム「VARIETY」収録曲で、当時は別ミックス・バージョンが12インチ・シングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高86位を記録した。

アルバムはアーティスト活動を休養していた竹内まりやにとって復帰作ともいうべきもので、全曲を自らが作詞・作曲、プロデュースを夫である山下達郎が手がけていた。

全体的にオールディーズ的なテイストが強いアルバムの中にあって、A面2曲目に収録されたこの曲はやや異質であった。失恋の痛手から立ち直ることができないまま、「恋なんてただのゲーム」と自由な恋愛を楽しむ、心の底では淋しさをかかえた女性をテーマにした楽曲である。

1989年に山下達郎がカバーしたライブアルバム「JOY」では、クールでスタイリッシュなオリジナルに対して、かなりエモーショナルにカバーされていて、この曲の新たな魅力に気付かされたりもした。

そして、リリースから30年以上も経った2010年代後半、非公式にアップロードされた動画が海外の音楽ファンなどによって再生されまくり、日本のシティ・ポップを評価する動きを象徴する楽曲として知られるようになる。

これによって日本でも竹内まりやの代表曲といえば「不思議なピーチパイ」「SEPTEMBER」やもっと後になってからの曲という印象が強かったのが、すっかりこの曲が代表曲のような感じになってしまった。

19. 情熱/UA (1996)

UAの4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高18位を記録した。

1990年代の半ばにもなると、日本の流行歌もロックやポップス的なものから、次第にソウル・ミュージックやヒップホップの影響を受けたものが多くなっていた。「渋谷系」的な音楽を愛好していた人の多くはクラブ・ミュージック的な音楽を聴くようになっていた印象があるのだが、一般大衆的な流行歌とはまだ少し距離があったような気もする。

それを一気に縮めたような気がするのがこの楽曲であり、クラブでかかるクオリティーそのままのものが、コンビニエンスストアやビデオレンタル店のスピーカーからも聴こえるようになった、という感じがしていた。

朝本浩文のプロデュースによる太く重いビート、UAのハスキーで個性的なボーカルがとても良く、当時の気分を甦らせてくれると同時に、クラシックスとしての強度もかなりのものである。

18. 丸ノ内サディスティック/椎名林檎 (1999)

椎名林檎のデビューアルバム「無罪モラトリアム」の収録曲で、シングルカットはされていないが、代表曲として知られる。最初にCD化されたのは、シングル「歌舞伎町の女王」のカップリングに収録された弾き語りメドレーの一部としてであった。

地下鉄丸ノ内線の駅名が出てくるご当地ソング的な側面があるのに加え、ギターやアンプなどの名称や椎名林檎が敬愛するロックバンド、BLANKEY JET CITY絡みのワードが歌詞に入っているのが特徴である。

そして、この曲はグローヴァー・ワシントン・Jrの1980年代のヒット曲「クリスタルの恋人たち」こと「Just the Two of Us」のコード進行を取り入れていることでも知られ、かつては「Just the Two of Us進行」などと一部の音楽ファンの間では呼ばれることが多かったのだが、いまやこの曲が有名になりすぎて、「丸の内進行」とか「丸サ進行」などとも呼ばれている。

17. い・け・な・いルージュマジック/忌野清志郎+坂本龍一 (1982)

忌野清志郎+坂本龍一がリリースした唯一のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。

RCサクセションの忌野清志郎とYMOことイエロー・マジック・オーケストラの坂本龍一とのコラボレーションともなれば、当時のサブカル少年少女というか、「宝島」「ビックリハウス」などの読者層にとっては狂喜乱舞案件である。

しかも、これが資生堂のCMソングとしてテレビでも流れまくったことにより、一般大衆的な音楽ファンにも受けまくってしまった。ギターを弾いているのは、RCサクセションのチャボこと仲井戸麗市である。

テクノ歌謡的なロックンロールとして音楽的にもとても楽しいのだが、「他人の目を気にして生きるなんてクダラナイことさ」というフレーズそのままに、ミュージックビデオでは男性同士でキスをしたり札束を撒き散らしたり、テレビ出演時にも暴れまくる姿が痛快であった。

16. Lemon/米津玄師 (2018)

米津玄師の8枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、デジタルシングルランキングでは10週連続、通算26週の1位、2018年、2019年と2年連続で年間1位に輝いている。

テレビドラマ「アンナチュラル」の主題歌として書き下ろされ、大切な人が亡くなったことによる喪失感がテーマになっているが、楽曲制作中に米津玄師自身の祖父が亡くなったことも影響しているという。

ポップ・ミュージックとして最新型でありながら、クラシックとしてにポテンシャルも兼ね備えた素晴らしい楽曲であり、これから先も多くの人々の心に寄り添い、必要とされ続けていくのではないかと思われる。

15. 今夜はブギーバック/小沢健二、スチャダラパー (1994)

小沢健二とスチャダラパーによるコラボレーションシングルで、小沢健二がメインの「nice vocal」とスチャダラパーがメインに「smooth rap」が存在する。オリコン週間シングルランキングでの最高位は、「nice vocal」が記録した15位である。

「渋谷系」を代表するアンセムとして知られるが、実はリリース日の翌日、池袋にオープンしたP’PARCOのキャンペーンソングでもあった。

「コレよくない? よくないコレ?よくなくなくなく なくセイイエーッ」というわけで、当時、カラオケボックスではなくもっとパブリックな感じのカラオケ店で会社の上司と無理やりデュエットさせられたことが個人的には思い起こされる。

「メモれ コピれーっ」の元ネタはビートきよし師匠である。

14. テクノポリス/イエロー・マジック・オーケストラ (1979)

イエロー・マジック・オーケストラのアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」から別バージョンとしてシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。

坂本龍一がピンク・レディーの楽曲を研究しまくって、とにかく売れる曲をコンセプトに作った曲らしい。1980年初めに社会現象的に盛り上がったテクノブームを代表する楽曲であり、沢田研二「TOKIO」と共に日本の首都である大都市、東京の新しいイメージを提示したことでも知られる。

ヴォコーダーで加工された声が入っているとはいえ、インストゥルメンタルがメインの楽曲がここまで流行歌としてポピュラーになったのもなかなかすごいことである。

13. LOVEマシーン/モーニング娘。 (1999)

モーニング娘。の7枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで3週連続1位、1999年の年間シングルランキングでは7位を記録した。

すでに女性アイドルグループとしてかなり人気があったのだが、この前のシングル「ふるさと」はオリコン週間シングルランキングで最高5位に終わり、グループ誕生のきっかけとなったバラエティ番組「ASAYAN」のランキング企画でも鈴木あみ「BE TOGETHER」に敗退していた。

そこでテコ入れとなったのかどうかは定かではないが、当時13歳の新メンバー、後藤真希をセンターに抜擢、曲調もディスコソング的で超キャッチーなものであった。不景気な時代に「日本の未来は世界がうらやむ」とヤケクソ気味のハイテンションで歌い踊り、さらには自らのグループ名を入れたり「みんなも社長さんも」と年末の宴会ソング化さえも見越した盤石のクオリティーである。

モーニング娘。の楽曲としてはこれよりも優れた曲がいろいろあるという意見もあるとは思うのだが、流行歌としての強度という点ではやはりこの曲に尽きるのではないだろうか。

12. 君は天然色/大滝詠一 (1981)

大滝詠一の大ヒットアルバム「A LONG VACATION」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高36位を記録した。

アルバムはオリコン週間アルバムランキングで最高2位、1981年の年間アルバムランキングでも、寺尾聰「Reflections」に次ぐ2位を記録した。

オールディーズやノベルティーソングなどについての尋常ではない知識に裏打ちされた趣味的な音楽作品をリリースし続けていた大滝詠一は、マニアックな音楽ファンからはリスペクトされていたのではないかと想像するのだが、一般大衆的なセールス面では苦戦しがちだったようだ。

しかし、このアルバムは売れに売れまくり、イラストレーターの永井博によるジャケットアートワークは、まるでインテリアかお洒落アイテムとしても消費されていたような印象すらある。

この曲はアルバムの1曲目に収録され、少し異なったバージョンがシングルとしてリリースされた。当時、ラジオでもやたらと耳にした印象がある。個人的には当時、地方都市のありふれた中学生だったので、はっぴいえんどや大滝詠一の存在すら知らず、なんだかいきなりやたらとラジオでよくかかっているな、というような印象であった。

しかし、その爽やかなようでいて、よく聴くと複雑でもある音楽にはひじょうに魅かれるものがあり、いずれこのレコードを買うような気はしていた。

当時の中学生にとっては、より大人の世界観が描かれているのだが、その頃は大人が若者よりもカッコよく見え、背伸びして憧れるようなところもあったため、そのようにして楽しんでいた。

「想い出はモノクローム 色を点けてくれ」と歌われるこの曲の内容はけして明るいものではなく、妹を病気で亡くした松本隆の悲しみが反映したものである。そのような精神状態でスランプに陥っていた松本隆は大滝詠一に対して、アルバムの作詞を辞退する旨を伝えるが、大瀧詠一はこのアルバムの歌詞は松本隆以外にはあり得ないので、いつまでも待つと告げたのだという。

11. SOMEDAY/佐野元春 (1981)

佐野元春の4枚目のシングルとしてリリースされ、代表曲として知られているが、当時はオリコン週間シングルランキングの100位以内にすら入らなかった。

しかし、ライブハウスで若者に人気の新進気鋭のシンガー・ソングライター的な感じでメディアなどではわりと紹介されていて、個人的にはこのシングルがリリースされる少し前に、NHK-FM「軽音楽をあなたに」で聴いた何曲かをきっかけに好きになり、アルバム「Heart Beat」を旭川のミュージックショップ国原で買っていた。

日本語のポップスとして新しさを感じ、都会的な感覚にも憧れをいだいていた。そのうち新曲としてこのシングルがリリースされ、ラジオの深夜放送でCMも流れていた。歌詞が分かりやすくなっているなと感じたのと、サウンドのスケール感が増したと思ったのだが、当時はウォール・オブ・サウンドなどという言葉も概念も知らない。

大滝詠一のナイアガラ・トライアングルに抜擢され、シングル「A面で恋をして」とアルバム「ナイアガラ・トライアングルVol.2」がヒット、その数ヶ月後にリリースされたアルバム「SOMEDAY」もオリコン週間アルバムランキングで最高4位のヒットを記録した。

「まごころがつかめるその時まで」などというフレーズをストレートに歌っているところがとても良いと感じたのだが、個人的に気に入っていたのは「オー・ダーリン こんな気持に揺れてしまうのは 君のせいかもしれないんだぜ」あたりであり、現在は「ステキなことはステキだと無邪気に笑える心がスキさ」にグッとくる。

「信じる心いつまでも」と歌われるこの曲を、これからもリアルな気持ちで聴き続けられると良いと思う。