邦楽ポップ・ソングス・オール・タイム・ベスト500:10-1

10. 赤いスイートピー/松田聖子 (1982)

松田聖子の8枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングや「ザ・ベストテン」などで1位に輝いた。

呉田軽穂こと松任谷由実が松田聖子に提供した最初の楽曲であり、この曲あたりから女性ファンがグッと増えていったなどともいわれている。

作詞は松本隆であり、歌いだしの「春色の汽車に乗って」からしてすでにらしさ爆発なのだが、「タバコの匂いのシャツにそっと寄りそうから」というフレーズはあまりにもズルいのではないかと、個人的には当時、中学校卒業を目前にして強く感じていた。

なんとなくワルぶっているにもかかわらず、「知り合った日から半年過ぎても あなたって手も握らない」くだりにもグッとくるし、「何故あなたが時計をチラッと見るたびに泣きそうな気分になるの?」も相当にヤバい。

そして、とどめは「あなたと同じ青春走ってゆきたいの」である。

個人的に松田聖子のボーカルについていうならば、初期の透き通って伸びがある時代が最高だと思うのだが、多忙で喉を酷使しすぎたことの影響もあったのだろうが、この頃の抑え気味なゆえに表現力がより豊かになった感じもとても良い。

9. いとしのエリー/サザンオールスターズ (1979)

サザンオールスターズの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」では7週連続1位に輝いた。

デビューシングル「勝手にシンドバッド」はひじょうにインパクトが強くヒットしたのだが、あまりの新しさにどのように評価すれば良いものかよく分からないようなところもあり、コミックバンド的な見られ方さえしていた。

次のシングル「気分しだいで責めないで」は同路線のコミカルな楽曲で、前作の余波でまあまあヒットしたものの、パワーダウンは否めなかった。テレビでは桑田佳祐が「ノイローゼ!」と叫んでいた。

そして、次にシングルとしてリリースされたのがこの曲であり、初めからすぐに大ヒットしたわけではなかったような気がする。個人的にも中学校に入学したばかりの頃にラジオで聴いて、サザンオールスターズにしては随分と普通の曲で、これはまあ売れないのではないだろうかと思っていたのだが、何度か聴くうちに実はとても良い曲なのではないかと感じるようになっていった。

そのようなリスナーは全国にけして少なくはなかったようで、ここ曲の評判はどんどん上がっていって、最終的には大ヒット曲となった。

小沢健二「愛し愛され生きるのさ」、ピチカート・ファイヴ「これは恋ではない」という「渋谷系」の名曲の歌詞にも、この曲のタイトルが入っていたりもして、影響力の強さを感じさせられる。

8. クリスマス・イブ/山下達郎 (1983)

山下達郎のアルバム「MELODIES」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングでの当時の最高位は44位だったのだが、発売から5年後の1988年にJR東海のテレビCMで使われると知名度が上がり、翌年から翌々年にかけて、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。

アルバムは1983年6月8日に発売され、個人的にも旭川のミュージックショップ国原ですぐに買っていた。当時からこの曲はアルバム収録曲の中でもかなり注目されていて、パッヘルベルの「カノン」が引用されているところなども素晴らしかったわけだが、夏を前にしてクリスマスソングということで、かなりシュールな感覚を味わっていた。

その年のクリスマスシーズンに初めてシングルカットされたが、すでにアルバムが売れまくっていたこともあり、大きなヒットには至らなかった。それでもクリスマスの定番曲のような感じで、かなり知られてはいたのではないだろうか。

そして、バブル景気も真っ盛りで、謎の「純愛」ブームなども盛り上がっている自分に、あのクリスマス・エクスプレスのCMに使用され、売れに売れまくったわけである。

それにしてもこの曲は恋人たちのクリスマスを謳歌するような楽曲ではなく、「きっと君は来ない ひとりきりのクリスマス・イブ」という悲しげなシチュエーションについて歌われているわけであり、それが広く支持された要因でもあるような気がする。

7. 風をあつめて/はっぴいえんど (1971)

はっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」の収録曲で、代表曲として知られている。

個人的に発売された頃にはまだ5歳であり、一般大衆的におそらくそれほどメジャーにヒットしたわけではなかったと思うので、リアルタイムでの記憶はまったくない。

高校生だった1980年代にかつてYMOの細野晴臣と「A LONG VACATION」の大滝詠一と人気作詞家の松本隆とギタリストや作曲・編曲家として活躍する鈴木茂が一緒にバンドをやっていて、その名前ははっぴいえんどだったと、最初は活字の情報で知っていたと思う。

実際に初めて音を聴いたのは渋谷陽一のラジオ番組だったと思うのだが、記憶が定かではない。「風をあつめて」「夏なんです」だったような気がするのだが、まったく古さを感じさせないなと思った。

1985年に「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」というライブイベントが開催され、はっぴいえんどが再結成されたはずである。細野晴臣は「ニューミュージックの葬式」とその感想を述べ、われわれはサザンオールスターズと佐野元春の共演の方に興奮していた。

翌年、大学に入学して、本厚木の丸井で初めてのCDプレイヤーを買った。ミロードのCD売場(新星堂だったような気がするのだが、そうではなかった可能性もある)を適当に見ているとはっぴいえんどの「はっぴいえんど」「風街ろまん」の2枚のアルバムを1枚のCDに収録して3,500円というのが売られていたので、これは良いと思い迷わず買った。

ソフィア・コッポラ監督の映画「ロスト・イン・トランスレーション」は日本では2004年に公開され、東京で出会った往年のハリウッドスターとアメリカ人の人妻とが孤独や寂しさを分かち合う絶妙な感じがたまらない作品であった。そこでもこの曲は使われていて、やはり良い曲だなと強く感じさせられた。

作られた時点ですでに失われた街の記憶について歌われていた曲らしい。それゆえに時代が変わっても色褪せないのかもしれない。

6. 中央フリーウェイ/荒井由実 (1976)

荒井由実のアルバム「14番目の月」の収録曲で、シングルカットはされていないが、代表曲として知られている。

タイトルは中央自動車道のことであり、荒井由実が後に夫となる松任谷正隆に車で八王子の自宅まで送ってもらっていた時のことが歌われているといわれている。

調布基地、ビール工場、競馬場といった実在の風景が歌詞に登場し、多摩地域が舞台になっているにもかかわらず、シティ・ポップ的な都市感覚に満ち溢れている。

演出をしているのはグルーヴィーな恋の気分だと思われるのだが、その一方で「初めて会った頃は毎日ドライブしたのに この頃は少し冷たいね 送りもせずに」と愛の移ろいやすさにも言及されているところが味わい深い。

アルバムのタイトルトラック「14番目の月」とは、「つぎの夜から欠ける満月より 14番目の月がいちばん好き」と歌った曲であり、このやがて失われることを宿命づけられた束の間の輝きを愛でる感覚がとても良い。

5. 真夜中のドア〜Stay With Me/松原みき (1979)

松原みきのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高28位を記録した。

昨今の日本のシティ・ポップがトレンディーな音楽として注目される流れの中で、リリースから40年の歳月を超えて脚光を浴びたわけだが、当時からわりと人気がある曲であった。

大阪出身の松原みきは高校3年の頃に単身で上京し、米軍キャンプやジャズスポットなどで歌っていたということもあって、この曲のリリース当時はまだ19歳だったにもかかわらず、ボーカリストとしてかなりの実力を感じさせた。

「私は私 貴方は貴方と 昨夜言ってた そんな気もするわ」という歌いだしからしてすでに、当時の中学生にはよく分からない大人の恋愛を感じさせる。そして、作曲・編曲は林哲司であり、この年には竹内まりや「SEPTEMBER」をスマッシュヒットさせてもいた。いわゆるシティ・ポップ的なサウンドをお茶の間に広める上で、最も重要な役割を果たした作曲・編曲家なのではないかと思う。

個人的にこの曲のことはずっと気になっていて、1980年代後半の夏休みに帰省した時に、旭川のマルカツデパートで開催されていた中古レコード市のようなもので7インチシングルを買ったり、1990年代の初めに飲み会からの流れで年上の女性の家に行った時に、昔から好きな曲としてカセットテープで聴かされたりしていた。

それからも日本のポップソングの中でも特に好きな曲の1つとして常に意識はしていたのだが、2020年代に入っての世界的ブレイクには驚かされた。

4. 木綿のハンカチーフ/太田裕美 (1975)

太田裕美の4枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングで最高2位、1976年の年間シングルランキングでは、子門真人「およげ!たいやきくん」、ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」、都はるみ「北の宿から」に次ぐ4位にランクインした。

昭和歌謡の名曲で何か1曲と言われた時に、この曲を挙げる人はわりと多いのではないだろうか。都会での生活で変わっていく男性と、地方に残って悲しみに暮れる女性とのストーリーとなっているのだが、愛がいかに移ろいやすいものかというテーマが、適度にライトなタッチで描かれているところがとても良い。

松本隆と筒美京平という、昭和歌謡最強ともいえるコンビによって書かれたジャパニーズ・ポップ・クラシックである。太田裕美の透明感のあるボーカルがまた素晴らしく、この曲が持つ淡い切なさのようなものを加速させているようである。

3. DOWN TOWN/シュガー・ベイブ (1975)

シュガー・ベイブのアルバム「SONGS」収録曲で、シングルカットもされていた。

個人的には1980年にリリースされたEPOによるカバーバージョンの方を先に聴いたような気がする。後にバラエティー番組「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマソングとしても広く知られるが、それ以前からわりと話題にはなっていたのだ。

そして、1980年といえば山下達郎が「RIDE ON TIME」のヒットでお茶の間レベルにおいてもブレイクした年でもある。それで、あの「DOWN TOWN」という曲はどうやら山下達郎が昔やっていたバンドのカバーらしい、というような話になっていった。

「暗い気持さえ すぐに晴れて 皆ウキウキ」と歌われているのだから、それは素敵な街にちがいない。そして、当時の地方都市の中学生にとっては、もしかすると手が届くかもしれないファンタジーでもあった。

シティ・ポップの名曲として有名だが、この曲のボーカルや演奏にはロック的なスピリッツも感じることができ、そこがまたとても良い。

2. 人にやさしく/ザ・ブルーハーツ (1987)

ザ・ブルーハーツがメジャーデビュー前にインディーズでリリースしたシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高28位を記録した。

「気が狂いそう」という甲本ヒロトのボーカルではじまり、「ナーナーナーナーナーナーナー」とコーラスが続いて、「やさしい歌が好きで ああ あなたにも聴かせたい」と歌われる。

パンクロックのイメージといえば、過激とか反体制的というようなものであったが、ザ・ブルーハーツにとってのパンクロックとは、「僕 パンク・ロックが好きだ 中途ハンパな気持ちじゃなくて ああ やさしいから好きなんだ 僕 パンク・ロックが好きだ」と歌われるようなものであった。

メッセージはシンプルであり、熱量はひじょうに高い。「僕が言ってやる でっかい声で言ってやる ガンバレって言ってやる 聞こえるかいガンバレ!」というようなあまりにもストレートなメッセージは、ポストモダンなサブカルチャーを浴び続けてきた大学生には、あまりにも直球すぎるようにも思え、全力で乗っかることはできなかったのだが、もしも自分が14歳の頃にこのバンドに出会っていたとしたら、一体どれだけ夢中になっていただろう、と考えざるをえなかった。

この曲が使われていたレナウンのテレビCMも、服飾系専門学校的なアートセンスが感じられてとても良かった。

1. Automatic/宇多田ヒカル (1998)

宇多田ヒカルのデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングでは8cm盤と12cm盤を合算すると1位、1999年の年間シングルランキングでは速水けんたろう、茂森あゆみ、ひまわりキッズ、だんご合唱団「だんご3兄弟」に次ぐ2位を記録した。

弱冠15歳だとか藤圭子の娘だとかいろいろ話題になる要素はあったわけだが、とにかく楽曲とボーカルの良さ、恋をしている時のフワフワした感覚を「It’s Automatic」というフレーズで表現する見事さなどが際立っていた。

ヒップホップR&B的なサウンドもとても良く、UA「情熱」、MISIA「つつみ込むように・・・」などを経て、この曲によってこういったタイプの音楽が完全に日本のポップスのメインストリームになった、という印象を明確に持った。

「アクセスしてみると 映るcomputer screenの中 チカチカしてる文字」というような表現には、若くしてデジタル機器を使いこなす新世代を感じながらも、ポップソングとしての強さとボーカルパフォーマンスは大の大人をも納得させ、この曲も収録したデビューアルバム「First Love」は800万枚という驚異的なセールスを記録した。

まさにティーンエイジ・センセーションという感じではあったのだが、さらにすごいのは、この後もアーティストとしてのピークを更新し続けていることである。