邦楽ロック&ポップス名曲1001: 1979, Part.3

異邦人/久保田早紀(1979)

久保田早紀のデビューシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、1980年の年間シングルランキングではもんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」に次ぐ2位を記録した。

元々は国立駅前の風景にインスパイアされた「白い朝」という曲だったのがカラーテレビのCMソングに起用されたことをきっかけに、シルクロードをイメージしたエキゾティックで壮大な楽曲となり、タイトルも「異邦人」に変更された。「シルクロードのテーマ」というサブタイトルも付いていた。

ニューミュージックとして認識されていたとは思うのだが、「ザ・ベストテン」などの歌番組には出演していて、ルックスの良さもかなり話題になっていた記憶がある。

20世紀の終りに/ヒカシュー(1979)

P-MODEL、プラスチックスと共にテクノ御三家としても知られたヒカシューのデビューシングルで、アルバム「ヒカシュー」にも収録された。

「20世紀の終りに恋をするなら 惑星のちからと死の魔術が必要」などという不思議な歌詞と巻上公一の演劇的なボーカル、そしてもちろんテクノポップ的なサウンドが特徴である。

米澤玩具から発売されていたコンピュータゲーム、サイコムのテレビCMにも使われていて、「声をあげて 頭を使って 求めるのは何」というフレーズに聴き覚えがある人たちも比較的多いような気がする。

C調言葉に御用心/サザンオールスターズ(1979)

サザンオールスターズの5作目のシングルで、オリコン週間シングルランキング、「ザ・ベストテン」共に最高2位のヒットを記録した。

デビュー以来5作連続のヒットで勢いにのるサザンオールスターズだったが、翌年から音楽制作に集中するためにメディアへの出演を控えるようになる。その代わりシングルはかなりのハイペースでリリースし続けるのだが、セールスはみるみる減少していった。

そのため1982年に「チャコの海岸物語」がヒットするまで、サザンオールスターズの影は一般大衆的にはひじょうに薄くなるのだが、一方でアルバムは発売すれば必ず1位になっていて、テレビなどへの露出とは関係なくファンがしっかり付いていたことが分かる。

この曲はポップでキャッチーな曲調にどことなくエロティックでもあるのだが悲しくて切ない「純情ハートの俺」の心情がヴィヴィッドに表現されたとても良い曲である。

テクノポリス/イエロー・マジック・オーケストラ(1979)

YMOことイエロー・マジック・オーケストラの2作目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。

とはいえヒットのピークは1980年になってからであり、発売は1979年だが80年代の幕開けというイメージがひじょうに強い。シンセサイザーなどの電子楽器を駆使したインストゥルメンタル曲がここまでヒットするのも当時の日本ではかなり珍しかったのだが、しかもそれが社会現象的ともいえるレベルで一般大衆にも広がっていった。とはいえ、「ザ・ベストテン」にはランクインしていない。

坂本龍一がとにかく売れる曲をつくろうと思い立ち、ピンク・レディーのヒット曲などを研究し尽くした成果があらわれた楽曲だという。

日本の首都である東京を高度情報集積都市(テクノポリス)のTOKIOとして、未来的かつ国際的に描写しているのが特徴である。

収録アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」は1980年のオリコン年間アルバムランキングで松山千春「起承転結」に次ぐ2位だったが、LPレコードだけの売上だと1位であった。他に「増殖」が9位で「パブリック・プレッシャー」が10位と、年間トップ10にイエロー・マジック・オーケストラのアルバムが3タイトルもランクインしていた。

イン・ザ・スペース/スペクトラム(1979)

スペクトラムの2作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高64位を記録した。

キャンディーズのバックバンドを務めていたメンバーらによって結成されたブラスロックバンドで、音楽的にも当時の日本ではかなりユニークだったのだが、甲冑や被りものなどの派手なコスチュームを装着して大所帯で演奏するビジュアル的なインパクトもひじょうに強かった。

この曲はテクニクスのテレビCMでも使われていたのだが、個人的には旭川でステレオの試聴会のようなものに行くとスペクトラムのライブチケットがもらえるというのがあったのでそれに行った記憶がある。

そのため生まれて初めて行ったライブが旭川市公会堂でのスペクトラムなのだが、ブラスやホーンが入ったポップソングが好きなのはこの時の刷り込みのせいかもしれないとは思ったりもする。

真夜中のドア〜Stay With Me/松原みき(1979)

松原みきのデビューシングルでオリコン週間シングルランキングで最高28位を記録した。

作曲・編曲はこの年に竹内まりや「SEPTEMBER」も手がけた林哲司で、シティポップ的な音楽を一般大衆レベルにまで広める上で大きな役割を果たしたように思える。

「ザ・ベストテン」にランクインするほどの大ヒットではなかったものの当時から人気がある楽曲だったが、発売から約41年後の2020年に海外の音楽リスナーたちの間で評判になったり、日本国内でのシティポップブームもあったりで再注目された。

大都会/クリスタルキング(1979)

クリスタルキングのデビューシングルでオリコン週間シングルランキングで1位、年間シングルランキングでは3位を記録した。

ハイトーンの田中昌之と低音のムッシュ吉崎によるツインボーカルに特徴があり、イエロー・マジック・オーケストラ「テクノポリス」とほぼ同時期に「交わす言葉も寒い」などと都会をネガティブにも歌ったこの曲がリリースされ?大ヒットしていた。

とはいえこの曲が歌っている「大都会」とは東京ではなく、佐世保出身のバンドにとっての博多だったようである。

個人的には中学校のお楽しみ会的なものに同じクラスのお調子者4人組でこの曲を人間カラオケ(歌だけではなく楽器パートまでを口で表現する当時少し流行っていたライトな演芸)で披露したことが懐かしく思い出される。日曜日に音楽の女性教師がわざわざ音楽室を開放して練習に付き合ってくれていた。

さよなら/オフコース(1979)

オフコースの17作目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録した。

ニューミュージックの全盛期はいま思うとこの頃すでに終わりかけていたのだが、そのタイミングにリリースされたこの曲のヒットでオフコースは一般大衆レベルで大々的にブレイクした。

ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ザ・ロケッツ(1979)

シーナ&ザ・ロケッツのアルバム「真空パック」からシングルカットされ、オリコン週間シングルランキングで最高20位を記録した。

とはいえ、ヒットのピークはリリースから半年以上経った1980年の夏であった。日本航空のテレビCMに使われたりイエロー・マジック・オーケストラ「増殖」との抱き合わせ的なCMが放送されたことなどが影響したと思われる。

シーナ&ザ・ロケッツは博多出身のロックンロールバンドだったが、この頃はイエロー・マジック・オーケストラと同じアルファレコード所属だったり、細野晴臣がプロデュースしていたことなどから、テクノ/ニューウェイブ系バンドとして見られたりもしていた。

テクノポップ的なサウンドでもありながら、60年代ガールズポップ的にキャッチーなメロディーがとシーナのキュートなボーカルがとても印象的であった。

個人的には中学2年の夏休みに、夏期講習の昼食代を節約して貯めたお金でこの曲のシングルを買った記憶がある。